運だけで優雅に釣りをしていたら、魔王軍の潜水部隊が全滅しました
黒水晶が鈍い光を放つ魔王城の玉座の間において、魔王の苛立ちは絶望へと変わりつつあった。
上空からの捜索網に続き、地上の街道に設置した厳重な関所までもが、原因不明の乱闘と崩壊によって無力化されたからである。
深く息を吐き捨てた魔王は、床に平伏する預言者へと鋭い視線を向けた。
「預言者よ……。空の捜索も地上の関所も突破された。奴は一体どこを進んでおるのだ」
預言者は手元の水晶玉を震える手で凝視し、絞り出すような声で報告した。
「は、ははっ! 予言によりますと、例の男はさらに北上を続け、次は左右を切り立った険しい山脈に挟まれた『巨大な湖』へと向かっております……!」
「左右が山脈に阻まれた巨大な湖だと……? ならば陸路による回避は不可能! 奴が北上を続ける以上、必ずや船で湖を渡ろうとするはずだ!」
魔王は漆黒の玉座から立ち上がり、手下に命じた。
「直ちに水中戦に長けた魔物で構成された『潜水部隊』を湖底へと潜ませよ! 湖を渡ろうとする船を片っ端から襲撃して水底へと沈め、人間どもを一歩も通すなーっ!!」
魔王の命を受けた潜水部隊が即座に出撃し、湖底へと静かに潜伏したのだった。
◇
中魔素エリアの深部へと進むルークたちの視界に、目的地である『湖畔の港町ルヴェイン』と、その背景に広がる巨大な湖の姿が飛び込んできた。
湖の左右には、垂直に切り立った巨大な山脈が壁のように覆いかぶさり、陸路による迂回を完全に拒んでいた。
アルシオンが引き連れる『空飛ぶスイートルーム馬車』の車内からその光景を眺めていたルークは、感嘆の声を漏らした。
「うわあ……! すごい眺めだね! 左右が切り立った崖で囲まれていて、まるで巨大な水たまりみたいだ」
アイリスが車窓の外を見つめながら頷いた。
「ええ、この先へ進むには、あの湖を渡る以外に道はございません。私たちの馬車であれば、このまま上空を飛んで対岸へ渡ることも容易でございますが、いかがなさいますか?」
アイリスの問いかけに対し、ルークは瞳を輝かせながら微笑んだ。
「うーん、空を飛んでいってもいいんだけどさ。せっかくだから船旅も楽しそうだし、美味しいお魚料理も食べたいな!」
長旅の合間のささやかな娯楽と美味しい食材を期待したルークたちは、一度馬車を湖畔の港町ルヴェインへと降ろすことにした。
しかし、着陸した町は活気とは程遠い不気味な静寂に包まれていた。
港に繋がれた大船や漁船は一隻残らず陸に揚げられ、立ち並ぶ水産市場の店舗は固く扉を閉ざしていた。
事情を確かめるため、ルークとアイリスは港の管理事務所を訪ね、責任者である町長から話を訊いた。
町長は悲しげな表情で首を振った。
「冒険者さん、船を出したいお気持ちは分かりますが、今は絶対に不可能です……。実は少し前から、もともとこの湖におとなしく暮らしていた『水龍』が、魔素の影響で巨大化・凶暴化して暴れ出すようになってしまったのです」
「水龍ですか……?」
「ええ。本来は静かな生き物なのですが、魔素によって巨大化し、極めて凶暴になってしまいました。船を出そうものなら一瞬で襲われて転覆させられてしまいます。おかげで船旅の利用客は激減し、漁すら出来ずに食料難に陥っているのです……」
町長の話を聞いたルークは、首を傾げながら提案した。
「そっか……。船が出せないのは困るね。なら、町の人たちの船が出るようになるまで、僕たちが自分たちで魚を釣ってみようか!」
「えっ……? 自分たちで釣り、ですか……!?」
驚く町長をよそに、ルークはアイリスとともに再び空飛ぶ馬車へと乗り込んだのだった。
◇
空飛ぶ馬車を湖の中央上空、水面から数メートルの高さまで静かに降下させたルークは、馬車の後部へと移動した。
馬車の後部には広々とした外部デッキが備え付けられており、ルークは手すりの縁に腰を下ろすと、足を心地よく揺らした。
「よし、ここなら足も伸ばせるし、最高の釣り場だね!」
ルークは旅の途中で購入していた頑丈な釣竿を取り出し、仕掛けを整えて湖面へと投じた。
糸が水中に垂れ下がり、波間に静かに漂い始めた、その時である。
ルークの体内に秘められた【運∞】のパラメータが作動した。
水深数十メートルの暗い湖底において、魔素によって凶暴化していた巨躯の『水龍』が、静かに横たわっていた。
そこへ、上空から垂らされたルークの針と仕掛けが、寸分の狂いもなく水龍の鼻先の皮膚へと直接突き刺さったのだった。
予期せぬ刺突を受けた水龍は、強烈な痛みに驚愕した。
パニックに陥った水龍は、刺さった針から逃れようと暴れ出し、湖底を猛烈な速度で縦横無尽に泳ぎ回り始めた。
しかし、その湖底においては、更なる悲劇が待ち受けていた。
魔王軍の命令を受け、船を沈めようと隠密陣形を組んで湖底に静かに潜伏していた『潜水部隊』の真横を、暴走した水龍が目にも留まらぬ速度で突進したのである。
水龍の巨躯と強烈な水流が、油断していた潜水部隊の水中陣形を容赦なく薙ぎ払った。
「な、なんだーっ!? 巨大な水龍が急に暴走してきたぞーっ!?」
「敵の奇襲だ! 陣形を立て直せーっ!!」
水中での大混乱の中、逃げ惑う潜水部隊の魔物たちは互いに激突し、水龍の振り回す巨大な尾によってまとめて叩き潰されていった。
誰一人として状況を理解できぬまま、魔王軍の潜水部隊は水龍の暴走に巻き込まれ、わずか数分にして全滅したのだった。
一方、上空の馬車の後部デッキにおいては、ルークが手元の釣竿に伝わる凄まじい手応えに目を見開いていた。
「うわああっ!? すごい引きだ! 竿が折れそうだよ! アイリス、手伝ってー!」
「承知いたしました、ルーク様!」
ルークが叫ぶと同時に、アイリスが素早く駆け寄った。
ルークは即座に支援魔法を発動した。
「『攻撃力上昇』! さらに『耐久力上昇』!」
【運∞】の補正を受けた最大バフがアイリスと釣竿に宿った。
アイリスがルークの身体を支えながら、圧倒的な筋力で釣竿を一気に引き上げると、湖面が激しく割れ、巨躯の水龍が空中へと引きずり出された。
空中で暴れる水龍に対し、アイリスは一瞬の隙も見逃さず、オリハルコンの剣を一閃させた。
極上の斬撃が水龍の核を正確に討ち抜き、大型モンスターは反撃の機会すらなく消滅ドロップしたのだった。
さらに、水龍の暴走で粉砕された魔王軍の装備品や、撃破された魔物の残骸、そして浮かんできた高級な淡水魚の群れが水面に大量に漂い始めたのである。
水面に漂う漆黒の武具と魔王軍の紋章を目にしたアイリスは、息を呑んで湖面を見つめた。
(……これは魔王軍潜水部隊の武具!? なるほど……ルーク様は水底に魔王軍が潜伏していることを最初から見抜き、水龍を暴走させて一網打尽にされたのですね……! なんという恐ろしいまでの先見の明……!)
一人で深い納得と感動に震えるアイリスの横で、ルークは無邪気に歓声をあげていた。
「やったあ! すごく大きな魚がたくさん手に入ったよ!」
無邪気に喜ぶルークの足元には、目的であった新鮮な魚が山のように積み上がったのだった。
◇
水龍と、その裏に隠れていた魔王軍の潜水部隊が消滅したことにより、湖の安全は一瞬にして取り戻された。
湖面から舞い戻り、大量の新鮮な魚とともに吉報を伝えたルークたちに対し、港町ルヴェインの住民たちは歓喜の声を張り上げた。
「水龍が退治されたぞーっ! これで再び船が出せる!」
「水路が開通したんだ! 助かったぞーっ!!」
町中が喜びに包まれる中、ルークたちは釣り上げた大量の魚を町人たちへ振る舞った。
しかし、町長と漁師たちは大漁の魚を前にしながら、少し困惑した表情を浮かべていた。
「助けていただいた上に、これほど見事な魚を頂けるとは感謝に堪えません。ですが……これほどの量が一度に手に入っても、数日で傷んで腐ってしまうのが実に惜しいところです」
食料難が解決したとはいえ、水産物の保存技術が乏しいこの世界では、大量の魚を一気に活用する手段が存在しなかったのである。
その様子を見たルークは、前世で親しまれていた水産加工の知識を思い起こした。
(うーん、新鮮な魚が一度にたくさん手に入っても、保存できないと勿体ないよね。前世の加工技術なら、じっくり燻す方法や、塩漬けにして天日干しにする方法があったはずだ)
ルークは町長たちに向かって優しくアドバイスを送った。
「ねえ、魚をそのまま保存するのが難しいなら、木材の煙で絶え間なく燻して保存したり、塩を揉み込んでお日様の下で乾燥させて干物にしてみたらどうかな? そうすれば、何ヶ月も長持ちするし、旨味が凝縮されてすごく美味しくなると思うんだよ」
「魚を燻製に……!? 塩漬けにして乾燥させる……!? そんな保存方法があるのか……!」
聞いたこともない保存方法に驚愕する職人たちであったが、ルークの指導のもと、試しに簡易的な燻製小屋と乾燥棚を建設することになった。
すると、ここでもルークの【運∞】が発動した。
町に余っていた木材の組み合わせが奇跡的な気密性と煙の対流を生み出し、適当に調整した塩分濃度と乾燥時間が、食材の旨味成分を極限まで引き出す黄金比率へと変貌したのである。
完成した燻製魚や干物を口にした町長たちは、驚愕のあまり目を見開いた。
「な、なんだこの美味しさはーっ!? 生の魚とはまた違う濃厚な風味が口いっぱいに広がるぞ! しかも、これなら長期間の保存や遠方への輸出も完全に可能だ!」
ルークの与えた前世のノウハウにより、町に「長期保存が可能な極上の水産加工技術」が誕生したのだった。
◇
水路の完全開放と新たな水産技術の獲得により、港町ルヴェインは過去最高の大繁盛を迎えていた。
数日後、ルークたちは念願であった船旅を楽しむため、最高級の貸切船に乗り込んで湖を渡っていた。
甲板のテーブルには、町人たちから贈られた採れたての新鮮な魚料理や、香ばしい極上の燻製魚が所狭しと並べられていた。
冷えた果実ジュースを手に、心地よい湖上の風を感じながら、ルークは満足そうに微笑んだ。
「いやあ、船旅も最高だし、お魚料理も燻製も本当に美味しいね! 思い切って船に乗ることに決めて良かったよ!」
その隣で、ルークが手掛けた水産物の加工品と、平和を取り戻した湖面を見つめていたアイリスは、深く感銘を受けた様子でルークへと視線を向けた。
「さすがルーク様でございます……! 水底に潜伏していた魔王軍の潜水部隊と凶暴な水龍を、釣竿一本で見事に撃滅して水路を開かれたのみならず、傷みやすい水産物に『長期保存の加工革命』をもたらし、町に永遠の繁栄を授けられるとは……。まさに神算鬼謀、完璧なるご采配でございます!」
(ええーっ!? い、いやいや、魔王軍の潜水部隊って何のこと!? 僕はお魚釣りがしたくて、美味しい魚料理が食べたかっただけなんだよーっ!)
ルークは心の中で激しいツッコミを入れつつ、引きつった笑顔で燻製魚を口に運び、溢れる旨味で胃のあたりの不穏な感覚をごまかすのだった。
絶品の魚料理と保存食を馬車のストレージにたっぷりと積み込んだルークたちは、対岸へと無事に着陸すると、空をも飛べるようになった超快適なホバー馬車に乗り込み、さらなる危険が待ち受ける中魔素エリアの深部へと出発するのだった。




