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第11話 君に残る薔薇の香り

 公爵邸の別邸で客室に案内されたあと、少し休んでからシェリルは別邸の食堂に案内され、夕食を取ることになった。公爵邸の食事は、シオンが言っていた通りどの料理もまるで高級レストランに来たかのように、美味しいものばかりだった。

 

「こんなに美味しいお料理、初めてです…!」


 次々に出てくる料理に目を輝かせながら美味しそうに食べるシェリルを、シオンは嬉しそうに微笑んで見ていた。視線を感じてシオンの方を見ると、じっとシェリルを見ていたようで、はしゃぎながら食べていたことが急に恥ずかしくなる。

 

「食事中にそんなにはしゃぐなんて、日頃よほど質素なものしか食べてないんだろうねぇ。ねえ君、このかわいそうな彼女に今日はメインからデザートまで、公爵邸の自慢の料理をしっかり食べさせてやって。」


 シオンは悪戯っぽく口角をあげながら配膳していたメイドにそう伝える。


「ちょ、ちょっとシオン様、恥ずかしいのでやめてください…!メイドさんもすみません…おいしくてついはしゃいじゃって…」


 そう言うとメイドもクスリとはにかむと、「デザートまでご用意しておりますので、存分にお楽しみください」と言い厨房の方へ入って行った。


 恥ずかしさで顔を赤くしていたが、運ばれてくる食事はどれも本当に美味しくて、シェリルは美食の品々を堪能し、心も体も満たされたのだった。

 

 食事を終えると、シェリルとシオンはメイドと共に客室に繋がる階段を登る。階段を登った先で、ちょうどお互いの部屋に繋がる分かれ道になり足を止めた。


 「じゃあ、明日はまた1階の客間で。時間になったらメイドが起こしに来ると思うから。今日は疲れただろうからゆっくり休んでくれ。」


 シオンはそう言うと自分の部屋のある方へ廊下を進んでいった。シオンと別れてから、メイドと共に客室に戻ると、改めて部屋の中を見渡してシェリルは感嘆の声をあげた。


「先ほども驚きましたが、本当にすごいお部屋ですよね…。こんなところに泊まれるなんて夢みたいです。」


 伯爵家で自室として使用していた部屋もそこそこ広く豪華な部屋だったが、それとは比べ物にならないほど家具や調度品から漂う高級感と豪華さは、さすが王家と繋がりのある公爵家と言わざるを得ない。


 案内してくれたメイドは、品よくふっと口角を上げて微笑みながら「そう言っていただけて、公爵家のメイドとして大変光栄に存じます。」と言うとさらに言葉をつなげた。


 「湯浴みの準備もできておりますので、どうぞごゆっくりお浸かりになってください。公爵邸に咲き誇っている薔薇から取れた精油を入れておりますので、道中の疲れも取れることと思います。では、私はこれで失礼させていただきます。別邸にも常に何名かおりますので、なにかあればご遠慮なくお申し付けください。」


 そう言って部屋を出て行った。公爵家はメイドも気品に溢れており隙がなく、シェリルは感心するとともに背筋が伸びるようだった。


(お風呂、どんな感じなんだろう?)

 

 気になって浮き足立ちながらバスルームのドアを開けた瞬間、蒸気と共に優しい薔薇の香りがふわりと漂ってくる。香りのする方を見ると、バスタブの中には薔薇の花びらがふんだんに浮かんでいた。


(精油だけかと思ったけど、花びらまで…!こんなに素敵なお風呂に入れるなんて夢見たい。こんなところに泊まったらもう帰りたくなくなっちゃうかも)


 バスルームにあるリネンラックの上には、さらりと軽やかな生地でできた薄手の寝衣《しんい》が置いてあった。広げてみると、くるぶしのあたりまでふわりと長い白いナイトドレスになっており、首元が程よく開いていて背中側は少し深めにひらけている。裾の方には淡いピンク色の薔薇の刺繍が散らしてある、なんとも上品で女心をくすぐるナイトドレスに、さらに舞い上がってしまいそうだった。


 早速支度をして服を脱ぎバスタブに浸かる。緊張していた体から一気に力が抜け、ふぅとため息が漏れる。バスルームに漂っていた薔薇の香りはシェリルの体にも溶け込み、最初から薔薇の香りを纏っていたかのようにその空間に馴染んでいた。


 バスルームを出た頃にはすっかり疲れも癒え、テーブルに置いてあった水を一口飲むと、ほてった体を冷やそうとベランダの戸を開けて外に出た。春の涼しい夜風が心地よい。しばらく外を眺めていると、明日行く予定の森が遠くの方に見えることに気がついた。公爵邸はあまりに居心地が良く気が抜けていたが、一気に現実に引き戻される。明日はいよいよ実践の日だと考えると急に不安な気持ちが押し寄せてきた。


(そいうえば明日ってどうしたらいいんだろう…私は治癒魔術がメインって聞いているけど、なんだか急に不安になってきた——)


ベランダから、シオンがいる部屋の方へ目を向けると、まだ明かりがついているようだった。シェリルは部屋へ戻り、荷物の確認をしたり、明日の準備に取り掛かったが、そわそわとして気持ちは全く晴れない。クラシックなソファに腰をかけてみるが落ち着かず、色々考えた末に、背もたれにかけてあったショールを肩にかけると、部屋を出てシオンのいる部屋へ向かった。

部屋の前まで来て一呼吸おき、ドアをノックする。ほんの数拍置いた後、目の前のドアがガチャリとあいた。


「シェリル?こんな時間にどうした?」


 

 目の前のシオンは同じように白いリネンの寝衣を着ていた。胸元はボタンが一つ開いており、髪は少し湿っている。いつもよりさっぱりとしたその無防備な姿にどきんと胸がなる。シオンはまさか扉の前にいるのがシェリルだとは思わず、目を丸くしていたが、すぐに部屋の中へ促してくれた。


 シオンの後ろをついていくと、いつものスパイシーなアンバーの香りではなく、石鹸の香りをふわりと漂わせており、その爽やかな香りにさらに心が揺さぶられる。シオンはシェリルを二人がけのソファへ座るよう促すと、自分もその隣に座った。


「どうした?明日の実践、不安になってきた?」


 シェリルの顔を覗き込み、優しく微笑みながら問いかける。いつもは軽口を叩くシオンだが、こういう時はまるで大事なものを扱うように接してくれる。不安でいっぱいになっていた心がわずかにゆるりと解ける。


「あの、すみません。こんな時間に。私、大きな魔物も見たことがないので、魔物を前にして実戦で自分がお役に立てるのか、とか、どんなことをするんだろうとか、一人になると急にいろいろ考えて不安になってきちゃって…」


 正直に胸の内を話すと、少し間を置いた後、シオンはそっとシェリルの手を掬い取り手を握った。不意に手を握られ、シェリルはシオンの顔をパッと見上げる。魔力防御のグローブをしていないシオンの手から、心地よく魔力が流れ始める。


「最初はみんなそんなもんだよ。それにシェリルは後方で騎士の治癒だから、危険なこともそんなにないはずだし。まあ俺が行ったらすぐ終わっちゃうかもしれないからシェリルはやることもなく終わる可能性もあるかなー。公爵邸でおいしい料理も食べられたし、ちょっとした旅行の延長だと思って明日は初任務にあたればいいよ。何度も言うけど、俺が一緒にいるんだから、そんな不安に思わなくても大丈夫。」

 

 手を握りながら優しく励ましてくれる目の前のシオンの瞳をじっと見つめる。耳から入る声が鼓膜を揺らし、手から流れるお互いの魔力が全身を巡る。


 なんて心地が良いんだろう。この魔力の波を、声を、ずっと感じていたい。そんな衝動に駆られる。

 

「どう?少しは落ち着いた?」


 そう言われた瞬間、ハッと我に帰る。


「あ、ありがとうございます。シオン様がそう言ってくれると、なんだか落ち着いてきました」

 

 そう答えると、シオンは満足そうにした後、そっと手を離した。名残惜しさを感じながら繋がれていた手をシェリルはぎゅっと自分の手で掴んだ。二人の間には、静かに穏やかな空気が流れていたが、その状況が少しくすぐったくて、だんだんおかしくなってきたシェリルはくすくすと笑いながらシオンに話しかける。

 

「なんかシオン様、いつもと違いますね。すごく…優しくて。調子狂っちゃいます。」

 

 そう言って笑顔でシオンを見上げると、少し意表を突かれたような顔をした後、シオンもまた優しい目をしてじっとシェリル見下ろす。


「俺もいつもふざけてるわけじゃないからね。それに、女の子が泣きそうな顔で部屋に来たんだから、ほっとけるわけないでしょ。」


 嬉しい言葉のはずなのに、“女の子が”という総称が引っかかってしまう。自分もその“女の子”の内の一人なのだと思うと、シェリルの心の中にモヤモヤとした影が広がる。


 「確かにシオン様は、女の子には優しいですもんね。今日は素敵な女性を二人もたぶらかしてましたし?そりゃ困ってる女の子が目の前にいれば、誰であろうとほっとけないですよね。」

 

 嫌味っぽくシオンに向かって悪態をつく。もやもやとした気持ちを抑えられず、するすると口から嫌味な言葉が出てしまい、引っ込みがつかなくなる。そんなシェリルに、シオンはふっと笑い、座っていた椅子の背もたれに腕を回すと体勢を崩し、シェリルの方に体を向ける。ゆっくりともう片方の手をシェリルに近づけると、そっとシェリルの髪を掬い取った。

 

「何?シェリルちゃん。…もしかして、妬いてる?」


 シオンは首を傾けながら悪戯を思いついた子供のような顔で、シェリルにそう問いかけた。『妬いてる?』という言葉にシェリルは目を丸くした。自分でも自覚していなかった気持ちを指摘され、顔が熱くなるのを感じる。

 しかし、一度自覚をしてしまえば、それは一気にシェリルの中でまるで点と点が繋がってゆくかのように膨らんでゆく。


 いつも揶揄われたり、時に優しかったり。スマートな立ち居振る舞いに、時折見せる優しい表情。シェリルはいつからかシオンのことを意識するようになっていた。真っ赤になって下を向くシェリルの髪を口元に持っていくと、シオンはそっと口付けた。


「おまえ、ほんとかわいいね。…ねえ、そんなに顔が赤くなってるってことは、今よりもう少し、俺はシェリルに近づいてもいいってこと?」

 

 ちらりとシオンの方を見ると、シオンは真っ直ぐにシェリルを見つめていた。シオンのブルーグレーの瞳に映り込む自分の姿が見え、顔がさらに熱くなるのを感じる。吸い込まれそうなシオンの眼差しは、この数十センチの距離だけではなく、心の中にまで踏み込んで来そうな真剣なものに感じ、思わず息を呑む。


 そのままシオンはシェリルの方に身体を傾けるとシェリルの肩に頭を預けた。シェリルの耳元にさらりとシオンの少し湿った髪があたる。肩からはシオンの体温がダイレクトに感じられ、シェリルは身動きができなくなる。


 シオンは少し顔をシェリルの首元に傾けると、「なんか、シェリルから薔薇の香りがする。」と甘えたように言葉を紡ぐ。


 耳元で声が響き、シェリルはぞわりとお腹の奥が疼くと同時に思わず体を小さく強張らせた。その拍子にシェリルの肩にかかっていたショールがするりとソファへ落ち、シオンは視線をショールへ向けた。少しの沈黙がながれ、「はぁ…」、とため息をついたあと、シオンはショールをすっと拾い上げ、シェリルの肩へとかけた。


「——さっきの話だけど、俺が、本当に大切にしたいと思うのは昔も今も、シェリルだけだよ。」


 そう告げたシオンの言葉にシェリルはがちくりと胸が痛む。


 「さて、このままだとあんまり良くない流れになっちゃいそうだから、このくらいにしておくよ。さ、部屋に戻って今日はゆっくり休みな。」


 そう言って立ち上がり、手が差し出される。すっと重ねると、やっぱり繋いだ手が心地よい。客室まで続く廊下をそのまま手を繋ぎながら歩き、シェリルの部屋の前に着くとすっと手は離れた。


「それじゃあおやすみ。」


「…おやすみなさい。」

 そう言うと、シオンはシェリルを部屋に入るよう促した。部屋に一人入ったシェリルは、先ほどまで繋いでいた手を片方の手でぎゅっと握ると、祈るように口元に持っていった。


 “本当に大切にしたいのは昔も今もシェリルだけ”


 この言葉が胸に突き刺さる。“昔のシェリル”は私じゃない。嘘をついている罪悪感がじくりと広がる。でも今はこの言葉がどうか自分自身に向けられたものであってほしい、と願ってしまう。


(私は、シオン様が好きなんだ…。)


 シェリルは初めて自分の気持ちを自覚した。

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