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第31話 もう少しだけ

 シオンへ宣戦布告をしたあの日から、シェリルは自分から積極的に行動に移すようになっていた。


『コーヒーを淹れたので、飲みませんか?』

『ここのマカロン、美味しいんですよ。よかったらシオン様もどうぞ!』

『シオン様、疲れてませんか?肩とか治癒で癒しましょうか?』


 恋愛経験のないシェリルは、“振り向かせる”と言っておきながら何をすればシオンが振り向いてくれるかわからず、あの手この手を使って気を引こうと必死だった。

 シオンは断るようなことはなかったが、半ば呆れたような顔をされることも少なくなかった。


「シオン様、今日はお天気がいいので温室の方でお昼を一緒に食べませんか?」


 今日はいつもより踏み込んで誘ってみようと思い、昼食に誘ってみると、シオンはあっさりと「いいよ」と返事をしてくれた。


 二人は施設内にある温室のベンチに座ると、シェリルは持ってきていたサンドイッチを広げた。誘っておいて今更だが、公爵家の人間にこんな質素なサンドイッチを食べさせて良かったのだろうかと後悔する。


 シェリルの疑念とは裏腹に、シオンが出されたサンドイッチを次々に食べて行くので、そこまで気にしなくても良さそうだった。


 温室の中は暖かく、透明なガラスの天井からは冬の日差しが降り注いでいた。シェリルもゆっくりとサンドイッチを食べながら、二人で過ごす時間に浸っていたが、シオンは至って普通の反応で、決してこれまでのような2人の空気感ではなかった。


「サンドイッチ、おいしかったよ。ありがとう。」


 シェリルに笑顔を向けるものの、手応えのない反応に不安が押し寄せてめげそうになる。気づかれないように他愛無い会話で繋ぎながら過ごしていると、シェリルの話に時折屈託なく笑う姿を見て、内心ほっと胸を撫で下ろすのだった。


========


 まだ寒い冬が続いていたある日のこと、シェリルはなかなか終わらない書類仕事をようやく終え、急いで荷物をまとめると、執務室を出た。

 

 まだ午後7時をすぎた頃だと言うのに、冬の空には細い月が浮かんでいるだけで辺りは暗く、魔法灯の灯りだけが青白く等間隔に光っていた。

 夜の凍えるような寒さの中、足早に門のところまで出ると、止まっている馬車の前で見慣れた姿の人が立っているのが見え、咄嗟に近くの木の裏に隠れてしまった。


 馬車の窓から顔を出した可愛らしい令嬢は18歳くらいだろうか。顔を赤らめながらシオンの方を見つめて会話をしている。


「じゃあ、気をつけて。また何かあればいつでも連絡してくね」

 

「シオン様、ありがとうございました。今日一日色々と教えてくださって、王都で一緒に過ごしてくださって…感激でしたわ。よろしければまた今度是非うちにもいらしてください。その、父も喜びますので」


「ああ、ぜひ行かせてもらうよ。お父上にもよろしく伝えておいてくれ。」


 そう言うとシオンは令嬢の手の甲へと口付けた。

 社交辞令でよくすることだとわかっていても、シェリルはその光景に思わず目を背けてしまう。


 シオンが御者に合図を送ると、そのまま馬車は走り出し、石畳の上を音を立てて進みながら王宮の敷地から出て行った。


 会話の中から、シオンがあの可愛らしい令嬢と今日一日を一緒に行動しており、さらに後日の約束までしたことまで知ってしまった。

 “父”という言葉が出てきたということは、どこかの名のある貴族の娘なのだろう。シオンが自分の知らないところで他の女性とも交流があることを知り、胸の奥がまるで鋭利なもので刺されたかのようにじくじくと傷む。


 完全に出て行くタイミングを逃してしまったシェリルが見つからないことを祈りながら木の影に座って隠れていると、頭上から大きな影が覆い被さってきてパッと上を向いた。


「シェリルはこんな暗い時間にこんなところで何をしているのかな?」


 口元は笑っているのに、目には一切光りが宿っておらず、シェリルはなぜか咎められているような感覚に陥る。


「あ、えっと…この時間まで仕事をしていて、たまたま帰る時にシオン様がご令嬢と話をしていたのが見えたので、つい…」


 自分よりも大きな体に上から見下ろされた圧迫感で、シェリルはこの状況を正直に説明してしまうと、先ほどの令嬢とのやりとりを盗み見たことに対する罪悪感から目を逸らした。

 シオンは気だるげにため息をつくと、上体を起こしながら前髪をかき上げた。


「こんな暗くなってから一人で帰る気だったの?危なすぎるでしょ。…家まで一緒に行くから、早く立って。」


 シオンはシェリルから少し離れ、シェリルが立ち上がるのを待っているようだった。シェリルが後ろの木に手をついて、ゆっくりと立ち上がったのを確認するとシオンはスタスタと歩き出した。シェリルは慌てて後について行くが、なぜか苛立っているようなシオンにシェリルは不安になりながらも、声をかけた。


「シオン様、あの…何で怒ってるんですか?」


「別に怒ってない。」


 こちらも見ずに不貞腐れたように答えるシオンに、シェリルは訳がわからずただ一歩後ろからシオンについて行くしかなかった。


 気まずい空気が流れている中で、沈黙を破ったのはシオンだった。


「前にも言ったけど、お前は自分のことを軽く考えすぎだよ。もっと危機感を持って。月明かりもないこんな暗い夜に一人で歩いて何かあったらどうすんの?」


 早足で歩きながら苛立ちを隠しきれないように声を荒げて話すシオンに、シェリルは目を丸くした。


「…もしかして、心配して怒ってたんですか?」


 シェリルが遠慮がちに声をかけると、シオンは不機嫌そうな目をシェリルに向けた後、「そうだよ」と一言付け加えた。


 その反応は、本気でシェリルのことを心配しているように見えた。

 対して当たり障りのない笑顔を向けてきていた最近のシオンよりも、かつてのシオンを感じるような気がして、シェリルは懐かしい感覚が蘇った。


 シオンの不貞腐れたような態度に、控えめに笑うシェリルを見て、シオンは「笑い事じゃないからね。」と言うと、歩く足を少し緩め、シェリルの歩幅に合わせるようにゆっくりと速度を落とした。


「こうして街を二人で歩くのも、なんだか懐かしいですね。それに、今日は三日月だから、星が綺麗に見えますね。」


 空を見上げながら歩くと、静かな時間は会話がなくとも心地の良く、冬の澄んだ空気が心を浄化してくれるように感じられる。


 二人で歩いていると、あっけなくシェリルの住む煉瓦作りのメゾンが見えてきてしまい、家に着いてしまった。


(もう少し一緒にいたいな…。)


 家の前で二人で立ち止まると、どうしても聖夜祭の夜を思い出してしまう。シェリルは名残惜しさと寂しさを感じ、考えるよりも先に口を開いていた。


「あの、冷え切っちゃいましたし、暖かい飲み物を用意するので少し上がっていきませんか?」


シェリルがそう言うと、シオンは一旦考えたようなそぶりを見せた後、「じゃあ、少しだけ。」と苦笑した。

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