第24話 本当は、ずっと
シェリルとニイナがフロアに戻ると、シオンはすでにダンスを終えたようでルカと共に壁際に立ちシャンパンを飲みながらフロア全体を眺めながら話し込んでいるようだった。
シェリルがシオンの方へ足を進めると、視界の中に姿が見えたようで、シャンパングラスをボーイに乱雑に渡し、勢いよく駆け寄ってきた。
シオンはシェリルの手を掴むと、「ニイナ様、彼女を連れ出してもいいかな?」と微笑んだ後、そのままテラスの方へとシェリルを連れて足早に歩いた。
「シオン様!?あの、ちょっと!?」
シェリルの問いかけも虚しく、早足を緩める様子のないシオンに、シェリルも懸命に歩幅を合わせながら小走りでテラスへと足を進めた。
テラスに出ると、中の喧騒が和らぎ、ガラス越しに微かにワルツが聞こえてくる。ふと空を見上げると月明かりが空全体を蒼く彩っていた。静かなミッドナイトブルーの空がシオンの髪と重なる。
シオンは何も言わないまま、テラスから階段を降りると、そのまま王宮の庭園へと足を進めた。
先ほどよりもゆっくりとした足取りになり、シェリルはほっと胸を撫で下ろす。庭園にある噴水の前に来ると、近くのベンチに二人で腰を下ろした。
シオンは大きく息を吐きながら、首元につけていたホワイトタイを乱雑に緩めると、ベンチの背もたれにだらしなく頭を預けて空を見上げた。
噴水の音が心地よく耳に響き、シェリルもふっと力を抜いた。何も話しださないシオンにチラリと視線を向けるが、シオンと目は合わない。
じっと見つめていると、シオンのじっとりとした視線がシェリルへと向けられた。
「シェリル、お前は本当にひどいね。俺は誰とも踊るなって言ったのに、ルカとあんなに楽しそうに踊って、俺が見てないとでも思った?」
勝手に不貞腐れているシオンに、シェリルも反発心が芽生えてしまい、思わず言い返した。
「あれは、ルカ様がニイナ様との時間を作ってくれるっていう交換条件で…!不可抗力だったんです」
「その割には顔を赤くして楽しそうに踊ってたけどね?」
「それはシオン様の話をしてて——」
そこまで口にした後、シェリルはハッとして口を閉じたが、すでに遅かったようで、シオンはイタズラっぽく口角を上げた。
「俺の話で赤くなってたの?ねえ、それってどんな話?」
「そ、それは、その——」
シェリルはルカに『シオンが好き』と話した時のことを思い出し、心臓が今にも飛び出しそうなほどに顔が熱くなるのを感じ、思わず視線を下に逸らした。
「ねえ、シェリル。こっち向いて。俺の、どんな話してたの?」
不意に片手を握られ、シオンの膝の上に手を引かれる。思わずシオンの方を見上げると、いつになく優しい表情でこちらを見つめていた。
吸い込まれるようなブルーグレーの瞳にまっすぐに見つめられ、思わず固まってしまう。
心地よい風が緩く吹き込み、シオンの纏うアンバーの香りが鼻腔をくすぐる。
「シェリル…」
そっと近づいてくる甘い雰囲気を帯びたシオンの顔にシェリルは思わず力が抜けて頭がふわりとした感覚になる。
雰囲気に流されそうになったが、あと数センチというところで我に帰り、掴まれていた手を引き抜くと、咄嗟にシオンの口を塞いだ。
あと数センチで唇が重なり合うというところでおあずけを喰らい、シオンは目を見開いたあとすぐに目を細め、ジリジリと冷たい視線をシェリルに向けた。
シオンは塞がれた手を無理やり掴みとると、さっきよりも強く握りしめた。口元は笑っているが、目は一切笑っていない。
「シェリルちゃーん?聖夜祭の時もだけど、そんなに俺とキスするのが嫌なわけ?」
シェリルは慌てて腕を引こうとしたが、びくともしなかった。
「そ、そういうわけじゃないんです!でも、先にシオン様には言いたいことがあって——!」
「じゃあ早く話てくんないかな?」
さっきまでの雰囲気に水を刺され、完全に不貞腐れてしまったシオンは再び背もたれにもたれかかった。シェリルはそんなシオンの態度に焦りながらも話し始めた。
「あの、本当に大事な話なんです。私のことについて、シオン様にも知っておいて欲しくて。」
シェリルが真剣な表情でシオンの方に体を向けると、シオンは再び上体を起こしてシェリルの方へ向き直り、同じように真剣な表情をシェリルへと向けた。
「前に、私は事故で記憶がなくなった、とお話ししましたよね。あれ、実は嘘なんです。本当は三年前にこの世界に…転生してきたんです。でも、転生した時に何もわからない状況で他人の体に入ったので、あまりにも生きていくことに必死で。“転生者の理”のことも知らなかったので、かつての自分の名前も忘れてしまいましたし、転生前の記憶ももう、ほとんど残っていないんです。」
シオンは何も言わず黙ったままじっとシェリルの話を聞いていた。それからシェリルはさきほどニイナと話した内容を全てシオンに打ち明けた。
「ニイナ様と話をしてわかったばかりでまだ確信は持てないんですが、おそらく私は過去にこの世界にいた、この体の持ち主であるシェリルで、もう一度自分の体に転生した、ということだと思います…。記憶がない以上今は魔力を根拠にするしかなくて。この体の中に残る幼少期の記憶が思い出せれば少しは実感がもてるのかもしれないって思っているんですが…。思い出せない以上、シオン様の思い出の中のシェリルと今の私は別人みたいなもの…なんです。今まで黙っていて、本当にごめんなさい。」
シェリルが頭を下げると、シオンは一呼吸置いた後、そっとシェリルの手を握った。
「俺は、ずっとシェリルはあの頃のシェリーと同じ人物だと思ってた。お互いの体に流れている魔力のこともそうだし、あの琥珀糖は間違いなくシェリーが作ったものと同じだと思ったからね。仮に別人だったとしても…俺はもう、今のシェリルに惹かれているよ。過去の記憶についてだけど、もちろん俺は過去俺たちに何があったか知っているし、綺麗な思い出も…そうじゃない出来事も全て覚えている。でもシェリルの心が思い出すことを拒んでいるのであれば、正直無理に思い出して欲しくないと思ってる。」
シオンの優しい言葉と、"今のシェリルに惹かれている”という“今の自分”を肯定してくれる言葉を聞いて、シェリルは堪えていた涙が溢れ出した。
「嘘ついてて、ごめんなさい。…あなたとの記憶を思い出せなくて、ごめんなさい——」
シオンは思い出さなくてもいいと言っていたが、魔力暴走事故のことや、お互いの大切な記憶を共有できないことへ苛立ちと罪悪感を感じ、シェリルは申し訳なさと歯痒さで涙が止まらなかった。
シオンは泣きじゃくるシェリルをそっと胸に引き寄せ抱きしめた。硬い胸板とがっしりとした腕に包まれると、シオンの香りをダイレクトに吸い込み、スパイシーで甘い香りに酔いしれる。その腕の中の温もりとシオンの優しさは、じんわりと心に広がっていくようだった。
「泣くなよ。俺がこのままでいいって言ってるんだからそれでいいじゃん。俺にとって今一番大事なのは目の前にいるシェリルだよ。」
そういうと、片方の手でシェリルの顎をゆっくりと上に向ける。
「はは。涙で顔ぐしゃぐしゃになってる。」
無邪気に笑いながらそっとシェリルの涙をシオンの手が拭う。そのままシェリルの頬に手を滑らせると、骨ばった大きな手で包み込んだ。シェリルは今自分の顔がものすごく醜いものになっているのではないかと思い、急に恥ずかしくなった。
「あんまり見ないでください…」
シェリルが顔を背けようとしたが、顔が固定されていてうまく動かない。
「そういう顔もかわいいよ。…もっと泣かせたくなってくる」
そのままゆっくりと顔を近づけると目を瞑り、そのままシェリルの唇に軽く口付けた。少し唇を離すと、お互いの視線がまっすぐに重なる。
シオンの瞳からは、抑えきれないほどの熱が迸り、シェリルへと向けられていた。
熱い眼差しに当てられて、シェリルは遠慮がちにゆっくりとシオンの肩に腕を回すと、そのまま瞳を閉じた。再び触れ合うような軽いキスがなん度も繰り返される。お互いを確かめ合うような優しいキスに、シェリルは溶けてしまいそうなくらい力が抜けてゆく。
「シェリル、口開けて。」
シオンが小さく囁くと、言われるがままにシェリルは小さく口を開いた。差し込まれる熱を帯びた舌が、シェリルの舌に絡みつく。絡み合った舌からは、お互いの魔力が巡り出し、心臓の奥から背筋をとおり、心地よい切なさが込み上げる。
だんだんと激しくなる舌の動きに、息をすることもできず、思わずシオンの胸をグッと押すが、その手を乱暴に掴まれ、シオンは片方の手でシェリルの頭を抱えると、飢えた獣のように唇に何度も優しく噛み付いた。
一瞬シェリルの口元からシオンの唇が離れたため、シェリルは息をきらしながらも深く空気を吸い込んだ。
しかしそれで終わるはずもなく、シオンは顔を少し横にずらすと、シェリルの耳元から首元にかけて優しくなん度も触れるようなキスを降らせる。
「はぁ…っん…」
魔力が巡る心地よさだけではない、弱いところを丁寧になぞられ、ゾワゾワと込み上げてくる切なさに体の奥が疼き、シェリルは自分の意思とは関係なく、甘い声が漏れ出した。
首元に小さくすいつくようなキスをされ、これ以上は危ないと思い、さっきよりもきつくシオンの肩を掴むとぐっと押しのけた。
「シオン様、こ、これ以上は——!」
息を切らしながらシオンに向かって訴えかけると、シオンはチラリとシェリルの顔を見上げ、シェリルの肩に顔を乗せると少し体重をかけた。
そのまま両手を肩に置くと、自身の身体を引き離し、大きなため息をつきながら呟いた。
「…ごめん、止まんなくなった。」
シオンは一呼吸おいたあと、スッと立ち上がり、着ているジャケットを脱ぐとそっとシェリルへとかけた。
「そろそろ帰ろうか。」
そう言ってシェリルの方へと手を差し出した。シェリルはまだ熱の残る体をなんとか立て直しながら、そっとシオンの手に自分の手を重ねて立ち上がった。




