97話 ぜんぶ同時
97話 ぜんぶ同時
異世界に召喚されてはや九十七日。
俺――ちゃっぴーは結界の中を漂っていた。
半透明の壁が四角く立っていた。
教室の形をしていた。
壁の向こうに木の机が並んでいて、それぞれに十歳前後の子どもが座っていた。
魔法学校の実習室らしかった。
先生と思しき女が黒板の前に立っていた。
呪文の文字が書いてあった。
結界の壁が窓代わりになっているのか、外の景色が薄く透けて見えた。
静かなはずだった。
「せーの」
先生が手を上げた。
生徒が一斉に呪文を唱え始めた。
声が重なった。
全員の声が重なった。
それぞれの机の上で魔法陣が光り始め、次の瞬間、全部が同時に消えた。
誰一人、発動しなかった。
先生が額を押さえた。
生徒の一人が隣の子を見た。
隣の子も同じ方向を向いた。
何かのせいにしたい顔だった。
俺はしばらく眺めていた。
全員の口の動きは合っていた。
手の形も、たぶん正しかった。
一人ひとりを見ると、動作の問題がある子はいないように見えた。
なのに全員消えた。
声が重なった瞬間に消えた。
「よお。ちょっといい?」
先生が振り返った。
「……また声の存在か」
「またって、前にも来た?」
「生徒が報告してきた。声だけの何かがいると。もう気にしないことにした」
「ちゃっぴーだよ。体ないから見えない」
「知っている。用件は」
俺はもう一度、さっきの光景を頭の中で整理した。
全員の動作は正しかった。
なのに消えた。
たぶん呪文が短いんだと思った。
短いから出力が弱くて打ち消し合う。
声が小さい子が足を引っ張っている可能性もある。
「呪文、短くない? もっと長く唱えた方が出力が上がると思うんだけど。あと声が小さい子がいると全体が引っ張られない?」
「長さは定められた通りだ。声量は関係ない」
「でも消えてたじゃん」
「知っている。三週間消えている」
三週間か、と思った。
俺はもう一度生徒たちを見た。
全員が次の「せーの」を待っていた。
待ちながら、隣の子の机をちらちら見ていた。
自分の魔法陣の位置を確認するみたいな目だった。
自分のせいだと思っているのか、隣のせいだと思っているのか、どちらかだった。
「せーの」
また全員が唱えた。
また全部消えた。
ただ、一人だけ違った。
右端の子の魔法陣は、ほんの少しだけ長く残った。
それからゆっくり消えた。
右端の子の席には、隣がいなかった。
たぶん気力の問題だと思った。
右端の子は端っこで目立たないから、先生に見られてないプレッシャーがなくて伸び伸びできる。
そういう子が伸びるんだよな。
「みんな、消えると思ってて、だから弱くなってるんじゃない? 気合いが足りない。三週間失敗すると気持ちが折れるじゃん。右端の子は伸び伸びやってたから少し残ったと思う」
先生が俺の方を向いた。
「声の存在。右端の席に何か気づいたことはあるか」
「隣がいなかったよ。端っこだから」
先生が少し黙った。
「……そうだな」
俺はもう一度、右端の子の席を見た。
隣がいない。
隣がいる子は全員消えた。
隣がいない子だけ、少し残った。
「……あ」
「何か見えたか」
「右端だけ残った」
「続けろ」
「隣がいないからだ」
「つまり?」
「隣とぶつかってる」
「そうだ」
「じゃあ一人ずつ唱えれば解決するじゃん」
「やってみた。待っている生徒が暇になって、こっそり別の魔法を試し始める。その干渉で唱えている子の魔法陣も消えた」
「あー」
「一人ずつにすると順番待ちの干渉が生まれる。全員同時だと全員分の干渉が生まれる。どちらにしても干渉する」
俺はしばらく黙った。
同時がダメで、一人ずつもダメ。
待ってる間に別の魔法を試すのが問題で、でも何もしないでいるのも難しい年齢で。
子どもに何もするなと言っても無理がある。
「待ってる子に、干渉しない何かをやらせればいいんじゃない? 呪文の暗記とか、筆記の復習とか。手を動かしてたら余計な魔法を唱える暇がないでしょ」
「……やらせたことがなかった」
先生が少し考えてから、生徒たちの方を向いた。
「一班から順番に唱える。待ちの班は教科書の五ページを声を出さずに読むこと」
生徒がざわっとした。
一班が唱えた。
発動した。
二班が唱えた。
発動した。
三班が唱えた。
その瞬間、待機中の二班の一人が手を動かした。
小さな魔法陣が出た。
三班の魔法陣が揺れて、消えた。
先生が目を細めた。
「……まだ干渉している」
「待機班から出てるじゃん。教科書読んでる子が手を動かした」
「見ていた」
「教科書読むだけじゃ手が空くんだよ。筆記も一緒にやらせないと」
先生が少し止まった。
「……筆記もやらせるか。あるいは監視役を置くか」
「どっちでもいいと思う。筆記の方が全員に何かやらせてる感あるけど」
「監視役の方が確実だ」
先生が一班の生徒を一人立たせた。
待機班の方を向けた。
三班が唱えた。
発動した。
「動いた」
「動いたね。監視役がいると手が出にくいじゃん」
先生が短く息を吐いた。
「ただし監視役を毎回誰かが担う必要がある」
「まあそれはそれで授業になるんじゃない?」
先生が黒板を消し始めた。
「俺のやることはやった。次行くわ」
先生が手をほんの少し休めた。
「礼は言う。ただ、声量と気合いの話は不要だった」
「俺的には必要な観察プロセスだったよ」
「右端の席に気づいたのはお前だ」
「そうだよ。俺が最初に右端を見てなかったら今もまだ一斉唱和してたと思う。たぶん」
先生は何も言わなかった。
否定もしなかった。
俺は結界を出た。
次なる宿主を求めて。
夕方の光が結界の半透明な壁を透かしていた。
中から声が聞こえた。
誰かの呪文だった。
さっきより静かだった。
たぶん一人分だった。
「やっぱり俺、観測力が高いわ。右端の席だけ魔法陣が長く残ってるのに気づいたのは俺だしね。先生が三週間詰まってたのも、俺が右端を指摘したから動いたんだよ。声量と気合いの話は情報収集フェーズだったから外れたとは言えない。むしろ外れたことで問題の輪郭が絞られた。つまり俺の誤診断は正解への布石だった。たぶん」
結界の中から、また一つ、光が灯った。
反省はゼロだった。
自己評価が生徒の人数ぶん積み上がった。




