第18話 願いを込めた夜
「お待たせ。」
シェリルが城下町を見下ろしていると隣から声がして振り返る。
シオンは先ほどのかっちりとした正装とは違い、いつもの白いシャツのボタンを緩く開け、その上にはネイビーのサマーベスト、下はベストと同じカラーのスラックスをすらりと着こなして立っていた。
肘の辺りまで捲っている袖からはがっしりとした腕があらわになっており、月明かりがその筋張った腕に光りを落とす。
月明かりに照らされた髪は綺麗なミッドナイトブルーの光りを反射させ、先ほどの出立とは違った色気を放っていた。
「じゃあ、行こうか。」
そう言うとシオンはシェリルのとなりに来てそっと背中に手を添えると、進むように促した。
ふわりとアンバーの香りが漂い、シオンが隣にいるのだと改めて実感する。
シェリルは仕事終わりの自分の冴えない服装に目を向けると、こんなことになるならもう少しマシな服を着てこればよかったと、心に後悔がひろがってゆく。
しかし、シオンはそんなことはちっとも気にしていないようだった。
自分だけそんなことを気にしていては、せっかく二人きりでの聖夜祭が台無しになってしまうと思い直し、シェリルはシオンについて歩きだした。
街につくと、時間は夜の9時を過ぎているというのに、マーケットはまだ人で賑わっていた。
「シェリル、何が食べたい?」
シオンはシェリルが「美味しそう」と言ったものを片っ端から購入し、自分よりもシェリルになんでも食べさせようとしていた。
「シオン様、私もうそんなに食べきれないです!それに、私の欲しいものばかりじゃなくて、せっかく来たんだからシオン様も選んでください!」
「俺は別になんでもいいんだよ。それに王都の聖夜祭なんて昔から何度も見てるしね。シェリルは初めてでしょ。」
確かにシオンの言う通り、聖夜祭は王都のお祭りのため、王都からほど遠いグランパニア領では聞いたことはあっても親しみのあるお祭りではなかった。
シェリルは、シオンが純粋に聖夜祭を楽しませてくれているのだと感じ、素直にマーケットの出店を見て楽しむことにした。
「そういえば、聖夜祭の夜空にバルーンに願いを込めて浮かべるイベントがあるじゃないですか。あれもやってみたかったんですけど、今年はもう終わっちゃいましたね。」
シェリルが何気ない会話の中で、少し残念そうに呟きががら夜空を見上げた。
「あれがやりたかったんだ?…じゃあせっかくだし、ちょっと行ってみようか。」
シオンはそう言うと、知ったような足取りでペーパーバルーンイベントのために設営されたテントの方へ足を進めたため、慌ててシェリルも置いていかれないように一緒に進む。
テントではすでに片付け作業が始まっているようだったが、シオンは遠慮なく関係者の集まるところへ入って行き、その中の男性一人に声をかけた。
「やあ、お疲れ。なあ、バルーンって1つ余ってない?」
シオンの行動にハラハラしながらシェリルは遠巻きにその光景を見守っていた。しかし、シェリルの心配とは裏腹に、声をかけられた男性はキラキラとした眼差しをシオンへ向けた。
「シオン様!お疲れ様です!聖堂の方は滞りなく終わったようですね。」
「まあね。それより、バルーン余ってる?今から一つ飛ばしたいんだけど。」
「すぐご用意します!」
男性はどうやらシオンの知り合いのようで、意気揚々とすぐにペーパーバルーンを持ってくると風魔術の術式をバルーンに施した。
「こちらをどうぞ。シオン様のお役に立てたようでなによりです。」
シオンは「悪いね。お前もご苦労様。」と男に伝えると、バルーンを手に涼しい顔でシェリルの方へ戻ってきた。
「シオン様、あの方って風魔術の魔術師ですよね?シオン様知り合いなんですか?」
シェリルがシオンに問いかけると、シオンは何食わぬ顔で言葉を繋いだ。
「大きな遠征があった時に連れていく俺の隊の隊員なんだよね。風魔術が使えるから、いつもこのイベントを担当しているんだ。」
そう言いながら歩みを進めると、ひと気のない少し広い場所へと到着した。
「魔力と一緒に願いをバルーンに込めて。そうして手を離したら自然と浮かんでいくようになってるから。」
シオンはそう言うと、バルーンを持ちながらシェリルにもバルーンに手をかざすよう促した。
「シオン様は、もう願い事は決めたんですか?」
シェリルがそう聞くとシオンは優しく微笑み、シェリルの瞳を見つめながら、「俺が願うことは昔から一つだけだから。」と続けた。
シェリルはバルーンへと手をかざすと、自分の魔力を込めながら目を閉じた。
(冬の聖夜祭も、シオン様と一緒に来れますように。)
これ以上は望まないから、どうか次の聖夜祭も今日と同じようにシオンと過ごせたら…。
そう切に願いながら魔力を込める。ふとシオンを見ると、すでに願いを込めた後だったようで、シェリルの方を優しい眼差しのまま眺めていた。
「じゃあ、手を離すよ。」
シオンとシェリルが同時に手を離すと、バルーンは青白い魔力の灯火を放ちながら夜空へと浮かんでいく。その幻想的な光景にシェリルは思わず目を輝かせて、食い入るように見上げていたが、バルーンが小さくなってゆくのを見届けると満足したようにシオンの方へと顔を向けた。
「シオン様、ありがとうございました。こんな素敵な夜になるなら、残業した甲斐がありました。」
シェリルが笑顔でそう告げると、シオンも満足そうに微笑んだ。
“恋人同士が願いを込めて一緒に飛ばすとずっと一緒にいられる”そんなジンクスを意識していたのはきっと自分だけだろうし、自分たちは恋人同士ではない。
それでもシェリルは内心でずっと一緒にいられたらいいのに、と思わずにはいられなかった。
「じゃあ、マーケットの方に戻ろうか。まだ見てない店も多いし、見て回ろう。」
シオンがそう言ったため、シェリルはシオンと共に元いたマーケットの方へ歩みを進めた。
シェリルとシオンが再び明るいマーケットの方へ戻りゆっくりと歩いて見て回っていると、シェリルは一つの店の前で立ち止まり、思わず目を奪われる。
そのお店のショーケースには、無色透明な宝石が埋まったアクセサリーが並べてあった。
(どれも色がついていないけど、シンプルでつけやすそうなデザインが多いな…)
そんなことを考えながら眺めていると、横からシオンも一緒に覗き見る。
「何?これが欲しいの?」
シオンがそう言うと、すかさず店の店主がシオンに向かって話し始めた。
「お客様、これに目がいくとは大変お目が高い!こちらはかなり希少なカラーチェンジストーンで、その人の魔力を込めると魔力の質に応じて色が変化するようになっているんですよ。恋人同士でお互いの魔力を込めあって交換する、なんてのが今王都の令嬢たちの間で密かに人気なんです。」
矢継ぎ早に店主がシオンに語りかける。この店にお金を落とすのが誰なのか、瞬時に見極めたのだろう。
「ペンダントであれば15万バーツでご用意できますよ。」
「15万バーツ!?」
マーケットで買うにはあまりに高すぎる金額にシェリルは思わず目を丸くする。
「ふーん、そんなものか。欲しいなら買ってあげようか?」
「だめだめだめ!絶対だめです!!結構です!!」
シオンのような貴族にとったらそんな金額は迷う要素にならないのだろう。こんな高価なものをマーケットで軽率に購入しようとするシオンを制し、店の店主に平謝りをすると、シェリルは半ば強引にシオンの腕を掴むと、そのまま店を後にした。
「なんだ、欲しいなら全然買ってもよかったのに。」
「あんな高価なもの、軽率にプレゼントされても困ります!」
(私には何も返せるものもないし…)
そう思いながらシオンに告げると、「じゃあ軽率じゃなければ受け取ってくれるんだ?」とイタズラっぽくにやりと笑う。
「そういうわけではないですけど…もう、揚げ足をとらないでください…!」
いつもの2人の調子に戻り、シオンが笑うと、「そろそろ遅いし送るよ」と言葉を続けた。
マーケットを出ると先ほどの喧騒は消え、夜の街は月明かりが照らし出してしっとりと落ち着いており、裏路地に入るとシオンとシェリルの足音が響くほど静かになった。
和やかな空気のまま2人でゆっくりと歩いていると、シオンが突然「気付いてないみたいだし、別にこのままでもいいんだけど…」と言葉を濁しながら話し始めた。
そしてそのあと、含みのある笑みを浮かべながらシェリルへと視線を向けると「さっきから腕、掴んだままだよ」と言った。
シェリルがはっとして自身の手に視線を向けると、アクセサリーショップで腕を掴んでからそのままだったことに今更気がついた。
まるで恋人同士のように腕を組んで歩いていたことを想像し、みるみる顔が熱くなるのを感じる。いつもならすぐに手を引くだろう。しかし、夜の雰囲気はどこか人を大胆にしてくれるようだった。
「シオン様がいいなら、私も、もう少しこのままがいいんですけど…ダメですか?」
少し緊張しながらシオンを見上げると、一瞬驚いたようにシェリルのことを見下ろし、「あはは!」と声をあげて笑い出した。
「シェリル、随分俺を煽るのがうまくなってきたな。でもそれなら俺はこっちの方がいいかな。」
そう言うと、組まれた腕をするりと解くと、そっとシェリルの手を握った。手には黒いフィンガーレスグローブがつけられており、革製の手袋からゴツゴツとした感触が伝わってきたが、何度もこの手に触れられているシェリルは、その感覚すら心地いいと感じるようになっていた。
「私も、こっちの方が好きです…」
しばらく沈黙のまま手を繋いで歩いていると、煉瓦造りの三階建のメゾンが視界入り、あっけなくシェリルの暮らす家についてしまった。
メゾンの前で立ち止まると、少し沈黙が流れた。どれだけ恋愛経験の浅いシェリルでも、別れる前のこの甘い雰囲気の先に何が待っているのか、なんとなく想像ができた。
しかし、シオンとの心の距離が近くなればなるほど、肝心のところでどうしてもひっかかってしまう。
シオンと出会ったばかりの頃についた“嘘”。
“自分はシオンが大切にしたいシェリルではない”という思いにどうしても気持ちにブレーキをかけてしまう。
シェリルは繋がれた手をそっと離すとシオンの方へ向き直った。
「シオン様、送ってくださってありがとうございました。あの…今はまだ勇気がでなくて言えないんですが、今度改めてお話ししたいことがあるんです。」
真剣な表情でシオンにそう告げると、シオンは茶化すことなく「わかった」とだけ答えた。
そして、右手でシェリルの頭を優しく撫でると、「おやすみ。早く中入りな」と伝えて、シェリルを部屋に入るよう促した。
名残惜しさを感じながら部屋に入ったシェリルは、そのまますぐにベッドに倒れ込んだ。
まだ、手のひらにはシオンの熱が残っている。手を握りしめて胸元へ持っていくとぎゅっと目を閉じながら、自分が転生者であることをシオンに告げなければならないと強く決意した。




