第29話 私を忘れないで
月曜の朝は眩しいほどの快晴で、窓を開けると凍えるような風が入り込んでくる。澄み切った空気は部屋の中の鬱々とした空気を浄化するように部屋の中から外へと循環し、シェリルは窓から入る空気を大きく吸い込んだ。
月曜日だというのに体は重く、どうしても職場へ行く気になれず、赴任してから初めて仕事をズル休みをしてしまった。
コンロのあるキッチンへ行くと、ホーロー製のケトルに水を入れ、火にかけた。
湯が沸くのを待ちながらシェリルは棚の上に置いた、渡せなかったシオンへのプレゼントの包装を見ながら、聖夜祭の時のことを思い出した。
待ち合わせして一緒に聖夜祭を過ごした時までは幸せな時間だったのに、どこで掛け違えてしまったのだろう。
週末の聖夜祭のあとは、何をしていても悲しみが湧き上がり気がつけば涙が溢れ出して何も手につかなかった。この二日間落ちるところまで落ちたシェリルはようやく三日目の朝を迎えてから、だんだんと頭が冷静さを取り戻しつつあった。
ケトルの注ぎ口から湯気が立ち上がってくると、火をとめ、用意していたティーパックを入れたカップへと注ぎ込んだ。
そのままテーブルへと移動して椅子に座ると、暖かくなったカップに手を添えながら窓の外へと目線を向けた。
塞ぎ込んだ自分の気持ちとは正反対の澄み渡った空を眺めていると、自然と気持ちが落ち着いてくる感じがした。
温かい紅茶を口に運ぶと、ゆっくりと内側から温まってくる感覚に浸る。内側から体を温めていると、不思議と気持ちも軽くなるようだった。
部屋の端に置いているラダーラックへ目を向けると、聖夜祭の夜シオンが巻いてくれたマフラーをかけているのが目に入る。
シェリルは立ち上がり、マフラーをそっと手に取ると口元に持って行く。まだほんのりと甘いアンバーの香りがして、そこにいるはずのないシオンの存在を感じるようだった。
いつまでもくよくよしていられないな…。
そう思いながらマフラーから手を離し、気乗りしない気持ちをなんとか立て直し、身支度を整えると家を出た。
いつも通る近くのパン屋まで足を運び、お気に入りのデニッシュを購入すると、次は街の商店へと向かった。
聖夜祭を終えた街中はいつもの装いを取り戻し、街では子供達が無邪気に遊び回っていた。
自分だけが数日前のあの日に取り残されたまま鬱屈と部屋に引きこもっていたが、どれだけ落ち込んでいても街はいつも通り機能しており、時間は着実に流れている。
商店でフルーツやミルク、自炊に必要な食材を次々と購入していくと、最後に目に入った花屋に立ち寄った。
店先にあるクリスマスローズの花が目に入る。少し下を向いた花弁が寂しげで、心が惹かれていく。
「すみません、このお花を1束ください。」
シェリルが店先の女性に声をかけると、女性は慣れた手つきで1束取って紙に巻いた。
「ありがとうございます。こちらの花の花言葉のカードをつけていますので、よかったら読んでくださいね。」
女性はシェリルへ微笑むと、花を手渡した。シェリルはお金を渡すと花を受け取り、そのまま家の方へと足を向けた。
家につくとすぐに花瓶を用意して水を入れると、早速先ほど買ったクリスマスローズを差し込んだ。
鈴なりについた花が可愛く下がり、思わず見惚れてしまう。花を見るだけで心が洗われるような気持ちになり、ふと、さきほど店の女性が言っていた花言葉のカードのことを思い出し、包装紙につけられたカードを手に取った。
【 クリスマスローズの花言葉 私を忘れないで 】
うつむきがちな花とその花言葉を見て、シェリルは今の自分と重なり思わず苦笑した。この気持ちを打ち明けられるような相手もおらず、一人で抱えきれない虚しさを感じていたが、巡り合わせのように出会ったこの健気な花に、まるで気持ちをわかってもらえたような気がして、純粋に慰められた。
(ここ数日笑うことなんてなかったのに、この花を見ていると不思議と気持ちが落ち着いてくるな…ありがとね。)
シェリルは弱々しく微笑みながらそっと花弁に触れた。気持ちが落ち着いてきたことで、改めて聖夜祭のシオンの言葉を思い出す。
『お前のそれは、ただの勘違いだよ。』
『記憶のないお前に俺の気持ちなんてわからないでしょ』
最初はこの言葉に傷つき、他のことが考えられなかったが、話を切り出した時のシオンの苦し気な表情が頭に浮かぶ。
『昔も今も、本気で大事にしたいと思ったのはシェリルだけだ。』
『俺たちは、再び出会うべきではなかった。このまま一緒にいても、シェリルとの未来は考えられないし、俺は…シェリルを幸せにすることはできない。』
シオンは今でも自分への好意をはっきりと持ってくれている。それはこれまでの言動やシェリルに向けられた表情を考えれば断言できることだった。
(シオン様は、どうして私との関係を終わらせようとしたの…?魔力の量?家柄?…わかならい…私の記憶にない何かが関係しているの…?)
冷静になって考えれば、あの日のシオンの言動の矛盾に徐々に違和感が湧き上がる。
(シオン様が私のことを嫌いになったわけではないなら、私はこのまま終わらせたくない…。シオン様が私に何も言う気がないなら、私がシオン様を追いかければいい。こんなに好きにさせておいて…私のことを忘れようなんて、絶対に許さない!)
ようやく自分を取り戻したような感覚がする。こちらの世界へ転生した時と同じで、わからない状況からもがきながら動けば絶対に道は開けるはず。そう考えてシェリルは思い悩むことをやめた。
(明日、もう一度シオン様とちゃんと話そう。)
首元につけたペンダントをぎゅっと握りしめながらぎゅっと目を閉じる。決意を胸にシェリルは勢いよく立ち上がるとキッチンへ向かった。




