第36話 もう二度と離さない
(あれ…?私、何してたんだっけ…?」
「――シェリル」
(あの頃の、シオンの声…。懐かしい…。ああ、そうだ。シオンに魔力を分けてあげたんだ。私、死んじゃったのかな?…心の中が暖かい感じ。ずっとこうして感じていたいな…)
「シェリル、おねがいだから…めをさまして――」
(シオン、大丈夫。泣かないで)
「もう、いなくならないで――」
(いなくなったりしないよ、私はここにいるよ)
「頼むから…目を開けてくれ」
(シオン様…?)
「俺は、お前がそばにいなくても、生きていてくれさえすればそれでよかったのに——」
(どうしてそんなこと言うの。私は、ずっと、あなたといたいのに――)
意識が混濁する中で、シェリルは夢から覚めるような感覚と共にゆっくりと目を開いた。
目の前に見える天井は高く、視線を動かすと天蓋の柱が見えたことから、自分はベッドに寝ているのだと気がついた。
(ここは、どこ…?ああ、体の動かし方がわからない——)
ゆっくりと体の先端へ意識を向けていくと、徐々に足先や手の感覚が戻ってくる。
指先を少し動かすと、手のひらが包まれていることにようやく気がつき、視線を向けた。
「シオンさま——」
シェリルの手を握り締め、自身の額に手を当てて祈るように顔を伏せたまま、シオンは静かに座っていた。
シェリルに声をかけられたあと、わずかに握られた手が震える。顔を上げようとしないシオンに、シェリルは再び声をかけた。
「…泣いてるんですか?」
ゆっくりと顔を上げたシオンの表情はなく、瞳は赤く充血し、静かに一筋の涙が頬を伝って流れた。潤んだブルーグレーの瞳はキラキラと光を反射させていて、目が離せなくなる。
「俺のこと、わかる?」
涙を拭き取る気力もないのか、静かに涙を流しながら不安そうな顔でシオンはシェリルに問いかけた。
「ちゃんと、わかりますよ。——シオン様。」
シェリルは繋がれた手をそっと話すと、シオンの頬に手を伸ばした。そっと涙に指を添わすと、冷たい雫が指を伝う。
シオンは頬に添えられたシェリルの手に自身の手を重ねると、そのまま頬に沿わせ、愛おしそうに目を閉じた。
「本当に、シェリルなんだな…。シェリルが意識を失ってから十日間、生きた心地がしなかった。また俺を助けて、お前がいなくなるなんて、俺は耐えられない。」
訴えるような苦しい表情で静かに涙を流しながら言葉を紡ぐシオンに、シェリルは胸が締め付けられる。重ねた手からはお互いの魔力が流れ込み、その魔力量に安堵しながらシェリルはゆっくりと話し出した。
「私、あなたを助けられたんですね。」
シオンの頬と手に挟まれたシェリルの手から、じんわりと暖かさが伝わって、愛おしさが増していく。
「全部思い出したんです。幼い頃に何があったのかも…。あなたを一人にしたくないって、あの頃もずっと、そう思ってた。なんで忘れちゃってたんだろう…。」
シェリルは上体をゆっくりと起こし、シオンの方へと体を向けたあと、シオンから溢れた涙をもう一度指で掬い取り、話を続けた。
「これまで一人でいろんなことを抱えさせてしまってごめんなさい。これからは、全部二人で乗り越えたいんです。抱えているものがあるなら、あの頃みたいに全部話してほしいんです。」
シオンはそっとシェリルの手を取りベッドの上に置くと、手を握りしめたまま深く息を吸い込むと、シェリルをまっすぐに見つめた。
「シェリル。俺は、お前のことになると、臆病な…あの頃の弱い自分に戻ってしまう。俺の近くにいない方がシェリルは幸せになれると思ってた。…少し、話を聞いてほしい。」
シオンの真剣な表情に、シェリルは目を見つめながら頷いた。
「俺たちの中には同じ魔力が流れているだろう。魔力が同じもの同士は…将来子供が出来た時、子供の魔力に悪く影響してしまう可能性が高い。俺は、自分や自分の母親が味わったような辛い思いをシェリルにも子供にも味わって欲しくない。だから、シェリルから離れた。」
シオンは一呼吸置いた後、まるで何かを決意したように、強い眼差しをシェリルへと向けた。
「でも、シェリルが目を覚まさなかった十日間、本当に生きた心地がしなかった。俺のためにまた命を落としたり、俺の知らないところで危険にあうなんて、もう絶対に嫌だ。俺は、シェリルに守られてばかりだけど、シェリルの目が覚めたら、絶対に今度は俺が守るって決めたんだ。俺はシェリルのことを、もう二度と手放さない…手放したくない。自分勝手かもしれないけど、こんな俺でも、シェリルは受け入れてくれる…?」
シェリルはシオンの言葉を聞いて全てを理解した。あの舞踏会のあとから、シオンがどれだけ一人で苦悩してきたのか、考えるだけでも胸が苦しくなる。
目の前のシオンの顔が涙で滲む。瞬きをするたびに、瞳から溢れ出る涙は止まらないが、シェリルはシオンへとびきりの笑顔を向けた。
「そんなの、わかりきってます。私は絶対にシオン様を一人にしません。それに、私は守られてばかりの人間じゃないってシオン様も知ってますよね?私の心はちょっとやそっとじゃ折れたりしません。意外とタフですよ。」
シオンはシェリルの言葉を聞いて、心の底から安心したようで、力の入っていた肩をふっと下ろすと、今度はシェリルの涙に自身の指を沿わせた。
「子供のことや魔力のことも…これから二人で何か方法がないか探しましょう。一人で考えるよりも二人で考えた方が絶対いいに決まっています。」
「そうだな…」
二人で視線を合わせると、どちらともなく微笑みが重なる。
シェリルもシオンも、ようやくお互いの気持ちが繋がり、安堵で心は満たされていた。
ふと、先ほどからシオンが言っていたことに立ち帰り、シェリルは辺りを見渡した。
「そういえば、私って十日間も眠っていたんですか?あの遠征はどうなったんですか?それに、随分いいお部屋で寝ていたようですが、ここってどこなんでしょうか?」
「俺はシェリルが魔力をくれたあとしばらくしてから目が覚めたけど、シェリルは十日間眠り続けてた。遠征はそのあとすぐに終わったんだ。瘴気が沸き続けてたのは、呪いがかかった魔道具が設置されていたからだったんだが、どうやらルカを失脚させたい連中が仕掛けていたらしい。シェリルと俺が会ったあの男は見つかっていないけど、あの遠征中に騎士が少なくなるのを見越してルカを狙っていたんだろう」
シオンは慌てる様子もなく、淡々と状況を説明する。まさかルカを陥れるためだったなんて夢にも思わなかった。
「もちろんルカは無事だから安心して。それから、ここは王都にあるヴァレンシア公爵邸で、リガードがここが一番いいだろうってことで部屋を用意してくれたんだ。そうだ、すぐ医者を呼んでくるから待っててくれ。シェリル、絶対動かないように。」
そう言って突然立ち上がると、慌ただしく部屋から出ていった。
シェリルはシオンが出ていったあと、そのまま背中から後ろへ倒れ込むと横になり、ふかふかの枕をぎゅっと抱き締めた。
まだ体はだるさが残っているが、そんなことよりも、シオンとの関係が前に進み、ようやく実ったことに心の底から安堵した。




