第16話 ノアール公爵家
ルカとシオンが鉢合わせたあの日から、すでに三日が経過していたが、翌日も翌々日もシオンは姿を見せておらず、今朝も結局現れなかった。
三日前にシオンが部屋を出た時のことを思い出して、シェリルはずっと気がかりに思っていたが、毎日執務室でシオンが来るのを待つことしかできなかったのだった。
お昼を過ぎた頃、リガードから室長室へ呼ばれたシェリルは、書類の入った大きめの封筒を手渡された。
「悪いがどうしてもこの書類を急ぎでシオンのところへ持って行って欲しいんだ。ここ数日体調を崩していて自宅で療養していたんだが、流石にもう調子も戻っている頃だろうからね。行き帰りはここの馬車を使ってくれて構わない。ノアール公爵邸の場所は御者に言えばすぐわかるから。いきなりですまないがよろしく頼むよ。」
シェリルはリガードから話を聞き、あの日シオンの様子がおかしかったのは、やはり体調が悪かったからだと確信した。
封筒を受け取り自席で持ち物を整えると、魔導研究施設の入り口まで急いだ。門のところに止まっている馬車の近くにいた御者へ、ノアール邸まで行きたいことを伝え、シェリルが客車へと乗り込むと、しばらくしたあと馬車が走り出した。
馬車を30分ほど走らせると、王都からほど近い場所にあるノアール公爵領に入る。王都から1番近い領地を任されているノアール公爵家は、その魔力の性質から王家とも関わりが深く、王家の喉元を守るように隣接した領地を任されているのだ。
「着きましたよ」
馬車が止まると、御者の声とともにガチャリと客車の扉が開き、シェリルは外へ出た。
昼下がりだと言うのに、まだ太陽は高い位置にあり、初夏の日差しが照り付けていて思わず目を細める。
馬車は公爵邸の門の前に泊まっているようだったが、外観からは公爵邸の屋根すら見えず、全貌まではわからなかった。
外から見えないことを考えると、敷地も相当広いのだろう。シェリルは自分の生活とはかけ離れたスケールの大きさに思わず息を呑んだ。
(ヴァレンシア公爵邸も凄かったけど、ノアール公爵邸も同じくらい桁違いなのね。公爵家というのはやっぱり何もかもが規格外だわ…)
しばらく圧倒されながら敷地を眺めていると、門の中から初老の男性がこちらに向かってくるのが見えた。男はシワ一つない真っ白なシャツの上から、清潔感のあるリネンの黒いタイトなジャケットを身につけており、黒い革靴はピカピカに磨かれて輝いていた。
まさに公爵家の執事と言うに値する風格を醸し出している。男はシェリルのところまで歩み寄り、程よい距離を取ると立ち止まり軽く頭を下げた。
「シェリル様、王都からご足労いただきありがとうございます。シオン様から話は伺っております。ご案内致しますのでどうぞお入りください。」
初老の男はそう言うと、門番に軽く手を挙げてからシェリルを門の中へ入るよう促した。そのスマートな案内に緊張しながらも、シェリルはノアール公爵邸の中へ足を踏み入れた。
邸宅までの道のりは、両側に見栄えよく剪定された木々が茂り、上を見上げると空からは木漏れ日が表情を変えながら差し込んでくる。
日陰の中を歩く邸宅までの道のりは、木々のおかげで心地が良かった。道なりに進み、緩やかに左へ曲がったところで、豪華な公爵邸の全貌が現れ、シェリルはその重厚感に思わず圧倒されてしまう。敷地に聳え立つ邸宅の周りの土地は広々としており、一体ここの土地はどれだけの大きさがあるのだろうと考えても全く想像がつかなかった。
しかし、不思議と何処か懐かしいような感じもして、シェリルは初めて来たような感じがしなかった。
(初めてのはずなのに、なんだか懐かしい感じ…)
執事の男に案内されるままに邸宅の中へ入ると、大きな中央階段を上がり廊下を進んでいく。重そうなアンティーク調のドアの前に到着すると、執事はドアをゆっくりと二回ノックした。
「シオン様、シェリル様がお見えになりました。」
男がドアの外からそう告げると、中から「入れ」と簡潔な返事が聞こえた。その声は三日ぶりに聞く耳慣れた声で、シェリルは緊張の糸が少しだけ緩むのを感じた。
ドアを開けた執事はシェリルを中へ入るよう促し、シオンに向かって「何かあればお申し付けください」とだけ告げて扉を閉めて行ってしまった。
シェリルが扉の前に立ったまま、部屋を見渡すと、シオンはネイビーのナイトガウンを着て、クラシカルなソファに座りながら真剣な表情で書類を広げていた。
シオンはちらりとシェリルの方へ目を向けてから、持っていた書類をテーブルへ置き一息つくように息を吐くと、そのまま立ち上がりシェリルの方へと歩き出した。
「シェリル、リガードから頼まれた書類は持っているよね。俺が直接取りにいけたらよかったんだけどまだ本調子じゃなくてね。こんなところまでわざわざ来させてごめん。」
「いえ。あれから全く会えなくて私も心配してたので…お顔が見れてよかったです。」
そう言って笑顔を向けると、預かっていた封筒をシオンへ手渡した。シオンは書類を受け取り、一旦中身を確認するとすぐに封筒の中へと戻し、前髪を乱雑に掻き上げた。
「こんな状態でごめんね。立ち話もなんだから、座って」
そう言うと、自分が座っていた場所から少しずれて、ソファへ座るよう促した。
「俺はさ、魔力量が人より多いせいで、体の中に少しずつ蓄積されちゃうんだよね。特に日差しのきつい夏は余計に滞りやすくて。とはいえ浄化すればマシになるからもうほぼ大丈夫なんだけど」
無防備でラフな装いのシオンに、シェリルはまた一つ自分の知らない一面を垣間見たようで不謹慎だが少し嬉しくなった。
「そうだったんですね。体調が戻ったみたいでよかったです。…あの、魔力量の浄化ってどんなことをするんですか?」
不謹慎かもしれないが魔力や魔道具に興味のあるシェリルが、素朴な疑問を投げかけると、シオンはチラリと視線をシェリルの方へと向けた。
「ほんとはあんまり喋っちゃだめんだけど、まあシェリルにならいいか。魔力の浄化は、王宮にいる聖女にしかできないんだ。だから、魔力量が増えて体に溜まってきた時は聖女に浄化をしてもらってる。」
王宮の聖女と聞いて、シェリルは一瞬固まってしまう。聖女は特別な儀式によって、異世界から転移してくる存在である。つまり、シェリルの転生とは状況が違うものの、同じように異世界から来た者であることに変わりはなかった。
(今の聖女様ってたしか五年前に異世界から転移されてきたニイナ様って方よね…)
これまで聖女と接点なんてないと思い込んでいたが、シェリルは自分と同じような境遇の女性に少なからず興味を持っていた。
「じゃあ今後も聖女様がいれば、シオン様の魔力による体調不良は大丈夫ってことですね。」
聖女のことは気になるが、シェリルには関係のない話だと思い、話を戻した。
シオンは少し不機嫌そうな顔をしながら、「うーん、そうでもないかも…」と言いながら頭に手を乗せながらチラリとシェリルの方を見て口を開いた。
「まだ頭痛が残ってるんだよね。これはシェリルちゃんの治癒でなんとかなりそうなんだけどなー」
わざとらしく子供のような態度をとるシオンに、シェリルは意表をつかれ唖然とする。しかしすぐに小さく笑うと、シオンの方へ視線を向けた。
「シオン様って、そんな子供っぽいことも言うんですね。そのギャップで何人の令嬢を落としてきたんですか?」
くすくす笑いながらそう言うと、シオンは不貞腐れたような表情でシェリルの方へ瞳を向けた。
「俺がこんなこと言うのは、シェリルだけだよ。」
その言葉にどきりと胸が鳴る。噂の絶えないシオンの発言がどこまでが本当でどこまでが冗談なのかわからない。
シェリルは勘違いしないように気持ちを必死に抑えながら、「まあ、治癒で治すくらいならお手伝いしますよ」と伝えると、シオンは満足したように微笑みながらそっとシェリルの方へ手を伸ばした。
シェリルは伸ばされたシオンの手にそっと自身の手を重ねた。触れ合った手からお互いの魔力が循環し、心地よい空気が流れ込む。ふとシオンの方を見ると、じっとシェリルの方を見つめていた。
「これだけでも、十分。」
シオンが目を閉じながら心地良さそうに魔力が巡るのを実感しているようで、シェリルは初めて、自分だけがこの魔力の循環を心地よいと感じていたのではないと気がついた。
そのまましばらく手を繋いでいると、シオンはやはりまだ本調子ではなかったのか、だんだんと睡魔に襲われてきたようだった。あまりに心地良さそうに眠るシオンを見てしばらく手を繋いでいた後、シェリルはそっと手を離し、重厚なアンティークの扉を音を立てないように開けると、部屋を後にした。
シェリルは入り口にいた従者に声をかけ、馬車のある門のところまで足を進めた。
ふと門の方を見ると、一台の馬車が止まっていることに気がついた。中から出てきたのは50代くらいの男性で、その身なりから、シェリルはすぐにその相手が誰なのか検討がついた。
男は鋭い目つきでシェリルの方へ視線を向ける。シェリルはその鋭い目つきに圧倒されてしまい、思わずスカートの裾を持ち上げ、片足を後ろに引くと軽く曲げると頭を下げた。
馬車から降りた男はシェリルに声をかけることなく、そのまま屋敷の方へと歩いて行った。
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男は部屋に着くと、家礼のジェイクを呼びつけた。身につけていたタイを慣れた手つきで外しながら、苛立ったように口を開いた。
「さっきの令嬢がどこの者か調べろ。」
「ブラッド様、あの方は魔導研究施設のシオン様の部下の平民の方だとおっしゃっておりました。」
「平民?咄嗟に淑女の挨拶が出てくる平民がいるとでも?何処のものか調べておけ。」
そう言うとノアール公爵家当主のブラッドは椅子に座り、大きなデスクの引き出しからタバコを取り出すと火をつけ、タバコを口に咥えると勢いよく煙を肺の中へ吸い込んだ。




