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第6話 別れの記憶

 こんな魔力の調和が起こるのは、世界中でただ一人しかいない、そうはっきりと確信をもって言える。シオンはすがるような気持ちで言葉を振り絞った。


「覚えてない?俺に、魔力わけてくれたこと。」


 今、目の前にいる彼女にも12年前一緒に過ごしたあの時間を、自分と同じように美しい思い出として覚えていて欲しい。しかし、そんな気持ちとは裏腹に、あの事故の記憶は忘れていてほしいと強く願ってしまう。この12年間、1日たりとも忘れたことのないあの日の出来事。シオンはこの複雑な感情を長年どこにも向けられないままでいた。


 10歳の春まで、シオンの魔力は平民並みに弱かった。そんなシオンに対し、ノアール家の当主である父親からの当たりはきつく、魔力訓練と称し毎日のように厳しく躾けられていた。


「シオン、お前の魔力はいつになったら覚醒するんだ。親の魔力を引き継げなかった出来損ないは公爵家にはふさわしくない。」


 そんなふうに毎日のように言われていたが、それでも魔力の量は増える兆しが一向になかった。また、そんな自分を産んだ母親も魔力主義のノアール家一族から虐げられ、公爵邸でひどい扱いを受けていたことをシオンは幼いながらに理解していた。


 そんな状況の中でまだ10歳になったばかりのシオンが唯一甘えられる存在も母親だった。自分のせいで母がひどい扱いを受けているのを見て、その頃のシオンは他人との関わりをひどく怖がるようになっていたのだった。


 ノアール家では月に一度、公爵夫人主催の茶会を開催するのが慣わしになっており、シオンの母親もその義務に追われていた。


 春の日差しが暖かく降り注ぐような爽やかな日。その日もノアール家の茶会は開催されていた。シオンは母親の足元に隠れるようについて回っていたが、そんなシオンの元に屈託のない笑顔で踏み込んで来たのはシェリーと名乗る無垢で無邪気な女の子だった。


 「こんにちは!そこにいるのはノアール公爵夫人のお子さまですか?えーっと…わたしと同じくらい…かな?あなたのお名前はなんて言うの?」


 「こら!シェリー!公爵家の方になんて言い方を…!失礼でしょ!」


 そう言ってすぐに怒られてしょげるシェリーと呼ばれる女の子は、くるくると表情を変える。魔力のせいで体も小さく、友達といえば従兄弟のリガードくらいだったシオンにとって、シェリーはまるで柔らかい春の太陽のように眩しく感じた。


 最初はぎこちなかったものの、彼女の性格も相まって仲良くなるのにそう時間はかからなかった。


「シオン!遊びに来ちゃった!今日は何する?」


 何をするにも笑顔で、時に怒ったり、泣いたり表情が変わる。陰気な自分とは違い、くるくると変化するシェリーはかわいく、シオンは”次の茶会が待ち遠しい”と思うようになっていった。

 シェリーとの時間はまるで乾いたスポンジが水を吸い込むかのようにシオンの心にあたたかい感情を染み込ませてゆく。もっとシェリーのことが知りたい。もっとこの子と一緒にいたい。それは、シオンにとって、初めて抱いた感情だった。


 しかし、ある日の茶会でその事件は起きた。


 いつもの父親との訓練でうまく魔力を使いこなせず、ひどく叱責されていたシオンは、その日の茶会に顔を出す気にもなれず、自室のベッドで一人泣いていた。外からは楽しそうな人々の声が聞こえるが、部屋の中は静まり返り、薄暗い部屋のベッドのシーツは無機質に冷たく、ぎゅっと枕を抱えながら寂しさを紛らわせた。そんな時、扉からコンコンと小さなノックの音がした。


「——だれ?」

 

「わたしだよ、シェリー。ねえ、開けてもいい?」


 泣いている姿を見られたくなくて、「だめ!」と言おうとしたけれど、返事を待たずにシェリーはドアを開けた。


「シオン…?泣いてたの…?」


 急いで目元をゴシゴシと拭き取るが、目は赤く充血していたのだろう。シェリーは心配そうにすぐに隣まで駆け寄ってくると、隣に座り、小さな腕で抱き抱えるようにしてそっと左手をシオンの右肩に回した。シェリーの温かい体温がシオンの肩に伝わり、その温もりは身体中に広がっていくような気がした。


 「…あのね、これ、お母様に教えてもらって作ったの。どうしてもシオンに食べて欲しくて…。」


 右手に持っていたのは小さな巾着だった。シェリーが巾着の口を開けると中には綺麗な琥珀糖が入っていた。

 

「わたし、どんなに落ち込むことがあってもこの琥珀糖を食べると心が落ち着くの。だからシオンにもこれを食べて元気になって欲しくて…。ほら、わたしの目の色って光に当たると琥珀色をしてるでしょ?それで、えっと、シオンの目の色はブルーグレーでしょ?だから、ブルーグレーのサファイアみたいな琥珀糖にしたの!」

 

 そう言っていつもの笑顔で巾着の中の琥珀糖を一つシオンの口元へ持っていく。シオンがそのままゆっくりとシェリーの指に噛みつかないように気をつけながらかじると、シャリっと耳心地のよい音が鳴り、シェリーは満足そうににこりと笑った。


 琥珀糖の優しい甘さはじわりと口の中に広がりながら、ゆっくりと喉を通り身体中に沁みてゆく。シオンはまた涙が溢れた。シェリーは持っていた巾着をベッドの脇に置くと、不安気な表情のまま、今度は優しくシオンの手に自身の両手を重ねた。


「シオン、どうしたの?辛いことがあるなら、話してみて?」


その言葉を聞いて、頭の中でぷつりと張り詰めていた糸が切れる音がした。


「ぼくの魔力はいつまで経っても増えないし、使い物にならないんだ。一族の、はじ、なんだって!公爵家の、ノアール家の嫡男なのに、ぼくは父上の役には一切たてない!母上だって僕のせいで…毎日辛いに違いないよ。父上はこのままだとノアール公爵家の嫡男としてとてもじゃないけどぼくをこの屋敷にはおいておけないって。ぼくなんて、ぼくなんて生まれてこなければよかった…!」


 初めて人前で辛い胸のうちを明かす。いくらかっこ悪くてもいい。シェリーにだけは全てを曝け出したい。シェリーはシオンの心の底からの悲しみに触れ、泣きながらぎゅっとシオンを抱きしめた。


 しばらくお互いの鳴き声だけが響く部屋で、シェリルはシオンのことをきつく抱きしめる。小さな女の子の精一杯の抱きしめる力は乱暴で苦しく、しかしその苦しい温もりがシオンには心地よかった。

 シェリーはしばらく抱きしめた後そっと体を離すと、自分の涙を拭いて強く決意したような眼差しを向けながら口を開いた。

 

「ねぇシオン、シオンの魔力はどこかで止まっちゃっているだけだと思うの。シオンのお父様もお母様も、魔力がとても大きいんでしょ?きっとシオンの中で魔力がたまっちゃってるんだと思う!あのね、私、聖魔力が使えるの!まだ使ったことはないんだけど…でもきっとシオンの役に立てると思う!だから、シオンに私の聖魔力をあげる!あげたらきっと魔力が小さいことなんてすぐに治ると思うの」


 八歳の幼いシェリーはまだ治癒魔術の展開すらできないが、シオンにとってはそんなことはどうでもよかった。ただこの苦しみから救ってくれようと真剣になってくれる存在が目の前にいる。この強い眼差しを自分だけに向けてくれる彼女がいるだけで、心が救われるようだった。


 混沌とした心は限界を迎え、彼女のその強さでただ包み込んで欲しいとだけ感じた。


「シェリー…ありがとう。もう、苦しい…ぼくを助けて…」


 か細くすがるようにその言葉を伝えた後、お互いに両手を繋ぐ。シェリーは頷くと自分の魔力をシオンの中に流し込んだ。

 その瞬間。シオンの心臓がドクンと跳ねたあと、内臓が火傷をするかのような激しい熱を感じた。それと同時におびただしい量の影の魔力が体の中から溢れ出た。

 部屋のガラスは割れ、屋敷の中にも外にも影の魔力が一気に広がっていく。それは手を繋いでいたシェリーにも伝わり、彼女の体の中にも容赦なく流れ込んでいった。


「--あぁああ…!」

シェリーはが苦痛で声をあげるが、注がれる魔力量が大きくガッチリと固定された両手は、相手の手を離すこともできない。


「シェリー!!」

 

 シオンが声をかけても、すでにぐったりとなって気を失っている彼女の名前を何度もと大きな声で呼びかけるが、魔力の暴走は止まらない。

 突然シェリーから強い光りが放たれ、今度はシオンの中に聖魔力が勢いよく流れ込んでくる。その強烈な光の魔力に、シオンは気を失った。


=========


 目が覚めた時、シオンは自室のベッドの上だった。メイドが言うには、十日間眠り続けていたらしい。メイドたちはシオンが起きたことを慌ただしく各方々に伝えに行く。

 

 十日間も眠っていたからか、体のあちこちがギシギシと痛むが、その体の中からは明らかに以前とは比べ物にならないほどの魔力量を感じた。自分の手のひらを見てぎゅっと握り込むと、ただ、シェリーがあの後どうなったのかと、自分のことよりもシェリーのことが気がかりだった。

 突然、バタンと大きな音をたて、部屋の扉が開いた。


「起きたか。」


 来たのは凍りついたような冷たい顔の父親だった。


「何が起きたかはわかっているか。」

 

 厳しい口調でそう告げる。表情からは意図がわからず、ありのままを説明する。


 「シェリーがぼくに、魔力を流し込んでくれました。その時、ぼくの魔力が急に大きくなって…それで…。あの、シェリーは?シェリーはどうなったんですか?」


 一番気になっていたことが頭から離れず、勢いよく父親に尋ねた。しかし、父親から帰ってきた言葉は想像を絶するほどひどいものだった。


「あの娘はもうここにはいない。あろうことかこのノアール家の魔力に混ぜ物をまぜたんだ。そのせいで、お前の母親も死んだ。」


「——は?」


 シオンは状況がうまく理解できない。だが父親は返事を待つ気もなく淡々と話を続けた。

 

「お前の魔力量は今、計り知れない量まで引き出されている。ゆくゆくは私をも上回るほどになるだろう。あの娘がお前の魔力を引き出したことだけに関して言えば、よかったのかもしれん。ただ、一番の問題はその魔力の中にあの娘の聖魔力まで流れ込んでいることだ。他人の魔力で力が開花し、その上他人の魔力がその身体に流れているなんていうことはノアール家にとってあってはならないことだ。あの子供とは今後一切関わりをもたせない。詳しいことが知りたければジェイクに聞け。」


 厳しい口調でそう告げると父親はすぐに背を向け、部屋を出て行った。


 シオンは頭が真っ白になり呆然と父親が去った後のドアを眺める。この魔力暴走でシェリーの安否もわからないまま、おまけに自分の母親まで失ってしまったのだ。その場に残った家礼のジェイクが語り出す。


「…奥様は、お二人が倒れているところにいち早く駆けつけました。元々奥様はかなりの聖魔術の使い手でしたからね。お二人をなんとか助けようとして…坊っちゃまもご令嬢も奥様の献身のおかげでなんとか一命は取り留めましたが、奥様は…」


 皆まで言わずとも察しはついた。母親は二人を助けるため、魔力を使い果たして亡くなったのだろう。ジェイクの言葉を聞き、その現実を理解する。

 もう大好きだった母親には二度と会えない。急に実感が湧き始め、ぼたぼたと瞳から大粒の涙が溢れ出す。


「僕の魔力が暴走したせいで…僕のせいで——。僕が…母上を殺してしまったんだ」


その声は虚しく部屋の中に響いた。

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