第34話 もう一度
あれからどれくらい時間が経ったのだろう。
ここまでの道中、馬車の中でルカはずっとシェリルに寄り添って肩を貸してくれていた。シェリルはひとしきり泣いた後、放心状態で何も考えることができなかったが、沈黙を破ったのはルカだった。
「シェリル、馬車が止まったようだから、一度外の空気を吸いに出てみないか?」
優しい声でシェリルの顔を覗き込む。透き通るようなグリーンの瞳に間近で見つめられ、シェリルはハッと我に返った。
「ずっと寄りかかってしまって、すみません…。そうですね、一度外に出てみます。」
シェリルがそう言うと、ルカは優しく微笑んでシェリルの肩から手を離した。
ルカは立ち上がるとシェリルよりも先に客車の扉を開け、外にいる従者へ声をかけた。
慌てた様子で従者が踏み台を用意すると、ルカは慣れた足取りで馬車を降りた。
「シェリル、おいで。空気が澄んでいて気持ちがいいよ。」
外から扉の方へ乗り出してルカが手を差し伸べる。シェリルはそっとその手に自身の手を乗せると、客車からゆっくりと外へ出た。
辺りは深い森の中で、目の前には小さな湖が広がっていた。湖の隣には小さなログハウスと馬小屋があり、湖では馬たちが道中の疲れを癒すかのように水を飲んでいた。
外の景色を見ていなかったシェリルはその穏やかな光景に目を奪われ、心が澄んでいくのを感じた。
「ここで馬を交換するようだから、しばらくゆっくりしていよう。俺は少し外すけど、大丈夫?」
シェリルが頷くのを見てルカは安心したようで、ログハウスの方へ足を進めた。
シェリルは湖の近くにある切り株に腰を下ろすと、綺麗に透き通った目の前の湖に視線を向けた。
湖には太陽の光が当たってきらきらと反射している。空気は冷えているのに、風がないからか日が当たるとじんわりと温かく感じた。
シェリルは冷たい空気を深く吸い込むと、大きく息を吐いた。
吐いた息は白い蒸気になって浮かびやがて消えていく。
二度大きく深呼吸をすると身体中の滞っていたものが入れ替わるような感覚と共に、だんだんと気持ちが落ち着いてくるのを感じた。
しばらく馬を眺めたり、森の音に耳を傾けたりしてぼーっと過ごしていると、後ろから足音が聞こえて振り向いた。
「シェリル、お待たせ」
ルカは手にトレーを持ちながらシェリルへと声をかけた。トレーの上には2つの器とパンを乗せており、器の中には温かいスープが入っていた。
「寒くなかった?これを飲んで少し温まろうか。」
シェリルに柔らかい笑みを向けながら近くのテーブルとベンチへ行くよう促した。
それぞれ椅子に座ると、ルカがシェリルの目の前にスープとパンを置いたため、シェリルは礼を言うと温かいスープを口に運んだ。
体の中から暖かさがじんわりと広がり、ほっと力を抜く。
「少し落ち着いた?」
「だいぶ落ち着きました。馬車では、取り乱してしまって…すみません。話をしてくださってありがとうございました。この遠征が終わったら、もう一度シオン様に話をしてみようと思います。」
決意した表情のシェリルを見て、ルカは満足そうに微笑んだあと、器へ視線を落としてスープを口に運んだ。
スープを飲みながら15分ほど休憩していると、ルカの従者が出発の知らせを言いにやってきた。ルカは二人分の器の乗ったトレーを従者に渡すと、「じゃあ行こうか。」と言い、馬車の方へ歩き出した。
二人を乗せた馬車はその後も窓の景色をさまざまに変え、馬は駆け足でベース地へと向かっていた。
ルカは「朝が早かったからなんだか眠くなってきたよ。ついたら起こしてくれる?」と言うと、腕を組んで目を瞑ってしまった。
恐らくシェリルが何か話さないといけないと気を使うのではないかと考えたのだろう。
ルカの気遣いのおかげで、シェリルは一人で外の景色を眺めながら早朝に聞いたルカの話を思い返していた。
過去の自分がしたことのせいで、シオンの母親は結果的に死に、シオンに辛い思いをさせてしまったのだ。
しかし、シオンがかつてシェリルに『シェリルの心が思い出すことを拒んでいるのであれば、正直無理に思い出して欲しくない』と言っていたことを同時に思い出す。
幼少期の記憶をシェリルが思い出してしまえば、どれほど罪悪感を抱くか、シオンはわかっていたのだろう。
(私を傷つけないために、ずっと黙っていてくれたのね…。)
シオンの思いに今更気づき、シェリルはまた目頭が熱くなる。今は感情の起伏が激しくコントロールが難しい。
涙を拭うと、シェリルはこの遠征が終わったらシオンともう一度ちゃんと話すと決意し、徐々に遠征のことを考えようと客車の窓から次々に変わる景色をただひたすら眺めていた。
それから結構な時間が経ち、空は今にも日が沈みそうな黄昏時の綺麗なグラデーションに染まっていた。
ルカはあのあと、本当に眠ってしまったようだった。すやすやと眠るルカを見て思わず苦笑してしまう。
「ルカ先輩、ついたみたいです。」
ルカの肩を控えめに叩くと、ルカは眠そうな目を開けながらシェリルの方へ視線を向けた。
「ん…俺どれくらい寝てた…?」
ルカは手で顔を覆って、前屈みになると、小さなため息をついた。
「あれから結構眠っていましたよ。でも、ぐっすり眠れたみたいでよかったです。」
シェリルはルカへはにかむような笑顔を向けた。その顔はもう苦悩や悲しみに満ちた顔ではなく、これから遠征に行くためのしっかりとした顔つきに戻っていたため、ルカは安堵した。
従者が扉をノックをする音が聞こえ、ルカは「開けていい」と簡潔に伝えると、客車の扉が開いた。
すでに踏み台が用意されていたため、ルカから先におり、シェリルへと手を差し出した。先ほどのように手を重ねて客車から出ると、眩しいくらいの夕日が差し込んでくる。
冬の澄んだ空はオレンジからブルーへと綺麗なグラデーションに染まり、シェリルはぐっと上に姿勢を伸ばしながら空を見上げた。
「ルカ先輩、空が綺麗ですね。」
振り向いたシェリルのブラウンの髪が揺れ、夕日に染まり綺麗な琥珀色へ輝きを放つ。ルカの方を見ながら微笑むシェリルの瞳は陽の光を吸い込んでキラキラとアンバーの宝石のように輝いていた。
「ああ、綺麗だな。」
ルカは眩しそうに目を細めながらシェリルを見つめて苦笑すると、今度はシェリルの隣へ行き、声をかけた。
「もし辛いことがあればいつでも頼って欲しい。話し相手くらいにはなるし、俺はずっとシェリルの味方だから。」
そう言ってシェリルに微笑むと、シェリルは意表をつかれたような表情のあと、ふわりと笑い、「ありがとうございます。」と答えた。
少し先にはベースキャンプのテントがはられているのが見えたため、二人で足を進め出す。
「さあ、これから任務頑張りましょうね!!」
シェリルは気持ちを切り替えると、進む足を早めた。




