第15話 思わぬ再会
初任務から王都に戻り、1週間が過ぎようとしていた。シェリルは任務での経験から、前よりも少しだけ自信が持てるようになり、魔導研究施設での日常を取り戻していた。
お昼休憩に入り、中庭のベンチで心地の良い午後の光りを浴びながら、持ってきたサンドイッチに手を伸ばす。シェリルは遠くを眺めながら先日の初任務のことを思い出していた。
初任務が終わり、二人で手を重ね合った後、シオンは急に立ち上がり、「それじゃ、帰ろうか。」と言い、呆気なく2人きりのムードが終わったのだった。
再び二人でヴァレンシア公爵邸で一夜を過ごすことになったが、おいしい料理を食べ、最高級の布団に入ると、1日目とは違いシェリルはすぐに眠ってしまったのだった。
翌朝公爵邸の門の前に行くと、当主のカインが馬車を用意してくれていたため、帰りは落ち着いて馬車に乗り帰ることができたのだった。
帰りの馬車で、シオンはシェリルの前に座っていたが、途中で「眠い…」と言い出し、シェリルの横に座り、肩にもたれかかってきてそのまま寝てしまったため、シェリルは全く道中穏やかではなかった。
しかし、そんな情景を思い出すだけでも口元が緩んでしまうほど、この初任務から確実にシオンとの距離が縮まったような気がしていた。
昼食を食べ終え、シェリルが執務室に戻ろうとベンチを立ち上がった時だった。
「シェリル?」
ベンチの横から名前を呼ぶ声がしたため、声の方を向くと、そこには懐かしい顔の男が立っていた。
「え…?ルカ先輩!?」
声の主は、魔法学校時代にシェリルが一番頼りにしていたルカだった。ルカは2つ上のクラスの先輩だったが、図書館でよく顔を合わせるようになったのがきっかけで親しくなったのだった。
十七歳で転生したシェリルにとって図書館で知り合った優しいルカの存在は大きく、孤独と不安を抱えた中で転生の秘密を打ち明けた唯一の人物だった。
「どうしてルカ先輩がこんなところに…だって卒業したら実家に帰るって…」
そこでハッとしてルカの全身を見る。ルカはシワのない詰襟のシャツのボタンを1番上まできっちりと止め、首元には気品のあるシルクの布をかけており、かっちりとしたジャケットには肩から胸元にかけてきつく編み込まれた金色の飾緒が垂れ下がっている。
ジャケットの差し色には深めのグリーンが使われており、首元のピンには彼の瞳の色をイメージしたグリーンのペリドットの宝石が光っていた。どこから見ても、ただならないほどの気品と高貴さが漂っていた。
「シェリル、久しぶりだね。元気にしてた?」
シェリルが言葉に詰まっているのを見て、優しく微笑みながら他愛無い言葉を紡ぐルカは、魔法学校時代に何度も言葉を交わしたルカそのままで、シェリルは少し胸を撫で下ろす。
「はい、おかげさまで元気にしています。実は今この魔導研究施設で働いているんです。」
「うん、話は聞いているよ。まさかシェリルがここで働くとは思っていなかったけど、無事に自立できたみたいで安心したよ。」
そう言うと、優しく笑顔を向ける。シェリルはその笑顔を見ると懐かしさで当時の気持ちが湧き上がり、心臓が高鳴るのを感じた。
「あの、それよりルカ先輩、その格好は…」
シェリルが遠慮がちに言うと、ルカは「少し歩きながら話そうか」と言ってシェリルの隣までくると、そっとシェリルの背中に手を当てた。促されるままに足を一歩前へ出すとそのまま2人で歩き出し、ルカが喋り出すのを待った。
「魔法学校時代に、俺の正体に気づいてなかったのはシェリルくらいだったよ」
そう言うとイタズラっぽい表情で目線をシェリルの方へ落とした。
「母方の姓を名乗っていたけど、実際はみんな暗黙の了解って感じで黙認してくれていたからね。でも、シェリルだけは本当に俺のことを侯爵家の人間だと思い込んでいたから、シェリルと話す時だけは本当の家柄を気にせずありのままの自分で過ごせたよ」
ルカの話を黙って聞いていたシェリルの心の中で、疑惑が確信に変わっていく。
「もうなんとなく気づいているかもしれないけど、俺の本当の名前は、ルカ・エルヴィス・リュシオン。この国の第ニ王子なんだ。」
シェリルは、目の前にいるルカの装いや振る舞いから、王家の者なのではないかと思っていたが、まさか正真正銘の王子様だったことに驚きが隠せなかった。
一方で学生時代に、ルカへ向ける周りの視線や言動がどこか違う気がしていたため、数年越しの謎が解けたような妙な納得感も同時に感じていた。
「やっぱり、王家の方だったんですね。えっと…ルカ王子は今は何をされているんですか?」
そこまで言うと、ルカはいきなり真剣な顔になり、シェリルの方へ向き直った。
「ちょっと待ってシェリル、なんでいきなり王子になるの?シェリルにとって俺は昔も今も先輩に変わりないでしょ。王族だってわかっても、前みたいに先輩って呼んでよ」
「で、でも…!知ってしまったからにはそんなフランクな呼び方できませんよ。私は今平民として働いてるわけなので、王族の方をそんな風に呼んでいたら周りから変に思われちゃいます…!」
シェリルが慌ててルカに弁解すると、ルカはしばらく考えるようなそぶりを見せた後、口を開いた。
「わかった。じゃあ今後、みんなの前では王子じゃなくてルカ様って呼んで。ただ、二人きりの時だけはかしこまらないでいつも通りの俺たちの関係に戻ってほしい。」
真剣な表情でそんな風に言うルカに、シェリルは少し同情する。
(きっとルカ様のことをただのルカ先輩としてみていたのが私くらいだったから、気を張らないでいられるのね。)
「わかりました。じゃあ、二人きりの時だけルカ先輩と、後輩のシェリルに戻りましょう!」
そう言ってシェリルはルカに笑いかけた。その言葉を聞いてルカもどこか安心したようだった。
「俺は今王宮で騎士をしているんだ。昔から魔術より剣術の方が得意だったからね。もしかしたらシェリルと一緒に任務に向かうこともこれからあるかもしれないな。」
ルカの優しい話し方に、学生時代の記憶が蘇り、二人でいると本当にあの頃に戻ったかのように感じる。ルカも懐かしく思ってくれているようで、話は次々に進んでいく。
「そういえば学生時代、卒業前にシェリルのデビュタントでエスコートできたのもいい思い出だったよ。」
ルカとシェリルの通っていた魔法学校では、毎年恒例で学校が主催するデビュタントが執り行われている。シェリルが17歳になった歳の学期末のデビュタントで、ルカがパートナーとして名乗り出てくれたおかげで、シェリルは最高のデビュタントを終えることができたのだ。
「あれは本当に緊張しましたよ!私はダンスもろくにできなかったのにルカ先輩がドレスまで用意してるんですもん。失敗できないからと思ってすごく練習しましたよ。おかげである程度踊れるようにはなりましたけどね。あの時のグリーンのドレスにペリドットの宝石、とても綺麗で…嬉しかったです。それにしてもあの時は周りのご令嬢たちの目がすごく怖かったんですけど、ルカ先輩と踊りたい人がたくさんいたからだったんでしょうね。王子様って聞いて納得しました。」
はにかんで笑うシェリルに、ルカは優しい表情を向けた。
「シェリル、過去の記憶についてはどう?」
ルカが尋ねると、シェリルは苦笑しながら視線を逸らした。
「もう、ほとんど思い出せないんです。転生して、シェリルとして生きることに精一杯で、ルカ先輩に転生者の理について聞いた時にはすでに自分の本当の名前も忘れていましたからね。そう考えると、私は一体何者なんだろうってたまに思うことはあります。」
転生者の理。これまでの歴史の中で、突然他人が体に憑依するということは稀に存在し、文献として残っているのだ。
転生者の理の中では、『元の体の魔力は継承されず、魔力は新たに憑依した人間の魂に宿る』ということ、『転生者はその体の持ち主として生きるため、過去の記憶は徐々に消えてゆく』ということが書かれていた。
どこか諦めたように話すシェリルをルカはだまってじっと見つめていた。
「シェリル、俺は今のシェリルと出会ったんだ。だから、その体の持ち主のことは知らないし、今、目の前にいるシェリルのことを、シェリルだと思っているよ。俺が助けたいと思うのも、話したいと思うのも、シェリルがシェリルだからということを忘れないでほしい。」
ルカは立ち止まると、真剣な表情でシェリルをまっすぐに見つめた。グリーンの瞳には光が差し込み、ペリドットの宝石のように輝いていて、シェリルは真剣な眼差しとルカの言葉に思わず涙腺が緩みそうになった。
「ルカ先輩…ありがとうございます…。」
ルカのまっすぐな優しさを受け、孤独だった心がすっと溶けていくような気がした。シェリルは再び視線を進行方向に戻すと、いつもの第一執務室が見えた。
湿っぽい空気を払拭しようと、シェリルは元気よく駆け出してから執務室の前で立ち止まり、くるりとルカの方へと体を向け直した。
「ルカ先輩。ここが私の今働いている場所なんです。ここまで一緒にきてくださってありがとうございました。」
そう言って頭を下げると、ルカはそのままシェリルの前まで足を進めると、すっとシェリルの手をとった。下を向いていたシェリルが驚いて顔を上げると、ルカは微笑みながら口を開いた。
「またシェリルに会えて俺も嬉しかった。よかったら今度、また今日みたいに会ってくれないかな?」
「はい、もちろんです!」
シェリルが満面の笑みでそう答えると、ルカも目を細めてシェリルへと微笑みを向けた。そして掬い取ったシェリルの手を口元へ持っていくと、自身の親指をシェリルの指の上に乗せ、その上に小さくキスをした。
久々の再会だったが、昔と違うのは目の前のルカが名実共に完璧な王子様になっていることだった。その紳士的な立ち居振る舞いに心臓がまた速くなるのを感じた。
しかし、そんなしっとりとした時間は執務室のドアが開いたことで終わりを告げることになった。扉から出てきたシオンは、扉の前にいる2人に一瞬意表をつかれたように瞳を大きく見開いていたが、2人の繋がれた手元に視線を落とすと、シェリルの後ろから首元に腕を回し、そのまま一気に体を引き寄せた。
「ちょっ!シオン様!?く、くるし…」
バタバタともがいて見せたが逞しい腕はびくともしない。シオンはルカに向かって苛立ちながら口を開いた。
「誰かと思えば第二王子のルカ様じゃないですか。こんなところまでうちの新人ちゃんを送ってくれてありがとうございました。あとはこっちで引き取るんですぐお帰りくださいね〜」
早口で喋るシオンに対して、ルカも先ほどまでの穏やかさを失い、鋭い眼光を向けていた。
「シオン、お前は相変わらずだな。そんな強引な態度だと、本当に欲しいものはいつまで経っても手に入らないぞ」
「そんなことはお前に言われる筋合いもないし、大きなお世話だよ」
一触即発のただならぬ空気を前と後ろに感じながら、板挟みのシェリルはこの状況をなんとか打開しようと声を上げた。
「ふ、二人とも!もうお昼休憩の時間も終わりましたし、早く執務に戻らないと!ね?あ、シオン様はもしかして私になにかご用でもありましたか?ほら、シオン様一旦戻りましょう!先輩もありがとうございました!王宮でのお仕事頑張ってくださいね。また是非お話ししましょう!」
そう伝えると、渾身の力でシオンを背中でずるずると後ろに押しながら部屋の中へ入り扉を閉めた。部屋に入ったあと、首に巻きついていたシオンの腕がようやく外れる。
シオンはそのまま執務室の真ん中にあるソファに勢いよく深く腰掛けると、背もたれになだれ込み、シェリルの方を見ないで無愛想な口調で言葉を吐き出した。
「先輩って何?ルカと元々知り合いだったの?」
つい、焦って“先輩”と言ってしまったが、シオンはすでにシェリルが貴族令嬢であることを知っているので、正直に答えることにした。
「魔法学校時代に二つ上の先輩だったんです。」
そう伝えると、シオンは「ふーん」とつまらなさそうに答えたあと、苛立ったように前髪を掻き上げた。
「先輩って言うには距離感がやけに近かったようだけどな」
シオンは冷たい口調で吐き捨てるように言葉を漏らした。
「…あー、やっぱ今日はダメだな。悪いけどこのまま抜けるから、お疲れ。」
さっきまでの威勢はまるでなく、拍子抜けするくらい冷たい態度にシェリルは唖然とする。しかし、シェリルの横を通るシオンの顔は血色が悪く、体調が悪そうに見えた。
「あ、ちょっと、シオン様!」
声をかけたのも虚しく、そのままシオンは扉を閉めて出ていってしまったため、シェリルは1人取り残された執務室でシオンが出て行った扉の方をただ眺めることしかできなかった。




