第22話 その瞳に映るもの
静かな旋律のワルツが始まると、三拍子のステップと共にゆっくりとダンスが始まる。
シェリルの腰に手を当てて、緩やかにステップを踏みながらお互いのリズムを確認し合う。
最初は強張っていたシェリルの足取りも、ワルツの音楽に乗せられてだんだんと軽やかになってくるのがわかった。
曲調が盛り上がってくると、シオンはシェリルの手をとり、ゆるく回転させるように促したり、フロアを可憐に動けるようリードしてくれているのがわかった。
(こんなに楽しいダンスは初めてだわ…)
お互いに目を見ながら踊っていると、まるでこの世の中に二人だけのような感覚になってゆく。
シオンも終始にこやかにシェリルに瞳を向けており、シェリルはまるでそのブルーグレーの瞳に吸い込まれるようだった。
ワルツがゆっくりと静かな終わりを迎えると、シェリルはそっと胸に片手を添えて、片方の手でドレスをつまみ、小さく頭を下げた。顔を上げると、シオンも胸に手を当てて軽く会釈をしながら優しい眼差しでシェリルを見ていた。シオンはそっとシェリルに手を差し伸べると、フロアから一旦退くと、シャンパングラスを運ぶボーイからグラスを二つもらってそのうちの1つをシェリルに手渡した。
「シェリル、謙遜もほどほどにした方がいいよ。すごく綺麗に踊るから正直驚いた。どこかでダンスを、練習した?」
「それはシオン様がリードしてくれたからですよ。私は学生時代のデビュタント以来だったので、ヒヤヒヤしてましたが、とても楽しく踊れました。」
「へぇ、シェリルにもデビュタントの思い出があるなんて、どんなやつと踊ったのか気になるな。」
シオンはシャンパンを飲みながら、揶揄うようにシェリルに向かって問いかけた。いつも通りの調子のシオンにシェリルが口をひらこうとした時だった。後ろから聞き馴染みのある声が二人の間に割り入った。
「シェリルのデビュタントの時は俺がエスコートしたんだよ。あの時も可憐に踊っていたけど、今日も会場の目は釘付けになっていたようだね。」
突然会話に入ってきた聞き覚えのある声に、シェリルはパッと振り向いた。
「ルカ様!」
振り返ると、そこにはルカと聖女のニイナが立っていた。
「やあシェリル。今日のドレスもすごく似合っていて一段と素敵だよ。」
そう言うとシェリルの手を取り、添えられた自身の親指にそっと口付けた。敬意を払ったあいさつだとわかっていてもドキドキと心臓が速くなる。
「おい、ルカ。俺のパートナーをドキドキさせるのやめてくんない?この子経験ないんだからすぐ絆されるだろ。」
そう言ってシェリルの手をぐっと後ろに引いたシオンの顔は自分のおもちゃをとられた子供のように不貞腐れた表情をしていたが、どこか楽しそうにも見えた。
「ちょっとシオン様、心外です!人のことをすぐ絆されるって言うのやめてくれませんか!?」
シェリルが慌ててシオンの方に振り向くと、くすくすとルカの横でニイナが笑っていた。シェリルは再び慌てて体勢を整えると、ニイナに向かって頭を下げた。
「ニイナ様、ご挨拶が遅れて申し訳ございません。初めまして。シェリルと申します。聖女様に会えるなんてとても光栄です…!」
そう言うとニイナは慌てて同じように頭を下げた。
「シェリル様、頭をあげてください!私の方こそ自己紹介が遅くなり失礼いたしました。聖女のニイナと申します。私のことはすでにご存知いただいていたのですね。」
先ほど入場してきた時に見たニイナとは違い、微笑む姿は優しい印象を与えてくれる。
「もちろんです。ニイナ様とは一度お話しをしてみたいと思っていたんです。それから、今日はシオン様のパートナーとして参加していますが、私自身は平民なので敬称は付けなくて大丈夫ですよ」
そう言うとニイナは首を傾げるようにして少し戸惑ったような表情を向けた。
「え…平民…?でも——」
そこまで言うと、チラリとシオンの顔を見た。視線に気がついたシオンは罰が悪そうに「あー…」というと話を続けた。
「シェリル、ニイナ様はその人に流れる魔力が見えるんだよ。」
そこまで言ったところで、シェリルも状況を察した。ニイナにはシェリルの体に流れるシオンの魔力が見えているのだろう。
「シオン様の魔力の浄化をお手伝いさせていただいていた際に、シェリル様の魔力に触れることもあって。少しお話しも聞いていたのでシェリル様の素性も存じ上げております。こうしてお会いできてなんだか初めて会った気がしないくらいです。」
ニイナがふわりとシェリルに笑いかけると、まるで周りの空気が澄んでいくような気がした。シェリルだけでなく、遠巻きに周りにいた者たちまでその笑顔に釘付けになっているようだった。
(これが聖女様の魅力なのね。この辺一体が浄化されたみたいに空気が変わった気がするわ)
その流れで周りに目を向けた時だった。先ほどまでは気が付かなかったが、デビュタントを終えた令嬢たちが期待に満ちた表情で少し遠いところからこちらを気にしている様子が見えた。
十代の令嬢にとって、シオンのような公爵家の年上の男性はまさに王子様のように見えるのだろう。そんな彼と接点を作って踊れる機会は舞踏会くらいしかないのだから、夢を見ているかのようにキラキラとした眼差しで見つめるのも無理はない。
シェリルはシオンの燕尾服の裾を小さく後ろにひっぱり、少し背伸びをすると、シオンの耳元で小さく声をかけた。
「シオン様、私のことはいいので、あちらのご令嬢たちとぜひ踊ってあげてください。こんな機会はめったにないのですから、夢を見させてあげるのも公爵家次期当主のお役目ですよね?」
そう伝えるとシオンは驚いたようにシェリルへと目を向けた。しかし、シェリルの言葉通りなのだろう。少し考えるような顔をした後、申し訳なさそうに小声でささやいた。
「ごめんシェリル。こんなつもりはなかったんだけど、シェリルがそう言うなら。ちょっとだけ待ってて。あと、待ってる間絶対に他の男と踊らないで。」
そう言うと、シオンはこちらに視線を向けていた令嬢たちのところへ行き、一人の令嬢へ声をかけると手をとり、フロアへとエスコートした。シェリルはシオンからのストレートな独占欲を向けられ、一瞬立ち尽くしてしまったが、シオンがフロアで優しい眼差しを向けながらダンスをリードする姿に、純粋に見惚れてしまい、改めて好きだと実感する。
少し前まで誰にでも優しくするそんな姿を軽薄に感じていたと言うのに、女性に優しく触れる姿は寸分の狂いもないほど完璧に見えて、惚れた欲目には勝てないと思った。
シェリルは諦めて壁の方に移動するとシャンパングラスを片手にその光景を眺めていた。
「行かせてよかったの?」
隣を見ると、ルカが同じようにシャンパングラスを片手に立っていた。
「ルカ様こそ、王子なのにこんなところにいてよかったんですか?」
「さすがに自分から王子と踊りたい令嬢なんていないよ。注目の的になるのは目に見えているからね。」
ルカは屈託のない表情で笑いながらフロア全体に目を向けた。
「でも、シェリルが踊ってくれるなら俺も一曲踊ろうかな。」
ルカはチラリと目線をシェリルの方へ向けて、イタズラっぽく笑いかけた。シェリルは顔が熱くなるのを感じながら慌てて反論する。
「注目の的になるって今言ったばかりじゃないですか…!そ、そういえばニイナ様はどうされたんですか?」
「ああ、彼女は今兄の相手でフロアで踊っているよ。聖女は王国の象徴みたいなものだからね。彼女も大変だよね。」
そう言ってフロアで踊るニイナに目を向けた。シェリルはニイナが踊る様子を見てはっと閃いたようにルカに話しかけた。
「あの、この後ニイナ様と少しお話しする時間をいただけませんか?同じ転生者として、ニイナ様とお話ししてみたくて…。」
懇願するようにルカに問いかけると、ルカはまた無邪気な笑みを浮かべながらシェリルの方へと視線を向けた。
「じゃあ、シェリルがこの後のワルツで俺と踊ってくれるなら、その願いを叶えてあげてもいいよ。」
得意げな表情で笑う姿に、シェリルはぐっとルカに視線を合わせながら考える。
「ずるいです…それ、断れないじゃないですか…!」
苦渋の決断をするシェリルを見てルカは楽しそうに笑っている。しばらく二人でフロアを見ながらゆっくりとシャンパンを飲んでいると、先ほどまでのワルツが終わり、フロアから一気に人の波が入れ替わる。
「さっきの答えは出ているよね。さあ、お手をどうぞシェリル嬢」
左手を自身の腰に回し、少しかがみながら右手を差し出したスマートな立ち振る舞いには、王子の気品が溢れており、シェリルは自然と右手を差し出した。
シオンから“誰とも踊らないで”と言われた約束は破ってしまったが、今回ばかりは仕方ないと自分に言い聞かせた。チラリとシオンの姿を探すと、相変わらず他の令嬢とフロアに入る様子だったため、気にせずルカのエスコートについていくことにした。
ワルツが始まるとルカはシェリルの腰に手を当て、三拍子のステップに合わせてゆっくりとリズムを取り出した。
「シェリルと踊るのはデビュタントの時以来だね。気になってたんだけど、そのペンダント、シオンからのプレゼント?あいつの魔力に加えて複雑な術式まで組み込んであるな…。自分の魔力を身につけさせるなんてすごい独占欲だね。」
くすくすと笑いながらも完璧にダンスをリードしてくれているため、シェリルは安心して身を任せることにした。
「やっぱり、そう思いますか?なんだかシオン様に監視されているみたいです。」
同じように笑いながらシェリルもワルツのリズムに合わせて体を動かすと、優しい表情のまま、ルカがポツリと呟いた。
「シェリルは、シオンのことが好き?」
突然確信をつくようなことを言われ、どきりと胸が鳴る。踊りながらチラリと視線の中にシオンが入り込む。他の令嬢に優しい表情を向けながらダンスを踊る姿に、先ほどまで自分に向けられていた吸い込まれるようなブルーグレーの瞳を思い出した。
シェリルはゆっくりと呼吸を整えながら、まっすぐな視線をルカへ向けた。
「…はい。シオン様のことが好きです…。」
今までシオンへの感情をストレートに『好き』と口にしたことがなかったため、耳まで赤くしながらそう答えると、ルカは困ったように微笑みかけた。
「…そうか。これも何かの運命なのかもしれないね。」
「え?」
「俺の口から言えることじゃないからさ。いやでも、シオンのことが好き、か。これまで散々いろんな噂が絶えない男だったから、シェリルも苦労するかもね。」
ルカは含みのある笑みを浮かべながら、テンポに合わせてシェリルの体をくるりと回してみせた。こんな話をしながらでもスマートにダンスをリードできるのだから、相当な教育を受けてきたのだろう。
「そういえば、ルカ様とシオン様は遠慮がない感じですよね。昔からのお知り合いですか?」
「リガードの母とシオンの母が姉妹なのは知ってる?リガードは俺の父、現国王の弟だからね。昔から会うことは多かったよ。」
考えてみればすぐにわかるようなことだったが、ルカから言われて初めて点と点が繋がった。
含みのある言い方といい、ルカもシオンの過去について何か知っているのかもしれない。
他愛のない話を挟みながら踊っていたが、ワルツの音楽が穏やかに終わりを迎えると周りのステップの音が静かに止む。ルカとシェリルも形式的にお辞儀をすると、ルカはシェリルの手を引いてフロアから出た。あたりを見渡すとルカは長兄の王子を見つけたあと、その隣にいるニイナのところへ行き声をかけた。
「ニイナ様、ちょっといいですか?」
そう言ってニイナの手を取ると、シェリルのところまで連れてきた。
「シェリルがニイナ様と話がしたいみたいなので、王宮の客間で少し休憩がてら話を聞いてもらってもいいですか?」
ルカは約束通りニイナに話を通したあと、メイドの一人を呼ぶとそのまま客間へ案内するように指示を出した。
「ルカ様、ありがとうございました。また後で。」
シェリルがそう言うと、ルカは二人に優しい表情で微笑みかけて、軽く手を上げた。




