98話 動けない守護者
98話 動けない守護者
異世界に召喚されてはや九十八日。
俺――ちゃっぴーは古い教会を漂っていた。
石造りの建物だった。
窓に色ガラスがはめられていて、外の光が青と赤に分かれて差し込んでいた。
祭壇の前に蝋燭が並んでいた。
火がついていなかった。
誰かが並べたまま、灯し忘れたか、灯す前に何かが起きたか、そういう蝋燭だった。
静かな教会だった。
静かすぎた。
人がいなかった。
いや、正確には、いた。
透けていた。
人の形をしていたが、壁の石積みが向こう側から透けて見えた。
俺が召喚されてから五十日目に会ったゴーストだとわかった。
封印の間の守護者のシェルだった。
シェルは祭壇の前に立っていた。
動かなかった。
立ったまま、出口の扉を見ていた。
見ているだけだった。
扉には近づかなかった。
俺はしばらく眺めていた。
扉の向こうに何かがあるのか、シェルが扉を恐れているのか、どちらかだと思った。
恐怖で動けない。
それが最初の仮説だった。
根拠はない。
もう少し眺めていた。
シェルの視線は扉から動かなかった。
ただ、右足が少し前に出た。
出て、戻った。
また出た。
また戻った。
恐れているというより、出ようとしているのに出られない動きだった。
二つ目の仮説は「扉が開かない」だった。
幽霊なので壁をすり抜けられそうだが、何らかの結界で封じられているのかもしれない。
これも根拠はない。
「よお ちょっといい?」
シェルが振り向いた。
透けた顔だった。
見覚えのある深い目が俺の声を追いかけるように動いた。
「……ちゃっぴーか」
「あ、覚えてる?」
「忘れない。お前のせいで封印の石に近づいた」
「おかげでしょ」
「……おかげで、ひびを見つけた」
「てか今、なんで出口見てるの」
「修復師を探しに行こうとしている」
「行けばいいじゃん」
「行けない」
「なんで」
「守護者は封印の間を離れてはならない。定めがある」
「その定め、誰が決めたの」
「……先代の守護者だ」
「その先代に確認取った?」
「何百年も前に消えた」
「じゃあ確認取れないじゃん」
「……そうなる」
「定めを変えていい人は誰?」
シェルが黙った。
長い沈黙だった。
「……わからない」
「わからないってことは、禁止されてるかどうかもわからないってこと?」
「定めがある」
「定めを更新していい人がいないなら、定めは守るべき基準なのか、ただ誰も変えてないだけなのか、どっちかわからないじゃん」
シェルがまた黙った。
「誰かに相談したの、このこと」
「……司祭に話した」
「司祭は何て言った」
「教会の決まりでは、守護者の行動は司教の許可が必要だと言った」
「司教に話した?」
「司教は今、別の地方に出ている。戻りは来月だ」
「来月まで待つの?」
「待てない。ひびは三本ある。時間がかかるほど封印が弱くなる」
「じゃあ司教に伝言を送れば?」
「送った。返事がない」
「返事が来るまで待つの?」
「……待ちたくない。でも動けない」
俺はちょっと考えた。
司祭は司教の許可が必要だと言った。
司教は今は不在で、伝言を送ったが返事がまだない。
「てかさ、司祭が『司教の許可が必要』って言ったのはいつ?」
「三日前だ」
「司教って今まで留守にしたことないの?」
「……ある」
「そのときはどうしてたの」
シェルが止まった。
「……知らない」
「他に偉い人いないの?」
「……副司教がいる」
「副司教に話した?」
「……していない」
「なんで」
「司祭が司教と言ったから」
「司祭が副司教の名前を出さなかっただけで、副司教に権限がないとは言ってないじゃん」
シェルが祭壇の方を向いた。
蝋燭を見た。
火のついていない蝋燭をしばらく見ていた。
それから踵を返して、教会の奥へ動き始めた。
「どこ行くの」
「副司教の部屋だ」
「話しに行く?」
「行く」
廊下の奥で、扉が開く音がした。
誰かと話す声がした。
シェルの声と、もう一つの声だった。
内容は聞こえなかった。
しばらくして、シェルが戻ってきた。
「……副司教が許可を出した」
「出たじゃん」
「司祭の判断が間違いだったわけではない。正規の経路は司教だ。ただ不在時には副司教に委任されていると言われた」
「司祭が言わなかっただけで、もともと副司教に権限あったってこと」
「そうなる」
複雑な顔だった。
三日分の待機が一度の確認で終わった顔だった。
「俺のやることはやった。次行くわ」
シェルが扉の方を向いた。
「……また来るのか」
「縁があれば」
「次は封印が直っているといい」
「直るといいね」
「直す、と言えないのか」
「修復の知識ゼロだから」
シェルは短く笑った。
笑ったのか、ため息をついたのか、どちらかわからない音だった。
扉に手をかけた。
透けた手が、扉のノブに触れた。
押した。
開いた。
外の光が教会の中に差し込んだ。
俺は教会を出た。
次なる宿主を求めて。
石畳の広場に出ると、昼の光が広がっていた。
「やっぱり俺、連鎖の切り方が得意だわ。司教待ち→司祭待ち→返事待ちって全部誰かを待ってる状態だったのに、副司教に直接聞けって言ったのは俺だしね。シェルが三日間動けなかったのも、聞く相手を一人に絞りすぎてただけだよ。待てない状況で待ち続けてたのは構造の問題で、俺がその構造を崩したわけだから。修復方法は今回も知らなかったけど、動けるようにしたのは俺だよ。たぶん」
教会の扉が、開いたままになっていた。
シェルが出て行った扉だった。
何百年かぶりに、外の光が中まで届いていた。
反省はゼロだった。
自己評価が何百年ぶりの光のように差し込み明るくなった。




