第8話 揺れる想い
訓練所での一件の後、一ヶ月ほどが経ったある日のこと、シェリルはリガードに頼まれて、研究施設の地下にある書庫へ向かっていた。
結局あの訓練所の天井を撃ち抜いたことについてリガードからなんのお咎めもなかったため、シオンがうまくやってくれたのだろう。身分を隠していることについても特に問題になっていないことを考えると、シオンは黙ってくれているらしい。
あの日以降、二人の心の距離は確実に何かが変わったようだった。シオンは毎日シェリルの席にきては、なにかとちょっかいをかけるようになっていた。
「シェリルちゃん、今日も相変わらず地味だねー。俺が服、買ってあげよっか?」
「朝から任務に付き合わされて疲れたわ。この前の琥珀糖ある?ちょうだい。今手塞がっちゃってるから、ほら、あーん」
あの訓練所での一件以降、シオンの距離感が急に近くなったような気がしていた。ある時はおちょくるように絡んできたり、またある時は甘えるように揶揄ってきたり。
最初のうちはいちいちドキドキとしてしまい、気持ちまで振り回されていたが、どうやら他の令嬢とも相変わらず軽い付き合いはあるようで、自分に対してだけの距離感ではないと知り、シェリルは気にしないように心がけていた。
書庫の入り口に着くと、地下へと続く階段が続いていた。日の光が入らないその場所は地上よりも薄暗く、古くからの文献や資料が大量に保管されており、ひんやりとした石造りの重厚な壁には魔法灯の灯りが等間隔についている。
階段を降りながら、なんとも言えない不気味な雰囲気に背筋が冷えていくのを感じ、シェリルはぞくりと震える。
(書類を探して早く執務室に戻りたい…。)
そう思いながら急いで資料を探すと、お目当ての資料は運悪く棚の一番上に収容されているようだった。踏み台を持ってきてみるが、微妙に届かない。バランスの悪い踏み台の上で必死で手を伸ばすが、手は書類に当たるだけで引き出すことは難しかった。
(あとちょっとなんだけど…もう少し背伸びしたら届くかな)
早く帰りたい一心で、バランスの悪い踏み台の上で思いっきり背伸びをすると、わずかに書類に手がかかる。
(やった!届いた!)
書類の角に指がかかり、そのまま体重をかけてスッと引き出した時だった。シェリルが思っていたよりも書類が勢いよくに倒れ込んできたため、そのまま体は後ろにバランスを崩し、足が踏み台からわずかにずれる。書類を死守しようと手に持った瞬間、上体が後ろに倒れ、シェリルは踏み台から足を踏み外した。
(やばい!落ちる——!)
そう思った時だった。シェリルの腕を黒いフィンガーレスグローブをした大きな手が支える。上半身が後ろに傾いたままだったシェリルは、驚いてそのまま上を見上げると、シオンが体を支えて立っており、その表情は少し焦りながらも呆れているようだった。
「今のは結構危なかったね。」
「シ、シオン様!?どうしてここに!?」
驚いてシェリルが尋ねると、シオンはシェリルの上体を起こし踏み台に立たせるとそのまま話始めた。
「ここ、涼しくて静かだし奥に机と椅子があるからたまに来るんだよね。誰か人が来たなと思って見てたらシェリルなんだもん。俺に全然気づいてなくてかわいいなーと思って見てたら、踏み台持ってきて手伸ばして頑張ってたから助けてあげようと思ったんだけどね。近づいて行ったら今度は落ちそうになってるじゃん。俺が近くにいなかったら確実に落ちて尻餅ついてただろうね。」
笑いながら愉しそうに話す姿が可愛く見えて、思わず胸がどきりと跳ねる。最近のシェリルはシオンが自分の方へ瞳を向けて話したり、笑いかける姿を見るたびにいつも胸が高鳴ってしまう。その度に必死で気持ちを落ち着かせようと心の中で言い訳を捻り出していた。
『他の令嬢にも優しいシオン様が同じように接しているだけ』
『助けてもらった時の吊り橋効果が働いてしまってドキドキしているだけ』
そんな風に自分に言い聞かせていた。
シオンはそっとシェリルを抱き抱えると、踏み台の上から床に下ろした。しかしそれで終わらず、急にグッと体をシェリルの方に近づける。思わず後ずさったが、すぐ後ろにあった棚にとん、と背中が当たる。
逃げ場がなくなりシオンの顔を見上げると、いつになく真剣な顔をして見下ろされていた。シオンはシェリルが逃げられないように、片方の手を棚につくと、ゆっくりと口を開いた。
「ねえ、シェリルはさ、自分の体をあまりにも軽視しすぎじゃない?普通に心配になるわ。」
確かに言われてみればシオンと出会ってからこの短期間で二度も助けられていることを考えるとそう言われるのも無理はないかもしれない。それに、先日の訓練所でのシオンの表情から察するに、おそらくこの体の持ち主はシオンにとって大切な子だったのだろう。もっと自分を大切にしてほしいと思うのも無理はない。
シェリルは、シオンの言葉が自分に向けられたものではなく、あくまでこの体の持ち主に向けられた言葉なのだと思うと、また胸が締め付けられるような感覚に襲われた。
「軽視してるなんてことはないですけど、でも、今後は気をつけます。」
「ねえ、最近見せるその顔はなんなわけ?」
「え?」
シオンから不意に投げられた言葉の意図が分からずシェリルはシオンの方へ視線を向けた。
「自覚してないなら、まあいいや。書類取れたならシェリルも早く部屋に戻りな。」
そう言うと棚から手を外し、出口の方へ足を進める。シェリルが慌ててその後を追いかけると、前を歩くシオンからアンバーの甘い香水の香りが漂ってくる。前を歩くシオンの後ろ姿を見ながら、この距離感のまま隣にいれたらいいと、小さな心のゆらぎに気が付かないようにそっと気持ちを閉じ込めた。




