運だけで町をスルーしたら、敵の潜入部隊が人間生活に目覚めて自滅しました
「……バルバトスに続き、ザガンまでも失態を犯したか。四将軍の半数が掃除係とは、冗談にもならぬ」
魔王の冷酷な声が、静まり返った室内に響いた。
空気が凍りつくほどの威圧感の中、第4将軍バルバトス(現在トイレ掃除中)に続き、第3将軍ザガン(現在風呂掃除中)までもが任を解かれたと知り、幹部たちは息をのんだ。
「使えぬ者ばかりだ。四将軍の名折れよ……。次の刺客は誰だ?」
重苦しい沈黙を破り、不敵な笑みを浮かべて一歩踏み出したのは、魔王軍四将軍の一人——第2将軍アガレスである。
「フハハハ! 魔王様、このアガレスにお任せを。バルバトスやザガンが失敗した理由は、極めて単純にございます」
「言ってみよ」
「奴らは『正体を誇示した』か『遠くから隠れようとした』ために失敗したのです。しかし我が作戦は違う。『人間に化けて村へ潜入し、油断した瞬間に至近距離で仕留める』——人間という愚かな種族は、同族にこそ最も油断する。これこそ成功率100%の奇襲作戦にございます!」
自信満々に胸を張るアガレスを見つめ、魔王は冷たい瞳を細めた。
「……ほう。人間に化けて潜伏し、油断を誘うか。よかろう、成果を期待している」
「ははっ! 我が完璧なる潜入奇襲作戦、とくとご覧あれ!」
アガレスは配下の精鋭魔物部隊を引き連れ、不敵な笑みを浮かべて出撃していったのだった。
◇
魔王城へと続く街道沿いに位置する小さな集落『フェルンの村』。
アガレス率いる精鋭部隊は『変化の術』で姿を整え、素朴な村人や旅商人に化けて村へ潜入した。
村の広場、宿屋、農園、鍛冶場——。各所に配置された部下たちは、偽りの笑顔を張り付けながら、心の中で牙を研いでいた。
「フハハハ……愚かな人間どもめ。隣で畑を耕している男が魔王軍の精鋭だとは、夢にも思うまい」
アガレス自身も裕福な行商人の姿に化け、村の宿屋の二階から街道を鋭い眼光で見下ろしていた。
「予言の男の一行は必ずこの街道を通り、この村で補給を行うはず。村に入り込み、油断しきったその瞬間に一斉に襲いかかって生捕りにしてくれる!」
アガレスと部下たちは、獲物が罠にかかるのを今か今かと手ぐすね引いて待ち構えていた。
◇
一方その頃——。
空飛ぶスイートルーム号の快適な車内において、ルークたちは冷えた果実ジュースを手にしながら、のんびりとしたティータイムを楽しんでいた。
車体底部に組み込まれた超高純度の大魔石によるホバー機能と、白銀の天馬アルシオンの軽快な飛翔により、馬車は滑らかに街道の上空を進んでいた。
御者台の隣から前方を見つめていたアイリスが、車内のルークへ声をかけた。
「ルーク様、前方に『フェルンの村』が見えてまいりました。食材の補給や休憩のため、お立ち寄りになりますか?」
ルークは魔導冷蔵庫を開け、中にぎっしりと並べられた新鮮な野菜や果物、そして前のシュネー村で村人たちからお礼にともらったたっぷりの『熟成干し肉』を見つめ、嬉しそうに微笑んだ。
「うーん、前の村で新鮮な野菜も干し肉もたくさんもらったし、水も魔法で出せる。食料も資材も十分すぎるほどあるよね。立ち寄る必要はなさそうだし、この村はそのままスーッと通過して、次の大きな街へ向かおう!」
「承知いたしました! たくわえを完璧に整え、不要な寄り道を避けて一直線に次なる拠点を目指す……素晴らしいご判断でございます!」
アイリスの手綱さばきによって、ホバー馬車はフェルンの村の上空を何事もなく優雅に通過し、一度も地上に降り立つことなく、そのまま遥か彼方へと走り去っていったのだった。
◇
フェルンの村で待ち構えるアガレスたち。
「……おかしい。計算ではとっくにこの村に到着しているはずなのだが……」
1日が経過した。アガレスは宿屋の窓から街道を睨み続けていた。
「フッ、途中で魔物にでも足止めされているのか。まあよい、じっくり待つとしよう」
2日が経過した。アガレスの額に微かな汗が浮かび始めた。
「なぜだ……? 一向に姿を見せん。まさか別のルートを通ったのか……? いや、この先の街道に出るにはこの村を通るのが唯一の最短ルートのはずだ!」
3日、4日……そして、1週間が過ぎ去った。
「来ない……! なぜだ!? なぜ予言の男はこの村に現れぬのだ!」
宿屋の部屋で頭を抱えて叫ぶアガレスをよそに、村の各所に潜入していた部下の魔物たちの間では、思いもよらない「異変」が巻き起こっていた。
人間に化けて村の生活に溶け込んでいた部下たちは、日に日に人間たちの温かい暮らしに激しい衝撃を受けていたのである。
魔王城での生活といえば、常に暗く冷たい石造りの兵舎、風が吹き荒れる廊下、土みたいに泥臭いわずかな干し肉と、味のしないお湯みたいなスープばかり食わされるひもじい毎日、そして上司からの苛烈な怒声と理不尽なお仕置き(トイレ掃除や風呂掃除)の連続であった。
それに比べて、この人間の村での暮らしは一体どうだろうか。
薪ストーブの焚かれた温かい家。 体に優しくフィットするふかふかのベッド。 肌触りが良く着心地抜群の衣服。 そして何より、村人たちが「いつも手伝ってくれてありがとう」と笑顔で振る舞ってくれる、焼きたての香ばしいパンや、お肉と野菜がトロトロに煮込まれた熱々のシチュー——。
農園で農作業を手伝っていた部下の魔物が、手渡された熱々シチューを一口口にし、涙をポロポロとこぼした。
「美味い……美味すぎる……! 人間の料理って、どうしてこんなに温かくて美味いんだ……?」
「ああ……それに、村のおばちゃんが『寒いから使いなさい』って手編みの手袋をくれたんだ……。俺、生まれてこの方、誰かから優しくされたことなんて一度もなかったのに……」
別の家で大工仕事を手伝っていた魔物も、ふかふかのベッドに倒れ込みながら染みじみと呟いた。
「なぁ……俺たち、なんであの寒くて飯の不味い魔王城で、毎日殴られながら戦ってたんだ……?」
「俺も思った……。魔王様のために戦うより、ここで人間として真面目に畑を耕して、温かいシチュー食べて暮らした方が100万倍幸せじゃないか……?」
「「「……間違いない」」」
部下たちの心から、魔王軍への忠誠心などというものは綺麗さっぱり消えてなくなっていた。
ついに我慢の限界を迎えたアガレスが、怒りに震えながら部下たちの滞在先へ乗り込んできた。
「おい貴様ら! いつまで油断して過ごしている! 予言の男の目撃情報はないのか!?」
しかし、アガレスが目にしたのは、村人たちと肩を組んで楽しそうに酒を酌み交わし、子供たちに手品を見せて歓声を浴びている部下たちの姿だった。
アガレスは目を見開いて怒鳴り散らした。
「な、何をやっているんだ貴様らはーっ!? 任務を忘れたのか! 早く戦闘準備を……!」
すると、部下の魔物の一人が、実に晴れやかで穏やかな笑顔を浮かべてアガレスに向き直った。
「将軍……いえ、アガレスさん。俺たち、もう魔王軍を辞めることにしました」
「……は?」
「俺たち、この村で人間として生きていくことにしました。村の娘さんと結婚の約束もしました。アガレスさんも、こんな虚しい戦いはやめて、あっちで一緒に温かいシチューを食べましょうよ。美味しいですよ」
「な、なんだとーっ!? 貴様ら、魔王様を裏切り、人間側へ寝返るというのかーっ!?」
「裏切るも何も、魔王城の飯は泥みたいに不味いし、失敗したらトイレ掃除だし、良いことなんて一つもないじゃないですか。じゃ、俺たちこれから秋のお祭りの準備があるので失礼しますね」
「あ、待て! 戻れ! 戻らんかーっ!!」
アガレスの悲痛な叫びも虚しく、部下たちは誰一人として振り返ることなく、笑顔で村人たちの輪の中へと戻っていってしまったのだった。
「お、俺の……完璧な潜入奇襲作戦が……! なぜだ……! なぜ予言の男は来なかった……!」
静まり返る村の街道で、たった一人残されたアガレスはガクガクと膝を突いた。
部下に全員逃げられ、戦う戦力すら失ったアガレスには、もはや魔王城へとトボトボ帰る以外の選択肢は残されていなかったのだった。
◇
フェルンの村を完全にスルーしたルークたちは、街道を順調に進み、大型の冒険者ギルド支部を擁する迷宮都市『ダンゼル』へと到着していた。
活気あふれる街並みを眺めながら、ルークは御者台でう~んと腕を伸ばした。
「ふぅ、無事に大きな街に着いたね。……アイリス、ここから先はいよいよ魔王城が近づくんだよね」
「はい、ルーク様。このダンゼルの街を抜ければ、魔王城の膝元である最終エリアへと突入いたします」
アイリスの真剣な言葉に、ルークは慎重な面持ちで頷いた。
「僕たちのレベルはレアモンスター討伐のおかげで315(Aランク)まで上がったけれど、相手は世界の恐怖の象徴である魔王さまだからね。乗り込む前に、できる限りレベルを上げて万全の状態にしておきたいな。理想を言えば、Sランクの基準であるレベル501以上まで上げておきたいよ」
「仰る通りでございます、ルーク様! 慎重の上にも慎重を期す……まさに完璧なるご裁量です!」
「この街には大きなギルドがあるし、しばらくここに滞在して、じっくりレベル上げをしようか!」
ルークたちはさっそく、街の中央にそびえ立つ大きな冒険者ギルドへと足を運んだ。
ホール内に掲げられたAランク専用の大型掲示板を見上げると、ルークの目にまさにうってつけのクエストが飛び込んできた。
【クエスト名:大ダンジョン最深部の調査と討伐】 【ランク:Aランク対象】 【内容:全50層におよぶ巨大ダンジョンの最深部調査とボス討伐】
「あ、アイリス! これなんてすごく良さそうじゃない?」
受付の窓口へ向かい、クエストについて尋ねると、受付の女性は気引き締めた様子で解説してくれた。
「こちらのクエストですね! この『ダンゼル大ダンジョン』は全50層という途方もない深さを誇り、一度内部へ足を踏み入れると、最下層のボスを討伐して地上へ戻るまで、最低でも『2週間』は地上へ戻ることができない高難易度ダンジョンとなっております」
「えっ……! 2週間も地上に出られないんですか!?」
ルークは一瞬驚いたが、すぐにピンと手を叩いた。
(2週間も地上に出られない……ということは、外の面倒なトラブルや街の騒がしさから完全に隔離されて、人目を気にせず安全にレベル上げに集中できるってことじゃないか! まさに僕たちにピッタリの環境だぞ!)
「よし、受付さん! このクエストを受注します!」
「かしこまりました! Aランク冒険者ルーク様、ならびにアイリス様、討伐クエストの受諾を正式に登録いたしました!」
◇
ギルドを出た後、ルークは2週間におよぶ長期間のダンジョン潜伏に向け、頭の中で必要な準備を整理し始めた。
「うーん、2週間も暗いダンジョンの中にこもるとなると、いくつか困ることがあるよね」
「どのようなことでございますか、ルーク様?」
「まず1つ目は『灯り』だよ。荷物や松明自体は馬車ごと影の中に運べるから良いんだけどさ。ダンジョンの中を何時間も、2週間もずっと手に松明を持ち続けて歩いてたら、手が疲れちゃうし片手も塞がっちゃうでしょ? だから、手ぶらで周りを勝手に明るく照らしてくれる『光の魔法』を覚えたいんだ!」
アイリスがハッと目を見開く。
「確かに……! 常時片手が塞がるリスクを排除し、手ぶらで視界を確保する……まさに長旅を見据えた合理的なご判断でございます!」
「だから、手ぶらで周囲を照らしてくれる『光の魔法』を覚えたいんだ! そして2つ目は『荷物と馬車』だよ。2週間分以上の大量の美味しいごはんや飲み物、日用品を持ち歩くのは大変だし、大事なホバー馬車をダンジョンの外に置き去りにするのも盗まれたりしないか心配だからね」
「お馬車を外に残すのは確かに不安でございますね……」
「それから、馬車や大量の物資を影の中に収納して、必要な時に自由に出し入れできる『影の魔法』も覚えたいんだ」
「な……なんと恐ろしいまでの先見の明……! 探査環境の完全構築と、お馬車の安全管理まで同時に解決されるとは……!」
アイリスの深い感動を背に、ルークたちは街で一番大きな魔導書屋へと向かった。
カウンターで店主に尋ねると、運良く白色の補助宝珠と、黒色の特殊宝珠、そして対応する高級魔導書が揃っていた。
ルークはさっそく宝珠と魔導書を組み合わせ、習得の試練を行った。
二度の眩い光が収まり、ルークの冒険者カードの表示が書き換わる。
【習得魔法:光の導き(ライトガイド)】 【使用可能(必要レベル:50以上)】
【習得魔法:影の収納室】 【使用可能(必要レベル:100以上)】
「やったあ! 狙い通り『光の導き』と『影の収納室』を習得できたよ!」
ルークが試しに手をかざすと、頭上に小さな温かい光の球体が浮かび上がり、周囲を昼間のように明るく照らし出した。
さらに、自身の足元に広がる影に向かって意識を集中させると、影が液体のように揺らめき、内部に広大な異空間が広がっているのが感じられた。
続いて、ルークたちは街の市場や商店を巡り、2週間分を遥かに超える大量の新鮮な肉、野菜、焼き立てのパン、果実ジュース、そして温かいスープの材料を買い込んだ。
街の外に出たルークは、愛馬アルシオンとホバー馬車の前に立った。
「アルシオン、ちょっとの間だけ影の中で休んでいてね」
ルークが影の魔法を発動させると、足元の影が滑らかに広がり、アルシオンと巨大なホバー馬車、そして買い込んだ山ほどの食料が一瞬にして影の中へと吸い込まれるように格納されたのだった。
「すごい……! 本当に馬車ごと影の中に納まってしまったよ!」
必要になれば、いつでも影から馬車を取り出して車内で快適に就寝し、温かいシャワーを浴びて美味しい料理を食べることができる。
影から手綱を出して呼び出せば、アルシオンも快適に影空間で休むことが可能であった。
手ぶらでスッキリとした姿になったルークは、満足そうに胸を張った。
「よし! これで2週間、美味しいごはんを食べながら、人目を気にせず楽しくレベル上げができるね!」
「はい、ルーク様! どこまでもどこまでもお供いたします!」
万全すぎる準備を整えたルークとアイリスは、松明も重い荷物も持たず、楽しそうに笑い合いながら、全50層におよぶ巨大なダンジョンの入口へと足を踏み入れていくのだった。
◇
魔王城——最深部。
「……部下に全員逃げられ、一人で戻っただと?」
魔王の地獄の底から響くような声が、広間に重く落ちた。
「アガレスよ。人間になりすます完璧な奇襲作戦とやらを聞かされていた身にもなれ」
「ヒ、ヒィッ! 魔王様、お許しを! 奴らは村に姿すら現さず、そのまま通り過ぎてしまったようで……!」
「言い訳は無用だ。……罰として、城内の『全厨房の汚れた皿一万枚』を一人で洗え。一枚でも割ったり洗いのこしがあれば、即座に処刑する」
「な、なんですとーっ!? この俺が……皿洗いだと……!?」
大きなスポンジと桶を持たされ、油でドロドロの厨房へ追いやられたアガレス。
そこにはすでに、雑巾とバケツを持った第4将軍バルバトス(トイレ掃除)と、第3将軍ザガン(風呂場掃除)の姿があった。
「……フッ、ついにアガレス、お前もここまで落ちたか」
「黙れバルバトス! ザガン、お前までニヤニヤ見るな! くっ……理不尽すぎるぞ魔王様……! この俺たち四将軍を、こんな雑用係扱いしやがって……!」
「「……ああ。いつか絶対に後悔させてやる……!」」
かつて魔王軍の誇りであった幹部たちの心の中で、魔王に対する猛烈な不満と反逆のメラメラとした炎が、最高潮に燃え上がっていくのだった。




