第28話 これでいい
聖夜祭の夜を婚約者と過ごしたリガードは、婚約者を家に送り届けた後、王都にある公爵家の邸宅でのんびりとくつろいでいた。
聖夜祭の夜の婚約者との時間を思い出しながらその余韻に浸っていると、部屋のドアがノックされる音がした。
(こんな時間に何事だ?)
時刻は深夜をとうに回っていたため、不審に思いながらもドアを開けると、少し困惑したような表情の執事が立っていた。
「どうした。何かあったか?」
いつもと違う雰囲気の執事を見て緊張した様子でリガードは執事へ問いかけた。
「リガード様、夜分に申し訳ございません。実は、ノアール家のシオン様がお見えでして…」
「シオンが?」
思いもよらない執事の返答に、リガードは目を見開いた。聖夜祭の日のこんな夜中に一人で来るなんて何かあったのだろうか。そう思いながらリガードは階段を降り、客間のある1階へと急いだ。
客間のドアを開けると、シオンがソファに座っていた。疲れ果てたような様子でリガードの方へと顔を向けた。
「こんな時間にどうしたんだ。何かあったのか?」
リガードが心配そうに尋ねると、シオンは苦笑しながら口を開いた。
「こんな時間にいきなり訪問してごめん。でも、今日はどうしてもうちへは帰りたくないんだ。今日一日だけ、ここに泊まらせてくれないか。」
こんなにも憔悴した様子のシオンは今までに見たことがなかったため、リガードは驚きの色を隠せなかった。先ほどまでは見えなかったが、こちらに向けたシオンの左の頬がほんのりと赤くなっているのに気がついた。
「それはいいけど…お前それ…」
リガードはシオンとシェリルの関係がただの上司と部下ではないことに気づいていたため、頬の赤みを見つけると、すぐにシェリルの顔が思い浮かんだ。
シオンは複雑な表情のリガードを見たあと、視線を天井に移すと、ポツリと話し始めた。
「…順調だと思ってたんだけどね。でも、俺が俺である限り、絶対にシェリルを幸せにはできない。それならもう終わりにしておいた方がいい。」
シオンは天井に顔を向けながら手で目元を覆っていたため、表情は見えなかったが、その言葉は自分自身に言い聞かせているようにも感じた。シオンはすっと立ち上がると、リガードの方へ歩み寄った。
「こっちの事情で迷惑かけてすまないな。…泊まらせてくれて感謝するよ。」
「ああ、いいんだ。ゆっくりしてくれ。」
力なく笑うシオンに、リガードは気の利いた言葉が見つからず、そのまま執事を呼びつけると、客室へ案内するよう伝えた。
事情はわからないが、シオンが多くを語らないところを見ると、こちらから聞き出すことも控えるべきだと判断した。客室の方へ歩いていくシオンの背中をリガードは見えなくなるまで眺め続けていた。
翌朝、シオンは部屋に差し込む太陽の光りで目が覚めた。乾燥した空気は澄んでいて差し込む光りは眩しく、思わず布団へ深く潜り込む。
いつの間に眠ったのだろうか…。
昨夜は部屋に着くと、テーブルに用意してあったウイスキーを乱雑にグラスへ注ぎ一気に飲み干したあと、だんだんと記憶が曖昧になっていき、気がつくと朝になっていた。
ズキズキと痛む頭の不快感とは対照的に、ひんやりとした室内で唯一布団の中だけは暖かく柔らかい。自宅に帰らず酒の力を借り、心地よよい布団で目を覚ますと、罪悪感が沸々と湧き上がり、シオンは勢いよく布団を剥がし、ベッドから起き上がった。
ベッドの側に置いてあった室内履きに足を入れるとひんやりとした冷たさが足に伝わった。そのまま洗面台のあるバスルームへと向かうと水道の蛇口を捻って水を出した。乱雑に顔を洗い、ぱっと顔を上げると鏡に写った顔をまじまじと眺めた。
「ひどい顔だな…」
目の下にクマを作った鏡の中に写る情けない男の姿を見て、シオンは苦笑した。
鏡を見ながら昨日シェリルに叩かれた左の頬に手を当てた。赤みはすでに消えていたが、手で触れると叩かれた時の感触と大粒の涙を流しながら怒りに震えるシェリルの顔が思い出され、シオンは胸の奥が絞られるような苦しさに襲われる。
顔を拭き、ベットルームへ戻ると、コンコンとノックの音が響いた。
扉の方へと進み、重厚な扉を開けると、そこには心配そうな顔をしたリガードが立っていた。
「昨日はよく眠れたか?」
苦笑しながら聞いてきたリガードを部屋の中へ入るよう促しながら、シオンは部屋の中央にあるソファへ腰を下ろした。
「公爵家の布団は寝心地がいいな。ずっとここにいたいくらいだ。」
そんなことを言った後、ふと過去の任務の際、ヴァレンシア公爵領の邸宅でシェリルが同じようなことを言っていたのを思い出した。
二度目の出会いを果たしてから、まだ一年も経っていなかったが、その短い期間の中でも記憶の中にはシェリルとの思い出が随所に残っていることに気がついた。
冗談めいて笑うシオンを見て、リガードは内心安心すると、続けてシオンへと語りかけた。
「まだシェリルが入所してまもない頃、お前との魔力の循環について聞かれたことがあった。…ずっと曖昧にしてきたが、もしかしてシェリルは昔お前の魔力暴走事故のトリガーになったあの少女なのか?」
昨日から一夜明け、冷静になったシオンにリガードは確信をつく質問を投げかけた。少しの沈黙が流れた後、シオンが口を開いた。
「そうだよ。シェリルは俺が幼い頃に好きだった、あのシェリーで間違いない。」
その言葉を聞いた瞬間、リガードは確信と同時に信じられないという気持ちに苛まれた。
「そんなことが…ありえるのか…?!だって昔、あの事件の後一度お前はあの少女に会いに行っただろう?その時、彼女の中には別の魂が宿っていたんじゃなかったのか!?」
リガードの言葉に、シオンは冷静な反応で答えた。
「そうだ。死に物狂いで調べたんだからな。でも事故の二年後会った10歳の彼女は以前のシェリーとは全く別人だったよ。ただ、今のシェリルは間違いなく本物だ。おそらく、過去の魔力暴走事故で異世界に飛ばされたシェリルの魂は別の者と入れ替わったんだろう。そして17歳の頃、こちらのシェリルが事故にあったことで再び自分の体へ魂が帰還した。そう考えるのが自然だ。…シェリルはもう、異世界での記憶がほとんどないけどね。」
そこまで一気に話したあと、「それに」と付け加えて話を続けた。
「それに、8歳までのこっちでの記憶もないんだ。だから、あの事故のことは一切覚えていない。」
そこまで言うと、リガードはただ驚いて声も出せないようだった。
「ここまでなら何の問題もないと思ってた。…自分の能天気さが嫌になる。俺は絶対にシェリルをもう二度と手放さないとすら思っていたよ。でも…俺たちに流れる魔力は同じなんだよ。根源は違うがお互いの魔力が混ざり合っているんだから。だから…子を作ったとしても魔力を持たないか、魔力に異常をきたす可能性が高くなる。」
そこまで言うと、察しのいいリガードはシオンの言いたいことを理解したようで、真剣な顔つきになり全てを悟ったようだった。
リガードは幼少期のシオンと彼の母親を知っているだけに、ノアール家においてそれがどれだけ大きな障壁になるか安易に想像がついた。
しばらく沈黙が続いたあと、リガードはゆっくりと言葉を発した。
「シェリルには、言ったのか?」
「言うわけない。言えるわけないだろ。お前が昔魔力を俺に注いだことが原因で、俺たちの魔力は同じになって、それが原因で、子供を作れば魔力を持たないか、魔力に異常をきたす可能性が高い子供が産まれるかもしれない、なんて。まぁ、シェリルならそれでもいいって言うかもな。でも…シェリルは昔の俺と母親のことは覚えていないからね。同じ地獄を自分の子供やシェリルに味わせるなんて、そんなことは絶対にできない。」
そこまで言うと、シオンは覚悟を決めたような表情でリガードの方に視線を向けた。
「リガード、ありがとう。お前と話したら頭の中が整理できたよ。やっぱり昨日の俺の判断は間違いじゃなかった。」
昨日何があったかは詳しくはわからない。だが、シオンとシェリルの関係は確実に変わってしまったのだろう。そう思うと、いたたまれない気持ちになり、リガードはシオンの肩に手を置いた。
「何か、方法はないのか…?」
シオンは小さく首を横に振った。
「それを回避できたという前例がないからね。調べても解決策はでてこなかった。もう、諦めるしかない。」
シオンは肩に乗せられたリガードの手を掴むと、そっと手を下ろした。
「これからはまた以前の俺に戻るだけだよ。」
どこか吹っ切れたような顔でリガードにそう告げた後、「昨日は世話になったね。お腹すいたし、何かあるかお前の執事に聞いてくるよ。」と、ひらひらと片手を上げながらそうと言うと、いつもの軽薄な笑みを浮かべて部屋を出て行った。
リガードはその後ろ姿をただ見ていることしかできなかった。




