第3話 巡る魔力
ゴーンという大きな鐘の音でハッとして顔を上げると、気がつけば時計は正午をとうにすぎ、高い位置から差していた太陽の光りは下がり始めていた。
目の前の書類に夢中になり、もう少し、もう少し、と時間を伸ばすうちにいつしか時計の針は15時をさしていた。
リガードとシオンはどこかへ行ったきり帰ってきておらず、1人だったこともあり集中しすぎてしまっていた。
(すっかり夢中になってしまっていたわ。それにしてもこの資料、おもしろい…!)
シオンに押し付けられた書類の山を確認し始めてから、あまりの興味深さに夢中でページを捲りながら読み進めてしまっていた。
書類には古くから王宮とこの魔導研究施設に保管されている魔道具のことや魔力の情報がまとめられている。この場所で働くためにはこれらの知識は必須であり、また、所属する魔導士として新人が最初に与えられる教育の一つなのだろう。
シェリルはこの世界に転生した十七歳の頃から、この世界の魔法について学ぶことが唯一の楽しみだった。この職場は彼女にとって、いわば天職とも言える場所だった。
(一度休憩しないと、初日からこんなに飛ばしていたらいけないわよね。)
昼食を食べることも忘れるほど没頭してしまっていたため、ふーっと深く息を吐き、天井を見上げる。窓からは気持ちの良い光りが差し込んでおり、気晴らしに施設の中を歩きに行こうかと思った時だった。執務室の外から激しい爆発の音がして扉の方へ目を向ける。
(なに!?)
爆発の音からして、実験室の方だと推測し、すぐさま立ち上がり、執務室のドアを開ける。実験室と執務室の間には長い廊下が挟んであるにも関わらず、ドアを開けた途端、禍々しい魔力の波がもうそこまで来ているようで思わず手で口を覆った。
「第三実験室で魔導具の魔力暴走が発生!全員直ちに外に避難しろ!」
実験室の方から、叫び声とともに異変を知らせる声がする。状況を把握したシェリルが、逃げ惑う人たちと一緒に出口の方へ向かおうとした時だった。実験室の方から来た一人の女性がシェリルの服を乱暴に掴んだ。
「もしかして、魔導師の方ですか!?あの、実験室にまだ人が取り残されているんです!!」
緊迫した面持ちでシェリルの服を掴むと、藁にもすがるような迫力で訴えかけてきた。この魔導研究施設では魔力の弱い民間人も多く働いているのだ。
新人とはいえシェリルは聖魔導師として、目の前にいる助けを求める人を無視して逃げるような気持ちには到底なれなかった。
「わかりました!私が行くのであなたは早く逃げてください!」
そう言うと少しホッとしたような顔つきで、女性は出口の方へ走り出した。持っていたハンカチに魔力防御の聖魔法を展開した後、そのハンカチで口を覆うと、シェリルは自分の足を『第三実験室』へつながる廊下へと踏み出した。
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(な、なんなの、この禍々しい魔力は…!一体なんの魔導具が暴走を起こしたらこんなことになるっていうの…!?)
第三実験室の扉は衝撃で吹き飛んだのか、部屋の中につながる入り口に扉はなくなっていた。意を決して実験室の中に入ると、数人の人が倒れていた。
(急いで治癒しないと…!)
一人一人のところに駆け寄り、治癒魔法を展開する。治癒とともに意識を取り戻した人から外に誘導し、入り口の方まで進むように促した。最後の一人の治癒が終わり、入り口まで誘導した時だった。それまで漂っていた魔力が意志を持ったかのように蠢き、天井を揺らし暴れ出した。ミシミシと音がしたため、思わず見上げると、実験室の天井が今にも崩壊しそうになっていた。
「危ない!!」
そう叫んで、咄嗟に誘導していた男性の背中を入り口の外へ押した。
(やばい…!防御魔法の術式展開が追いつかない…!)
一人取り残され、上からは容赦なく天井の瓦礫が降り注ぐ。シェリルが自分の頭を守るように手で抱えてうずくまったその時だった。
ぐっと肩に人の暖かさが密着する。がっしりとした骨ばった腕が肩に周り、密着した体からはアンバーの甘い香りがふわりと漂った。
目を開けて上を見上げると、真剣なブルーグレーの瞳が真っ直ぐに前を向いていた。肩に回された腕はキツく、絶対に離すことはないという強い意志を感じてシェリルは初めて自分以外の頼れる上司が来てくれたことを実感し安堵した。
頭上では天井の瓦礫が薄暗い影のベールに包まれ、ピタリと止まっていた。
「全てのものを包み込め。」
空いた方の手を前にかざしながら、抑揚のない落ち着いた声色でそう発せられた瞬間、床に落ちていた影たちがまるで生を得たかのように動き出し、部屋の中に降り注いでいた瓦礫の全てを受け止める。
「シオン様、ありがとうございます…」
そう声をかけると、シオンは目線だけちらりとシェリルの方へ落とすと、ようやく口角を上げて表情を崩した。
「ほんっとに、普通出勤初日にこんな無茶な単独行動する?まあ、なかなか肝が据わってて俺は嫌いじゃないけど。あとでこっぴどくリガードに叱られると思うから、覚悟しときなね」
そう言って笑うと、シオンは右手を口元に持っていくと手にはめている黒いフィンガーレスグローブの端を慣れた様子で小さく咥え、そのまま手袋を滑らせるように外した。その口元が妙に艶めかしく、昨夜の光景を思い出してしまい、シェリルはパッと下を向いた。
「新人ちゃん、よく見ときな。こんな機会あんまりないからね。」
そう言うと、シオンは右手を前に出した。シェリルが顔を上げると、真剣な表情のなかに少し含みのある笑みを浮かべながら手袋を外した右手を前に出すと、言葉を唱えた。
「…全てのものを影の闇へ飲み込め」
その言葉と共に、床から黒い影が広がり出し、禍々しく漂っていた魔力や実験室のありとあらゆるものが一瞬で影の中へ吸い込まれていく。その現実とは思えない目の前の出来事と圧倒的な力にシェリルは気圧され、息をすることすら忘れてしまう。
一瞬の出来事のあと、空になった実験室は静まり返り、先ほどまで漂っていた禍々しい魔力も跡形もなく消えてしまっていた。
遠くの方で怪我人の対応をしているであろう人々の慌ただしい声が小さく聞こえてきたことで、初めて全てが終わったのだと理解した。
大きく息を吸い込むと、シオンの左腕の力もふっと緩んだ。ハッとして慌てて体を少し右側にひねると、シェリルは口を開いた。
「シオン様、助けてくださりありがとうございました。」
シオンの顔を見上げてお礼を言うと、シオンは満足そうな表情で微笑んだ。その表情にホッとしてシェリルも全身から力が抜ける。それを確認したかのように、シオンの腕がシェリルから離れた。
「さ、全部終わったから、俺と一緒にリガードのところに行くよ。」
そう言って立ち上がるので、シェリルも立とうとするが、力が入らないことに気がついた。
(ダメだ、腰が抜けて立てそうにない…)
その様子を見て立てないのだと察したシオンは、シェリルの方へ右手を差し出した。シオンの右手に促されるまま、考えるより先に自身の右手を上から重ねた。
その時だった。
繋いだ右手からぐわりと体内に何かが押し寄せる。初めての感覚に、最初はそれが魔力だと気が付かなかった。
どくりと心臓のあたりが激しく波打つ。流れてきたのは間違いなくシオンの魔力だった。繋がれた手から容赦なくシオンの魔力が流れ込む。
本来であれば失神していてもおかしくない他人の魔力の突然の流入。しかし、それは驚くほどに心地よくお互いの体中を巡り出していた。
「シ、シオン様、これは一体…!?」
驚いてシオンを見上げると、同じく困惑した表情を浮かべており、国一の魔力を持つ彼にとっても初めてのことなのだと理解する。
シオンは戸惑った表情で繋がれた手を見つめた後、何かを確認するようにゆっくりと目線をシェリルへと向けた。
困惑した表情のままお互いに見つめ合った時間は、まるで永遠に続くかのように長く感じる。
しかし困惑とは裏腹に、その時間はまるで世界に二人だけしかいないような静けさと魔力の巡る心地よさで包み込まれていた。
周りの情景はぼやけて一切入ってこない。シェリルは吸い込まれるような影の魔力を浴びながら、その心地よい感覚に浸ってしまう。
近くに建てかかっていた扉が突然がたりとバランスを崩して倒れた音が響き、はっと我に返ったシオンはシェリルの手をパッと離した。
シオンは口元を手のひらで覆い横を向くと、真剣な面持ちで何か考え込んでいるようだった。重たい空気の中、いたたまれなくなり、シェリルは思わず声をかけた。
「あの…シオン様…?」
すると、シオンは一呼吸置いてから口元から手を下ろし、すぐに貼り付けたような笑みを浮かべた。
「新人ちゃん、ごめんね。間違えて手袋してない方の手を出しちゃったから、魔力制御できなかったわ。さっきの術式展開の余波が残ってたみたい。もしかしたらちょっと体調悪くなっちゃうかもしれないから、今日はもう帰りな。」
そう言って、手袋をはめた左手をシェリルの頭に軽く乗せると、そのまま薄暗い影の刺す廊下へ歩いて行ってしまった。シェリルはその場に座り込みながら、何がなんだかわからずシオンの後ろ姿をただ眺めることしかできなかった。




