第38話 二人で生きる
「魔力量も安定しているみたいですし、もう大丈夫でしょう。散歩に出るくらいから徐々に身体を慣らしていくといいですよ」
シェリルはぼんやりと眺めていた医師が話し始めたことで、はっと我に帰った。シオンとの未来が明るいものとなったことにまだ実感が湧かないような感じで、あれ以降ずっと気持ちがふわふわとしている。
医者はアタッシュケースに魔力測定器を仕舞い込むと、「また何かあればすぐにお申し付けください」と言い残し、去っていった。
「これで一安心だな。でも完全に元通りになるまでは、この公爵邸で療養させてもらった方が良さそうだ。」
「シオン様、ちょっと過保護すぎませんか?もうお医者さんも大丈夫って言ってますし、いつまでもここにお世話になりっぱなしになるわけにも…」
シェリルは遠慮がちにシオンの横にいるリガードの方へ視線を移した。
その視線に気づいたリガードは何の躊躇いもなくシェリルへと笑顔を向ける。
「シオンの言う通り、完全に元通りになるまではここにいてほしいと思っているから安心してゆっくりしてくれて構わないよ。」
もう何日もお世話になっているのに当たり前のように受け入れてくれるリガードに、シェリルは申し訳なさそうに肩をすくめた。
「いつまでもお世話になりっぱなしで、すみません。でも、ありがとうございます。」
「いいんだ。ゆっくりしておくといい。そうだ、医者の許可も出たことだし、庭園を散歩してみたらどうだ?シオン、お前はこの家のことはよくわかっているだろうから、ゆっくり案内してあげるといい。」
シオンの肩に手を乗せた後、「何かあれば書斎にいるから」と言い残し、リガードは部屋を出て行った。
部屋にはシオンとシェリルの二人きりになると、シオンはまるで憑き物が取れたかのように穏やかな表情で見つめてくる。
そんな穏やかな表情のシオンを見ると、シェリルはたまらなく愛おしく感じ、触れたい衝動に駆られてしまう。
「シェリル、もし調子が良さそうだったらリガードもああ言っていたし、庭園を散歩してみないか?」
シオンがシェリルの手を握ると、自然と魔力が循環する。
目覚めた日以降、シオンはシェリルと手を繋ぐ時はグローブをはめていなかった。
その行動はまるで、魔力の流れを確認しているかのようで、シェリルも何も言わずにただ手を握り返していた。
「そうですね。調子もいいので是非庭園を歩いてみたいです。」
「よし、じゃあ決まり。こんな日のために、服は用意しておいたからメイドを呼んでくるよ。」
用意周到なシオンに思わず感心しながら苦笑する。シェリルはシオンの呼んできたメイド達に身支度を手伝ってもらうと、意識を取り戻してから初めて部屋を出た。
廊下には窓から暖かい陽の光が差し込んでおり、討伐に出た頃とは季節が移ろいだことを感じずにはいられなかった。
シェリルのいた部屋の前から少し離れた場所にシオンは立っていた。その立ち姿はどこか余裕を感じる大人の色気が漂っていて、思わず見惚れてしまう。しかし、シェリルが部屋から出てきたことに気がつくとこちらに笑顔を向けながら足早にシェリルの元へ駆け寄る。こちらへ向かってくる姿は嬉しそうで、まるで少年のようだった。
どちらのシオンにも愛しさを感じて胸が高鳴ってしまう。
「じゃあ行こうか。」
シオンはそう言って自然にシェリルの手を握ると、歩き出した。
リガードが言っていたように、シオンはヴァレンシア公爵邸をまるで自分の家かのように自然に進んでゆくと、小さな裏口の前で立ち止まった。目の前の扉を開けると、外から中へふわりと春の訪れを感じる澄んだ風が吹き抜け、目の前には黄色い花をつけたミモザの木が綺麗に咲き誇っていた。
「わぁ…」
シェリルは思わず感嘆の声をあげると庭園の方へ足を踏み入れ、辺りを見渡した。すずなりのミモザの下にある花壇には色とりどりのビオラが咲いている。
シェリルは興奮しながらシオンヘ話しかけた。
「前にお世話になったヴァレンシア公爵領の邸宅はバラが綺麗でしたけど、こちらはミモザがとても綺麗ですね!ヴァレンシア公爵邸はどこも本当に花が綺麗です!」
目を輝かせながら周りの花々を眺めるシェリルを見ながら、シオンも優しく微笑んだ。
「シェリルは花が好きなんだな。」
「はい。花を見ていると励まされるというか、元気が湧いてくるんです。」
まだ寒さの残る時期だというのにヴァレンシア公爵邸の庭園は暖かな陽射しが差し込み、まるで季節を先取りしているかのようで、優しい花の香りにシェリルは心が満たされてゆくようだった。
春の光と花々に包まれるシェリルを見て、シオンは懐かしさを感じながらようやく手に入れたこの瞬間を深く味わうかのように眺めていた。
「春の日差しを浴びたシェリルを見ていると、シェリルに出会った日のことを思い出すよ。…少し、歩こうか。」
手を繋ぎながらゆっくりと庭園を散策する。ここ数日ずっとシオンから手を握られていたからか、魔力の流れを意識することなく自然と繋がりを感じられる。
(不思議だな。あれほど魔力の流れにドキドキしていたのに、今はこれが当たり前みたいに感じてる)
しばらく二人でとりとめのない話をしながら歩いていると、少し離れたところに白い柱で囲まれた小舎が目に入る。シオンはシェリルの手を引きながら小舎のある方へ足を進めた。
「あそこで少し休憩しようか。」
中にあるテーブルには水差しとグラス、軽く食べられる焼き菓子が置いてあった。シオンが使用人に伝えていたのか、それとも公爵家の使用人が先回りして気を利かせてくれたのかはわからないが、シオンはその水差しからグラスへ水を注ぐとシェリルに手渡した。
「ここから見る庭園の景色も綺麗だろ。ヴァレンシア家は本当に光に溢れている感じだよな。…俺には少し眩しすぎるけど」
遠くを見つめるシオンの瞳はどこか寂しげで、シェリルも同じように視線を向けた。確かにノアール家と違い、ヴァレンシア家は全体的に光を浴びているような多幸感に溢れている気がする。
(シオン様は、本当は私をノアール家に連れて帰りたかったかもしれないのに、もしかしたらノアール家で療養するよりもここにいた方がいいと判断してくれたのかもしれない)
シオンは庭園を見つめながら、何かを考えているようだったが、しばらくしたあと視線をシェリルの方へ向けると、優しく微笑んだ。
「今のノアール家には女性がいないからね。庭園にはあまり花々は植えられていないけど、今後はこれくらい花を植えてもいいのかもしれないな。シェリルが好きな花をたくさん植えよう」
そういうと、机に置いたシェリルの手に自分の手を重ねると、ブルーグレーの瞳をまっすぐにシェリルへと向けながら話を始めた。
「リガードから話を聞いた後、父親と話したよ。きっと父も昔は苦しんでいたんだろう。いろいろ複雑な思いがあるみたいだったけど…最後には理解してくれた」
シオンはその時の情景を思い出すかのように少し目を閉じると、再びシェリルへと瞳を向けた。
「だからもうこれで完全に俺たちの間に障壁はなくなった。だからってわけではないし、シェリルが本調子じゃないってわかってるんだけど…俺はもう絶対にシェリルを手放さないって決めてるから、それなら早い方がいいなって思って。」
遠回しにいろいろ言うシオンの話にシェリルの心臓は早くなっていく。シオンはそんな困惑したような表情のシェリルを見ると立ち上がり、シェリルの隣に立つとその場に膝をついた。
ポケットから小さな箱を取り出すと蓋を開け、中から光を浴びて白銀色に輝く宝石のついた指輪を取り出すとシェリルの左手を掬い取り、そっと薬指へと指輪をはめた。
「強引だなって思うけど…この指輪を受け取って欲しい。俺はもう、二人の未来を一人で決めたりしないから。これからはどちらかが守るんじゃなくて、二人で決めて生きていきたいんだ。だから…俺と結婚してほしい。」
少し不安が混ざったような、真剣な表情でシェリルをまっすぐに見つめながら、シオンはシェリルにはっきりと伝えた。
シェリルは立ち上がると、その場にしゃがみ込み、きつくシオンを抱きしめた。シオンの不安が伝わってくるような気がして、シェリルは抱きしめる力をより一層強くした。
「私の目が覚めた日、私のことをもう二度と手放さないって言ってくれましたよね。私も、シオン様と同じ気持ちです。絶対にあなたを手放さない。あなたと二人で生きていきたい——」
シオンは強張っていた体を少し緩めると、シェリルの背中へと腕を伸ばすと包み込むように抱きしめた。
「シェリル、ありがとう——」
少し力を緩めると、お互いに上体を離し、ゆっくりと見つめ合う。
「もう二度と放さない。シェリル、愛してる」
シェリルがそっと目を閉じると、涙が頬を伝う。シオンはシェリルの頬に流れた涙を大事そうに指ですくい取るとそっと頬に手を添えた。そのまま柔らかな唇が重なるのを感じ、シェリルはすっと首元に手を絡めた。
ついばむようなキスを何度も繰り返しながら、ほんのりと暖かな春の庭園で花の香りに包まれる。
二人の中に流れる魔力はまるで最初から一つだったかのように、自然に身体中を巡りだしていた。




