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第5話 あの日の味

 正午の鐘が鳴り、家から持参した昼食をとった後、シェリルは別棟の訓練室へと向かっていた。


 ここ魔道研究施設では、主に魔導師たちが働いているが、隣接している王宮では騎士たちが日々練兵場で鍛錬を行っている。

 魔導師も魔導騎士として前線に向かい魔物の討伐や危険な場所へ赴くため、「訓練所」で魔力展開の訓練ができるようになっている。


 シェリルが訓練所のドアを開けると、すでにシオンは到着しており、シャツの袖を軽くまくり、腕を組みながら壁にもたれかかって立っていた。


 タイトなズボンはすらりと長い足が着こなしており、皮のサスペンダーがぴたりと身体にそっている。そのまま上に目線を向けると、シャツのボタンが上2つ目まで止まっておらず、鎖骨のあたりまで緩く開いていた。


 顔を見ればさらりと目にかかる前髪の奥から、ブルーグレーの瞳が覗く。危険な色気を漂わせながら立っているシオンの姿に思わずどきりと心臓が跳ねる。シオンはチラリと目線をこちらに向けてからいつもの笑みを浮かべた。


「来たね。ここまでは迷子にならずにこれた?」


 子供に問いかけるように揶揄いながらシオンはシェリルの方へ足を運ぶ。


「場所くらいは把握してますので、大丈夫です!」


 初日の夜、最悪な出会い方をしたせいでまだシオンと話す時の距離感が掴めないシェリルは、少し強気で答えてしまう。


 昨日の魔力調和のことが気がかりではあったものの、今朝のリガードの反応から、なんとなく触れては行けないことなのかと思い、心に留めておくことにした。


 しかしそんなシェリルとは対照的に、シオンの方は1ミリも気にしていないようでずっと軽薄な態度のままだった。

 

「早速だけど昨日の事故の時、俺が助けに行く直前のこと、覚えてるよね?いくら治癒がメインの聖魔導師とはいえ、魔力展開よりも先に体が動いてたら、実践にはとてもじゃないけど危険すぎて連れて行けない。」


ぐうの音も出ないほどの正論にシェリルは返す言葉が見つからず「はい…」とだけ答えた。


「そこで、今日はこの国一の魔術師の俺が直々に可愛い後輩ちゃんを特訓してあげようってわけ。」


 シオンはシェリルの顔の前に少しかがみ顔を近づけて笑いかけると、自信たっぷりの表情でそう告げた。

 シェリルは最初こそ状況が飲み込めずに豆鉄砲を食らった鳥のように目を丸くしていたが、王国の中でもトップクラスの魔術を使うシオンから直々に魔力の特訓をしてもらえるなんて、こんな機会は滅多にないと思い直した。


(こんなの、お金を払ってでもしてほしい人は山ほどいるでしょうね。ここは素直になって、国一の魔術師に指導してもらおう)


「ありがとうございます。では、お言葉に甘えて、よろしくお願いします!」

 

「よし、いい返事。じゃあまずは聖魔法の防壁出してみて。」


 シェリルは言われた通りに聖魔術の防壁を展開して見せた。

 

「うん、防壁の質についてはいい感じ。結構魔力量が多いようだね。でもこれに関しては考えるよりもすぐに出るくらいまで鍛錬が必要だ。実戦ではいつ何が飛んでくるかわからないから。それじゃあ次は主軸の治癒魔法ね。」


 そう言うと、シオンはサスペンダーと一体化していた胸元の小さなケースからナイフをスッと取り出すと、何の躊躇いもなく自身の腕をスパンと切りつけた。


「はぁ!?ちょっと!!?何してるんですか!?」


ぼたぼたと流血する腕に向い、すぐさまシェリルは治癒魔術を展開する。


「おお、いい反射速度じゃん。他人に対しては反応早いね。実戦で俺がやられた時もそれぐらいの速さで駆け寄ってきてね。……うん、治癒魔法も質はいいね。傷口もきれいに治ってる。」


懸命に治癒を施したおかげで、さきほどつけられた傷は跡形もなく消すことができた。


「もう…!ほんっとうにやめてください!心臓がおかしくなりそうでしたよ!?何考えてるんですか!?もし私が傷跡まで消せなかったらどうするつもりだったんですか?!」


 シェリルは早口でシオンに向かって悪態をつくが、本人は面白そうに笑いながら「治してくれるって、信じてたよシェリルちゃん。」なんてふざけて言うので一気に肩の力が抜けた。

 

 そこからしばらくは、シオンのゆるい攻撃に瞬時に防壁を繰り出す練習や、シオンが持ってきていた魔道具の浄化など、いろいろと試すことになった。


*****

 

 ゴーンと鐘の音が鳴り響き、17時を告げる。気がつけば午後から始まった特訓もかなりの時間が経過していた。


「よし、このくらいできていればもう大丈夫かな。魔力の質については悪くないけど、魔力の展開速度についてはまだちょっと心配だな。また時間を作って自分でもトレーニングしておくように。じゃあ、今日のところは終わりにしようか。」


 シオンの教え方は実践的で、魔法学校時代よりも深いところまでイメージすることができ、シェリルにとってはとても充実した時間になった。


 二人で訓練室の脇にある椅子に腰を下ろしたところで、シェリルは持ってきていた荷物から、透明な瓶を取り出すと蓋を開けた。

 中には宝石のように煌めく琥珀糖が入っている。この琥珀糖だけは、幼い頃からずっと作り方を覚えていたため、元いた世界でも頻繁に作っていたものだった。

 そして、十七歳でこちらの世界に来てからも、この琥珀糖だけはお守り代わりに作っては鞄に忍ばせていた。


「今日は本当にありがとうございました。シオン様って意外といい人なんですね。これ、疲れた時は糖分をとるといいのでよかったら食べてみてください。」


 笑顔でそう言って琥珀糖の瓶を差し出す。


「意外とじゃなくて、俺は元からいい人だけどね。」


 そう言いながら、瓶の中を見た途端じっと見つめてなかなか取ろうとしなかった。


(もしかして、公爵家の方には手作りのお菓子とか無闇にあげない方がよかったのかしら…。)


「あの、シオン様、これは私が作ったものなので決して変なものは入っていないと断言できますが、もしお口に合わなさそうでしたらご無理なさらないで…」


 言い終わるより先に、シオンは琥珀糖を1つ取ると口に運んだ。そして、ゆっくりと味わうようにシャリっと噛み砕くと、ゆっくりと噛み締めているようだった。

 ふっと苦笑すると、シェリルの方に目を向ける。優しい目つきに思わずどきりと胸がなる。


「やっぱり、間違いない。この琥珀糖の味、すごく懐かしいよ。」


 そう言ってゆっくりと食べた後、「シェリル、ちょっとこっち来て。」と言って、訓練所の真ん中にシェリルを誘導すると、お互い向かい合うようなかたちで立ち止まった。

 シオンから両手を出すように言われ、訳もわからず両手を差し出す。シオンはゆっくりと自身の両手から手袋を外すと、ズボンの後ろポケットに入れ込んだ。


 そしてシェリルの手に、無防備になった自分の両手を重ねた。


 その瞬間、昨日と同じように、ぶわっと魔力の循環が起こり、心地良く体の中に巡り出す。パッとシオンの顔を見ると、昨日とは違い、冷静な顔つきでシェリルのことを見ていた。そして、ゆっくりとした口調で話し始めた。


「普通は他人と手を繋いだだけじゃこんなことにはならないし、他人の魔力が身体に入り込むと、軽い場合は貧血のような状態になったり、ひどいものだと内臓が焼けるような苦痛が伴うはずなんだよ。でも今なぜそうならないか。それはさ、俺たちの身体の中に元からお互いの魔力が存在するからなんだよね。」


 シェリルには、シオンが淡々と話したことがよく理解できず、その事実にただただ驚くしかなかった。そしてそのあとシオンが言った言葉にさらに戸惑うことになる。


「…覚えてない?昔俺に、魔力をわけてくれたこと。」


 シオンの両手を握る指先がさきほどよりも僅かに強くなり、真っ直ぐにシェリルの目を見つめる。身体を巡る魔力からは、シオンの複雑な気持ちが伝わってくるような気がした。


 切なさが混ざったような、そんな表情のシオンにどう言葉を返せばよいのかわからず、シェリルはただ困惑していた。

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