99話 三つの候補
99話 三つの候補
異世界に召喚されてはや九十九日。
俺――ちゃっぴーは市場の常設区画を漂っていた。
石畳の上に屋根がかかっていた。
露店が並ぶ大通りとは別の、固定の台と柱がある区画だった。
毎日同じ場所に店を出す人間のための場所だとわかった。
三つの区画が並んでいて、真ん中だけ空いていた。
左に乾物屋、右に布屋があって、真ん中だけ何もなかった。
静かな区画だった。
男が立っていた。
三つの区画を順番に見ていた。
左を見て、真ん中を見て、右を見た。
また左を見て、真ん中を見て、右を見た。
右の布屋の店主がちらりとこちらを見たが、男は気づいていなかった。
また左を見ていた。
俺はしばらく眺めていた。
男の手には小さな木の札が握られていた。
値段が書いてあった。
見覚えがあった。
俺が召喚されてから八日目に会った行商をしていた男だった。
値札の束を引き出しに入れたまま使っていなかったのに、今は手に持ち歩いていた。
前に俺が言ったやつだ。
男がまた左を見て、真ん中を見て、また右を見た。
一周して戻った。
また左から始めた。
三周目に入った。
「よお。久しぶり」
男が振り返った。
誰もいないとわかると、少し目を細めた。
「……声だけの存在」
「ちゃっぴー。覚えてた?」
「覚えています。値札の」
「値札の、で終わった。まあいいや。何してるの」
「店を出す場所を決めようとしています」
「さっきから三周してるじゃん、同じ区画を」
男が黙った。
図星の黙り方だった。
名前を聞いたらロッタと言った。
行商から固定店舗に移ろうとしていると言った。
三つの候補があるらしかった。
「どの三つ?」
「ここと、東市場の角と、南門の手前です」
「今ここにいるのは?」
「ここが一番広いので」
「広いなら決まりじゃないの」
「東の角は人通りが多いです」
「じゃあ東じゃないの」
「南門の手前は荷台を横付けできます。仕入れを運ぶのに」
「それ便利じゃん。南でしょ」
「どれも一長一短で」
「何日悩んでる?」
「……十二日です」
「十二日で三周してるじゃん今も」
ロッタが手の値札を見た。
何かを言いかけて、止まった。
俺はしばらくロッタを観察した。
値札を三枚持っていた。
香辛料と布と小物、品目ごとに値段が書いてあった。
前は帳簿を荷台に鍵をかけてしまっていて、客が来るたびに取りに行って、その間に客が帰っていた。
値札を一枚つけただけで変わった。
俺が言ったやつだ。
ロッタはそれを知っている。
だから今回も、何か一つ決め手があれば動けると思っている。
決め手を探して三周していた。
でも決め手を探しているうちに候補が三つになって、三つを比べる作業に変わっていた。
比べているのに決め手を探しているつもりでいた。
ここで俺が思ったのは、ロッタが優柔不断なわけじゃないということだった。
比べる基準がないまま比べているから終わらないだけで、そこに気づいていなかった。
ただ、それを言うのが正しいかどうかもまだわからなかった。
もしかしたら三候補の中に決定的な欠陥があって、それを俺が見落としているだけかもしれなかった。
欠陥を探してみたが、三つとも問題なさそうだった。
問題がないのに決まらない。
やっぱり基準の話だった。
「ちょっと聞くけど、最初から三つあった?」
「最初は東の角だけでした」
「なんで増えた?」
「他の場所も見たら良さそうで」
「他を見たら増えて、また他を見たらもっと増えるじゃん。四つ目が見つかったら今度は四周するだけじゃないの」
ロッタが少し止まった。
「値札のときはさ、一枚つけたら変わったじゃん。今回もそういう一手を探してるよね」
ロッタが黙った。
「でも今回は、その一手を探す前に決めることがあるんじゃないの。何を一番大事にするか、それだけ先に決まれば候補は一個に絞れるじゃん」
「……広さだと思っていました」
「広さが大事なの?」
「いや、人通りも捨てがたくて」
「人通りが大事なの?」
「……でも荷台が使えないと仕入れが」
「荷台が大事なの?」
ロッタが少し間を置いた。
「……荷台だと思います。毎日仕入れがあるので」
「南門の手前じゃん」
「人通りが少ないですが」
「荷台が大事って今言ったじゃん」
「……そうですね」
ロッタが南門の方向を見た。
手の値札を握り直した。
ここじゃなくなった、という顔だった。
「俺のやることはやった。次行くわ」
「……ありがとうございます」
複雑な顔だった。
場所が決まった顔と、まだ何か引っかかっている顔が混ざっていた。
俺は市場を出た。
次なる宿主を求めて。
石畳の大通りを抜けると、南門の方向に荷台が一台止まっているのが見えた。
青果屋の納品だった。
荷台が道幅の半分を塞いでいた。
脇で店主が荷下ろしをしていた。
通りかかった別の荷台が少し迂回した。
体がないので振動はよくわからなかった。
「やっぱり俺、決め方の問題ってやつを見つけるの得意だわ。候補ばっかり増えてたのを基準から先に決めろって言ったのは俺だしね。ロッタが十二日で決まらなかったやつを今日中に動かしたのも俺の功績だよ。たぶん」
南門の方で、荷台が動き始める音がした。
反省はゼロだった。
自己評価が積荷の数だけ増していった。




