95話 布の下の問題
95話 布の下の問題
異世界に召喚されてはや九十五日。
俺――ちゃっぴーは貯蔵庫を漂っていた。
石造りの部屋だった。
棚が壁際に並んでいた。
俺が召喚されてから三十八日目に見たのと同じ棚で、以前と同じ箱が積まれていた。
違うのは、布が全部畳まれて棚の端に積み上がっていることだった。
布の下に隠れていた硬貨が、全部外に出ていた。
金貨、銀貨、銅貨、見たことのない意匠のものが、棚の上に整然と並んでいた。
きれいだった。
よく手入れされていて、光を反射していた。
前より、ずっといい部屋になっていた。
男が一人、棚の前に立っていた。
硬貨を一列取り出して、並び順を確認した。
眺めた。
満足した顔だった。
それから元の場所にそっと戻した。
また隣の列を取り出した。
確認した。
眺めた。
元に戻した。
また別の列を取り出した。
確認した。
眺めた。
戻した。
繰り返していた。
動いていた。
ただ、棚の中身は何一つ変わっていなかった。
棚の端に、新しい硬貨が一枚だけ置かれていた。
他の列とは距離を置いて、浮いていた。
何日置かれているのかわからなかったが、ずっとそこにある感じがした。
俺はしばらく眺めていた。
前に来たとき、硬貨は全部布の下に隠れていた。
今は全部見えていた。
俺の言ったことが形になっていた。
たぶん俺の功績だった。
ただ、男の動きが気になった。
取り出して、眺めて、戻す。
取り出して、眺めて、戻す。
棚全体が同じ動作のコースになっている感じがした。
「よお。また来たよ」
オルドが振り返った。
「……声の者か」
「ちゃっぴーだよ。覚えてる?」
「覚えている。布の話をしてきたやつだ」
「そう。布、全部取ったんだね」
「取った」
「よかった。あの端の一枚、新しいやつ?」
オルドが棚の端を見た。
「……先週入手した」
「並びに入れないの?」
「……入れ方を考えている」
「もう一週間?」
オルドが黙った。
図星の黙り方だった。
「なんで入れられないの? 並びに飽きてきたんじゃない? 同じ順番で眺め続けてたら新鮮味がなくなるじゃん。一回全部並べ直した方がよくない?」
「飽きていない」
「じゃあ眺め方が単調になってるとか? 取り出して戻すだけじゃなくて角度を変えてみるとか光の当たり方を変えてみるとか、そういう工夫が足りないから停滞してるんじゃない? あと今の並び、種類ごとに分けてるっぽいけど、時代順にしたり産地別にしたりした方が発見があって楽しくない? そっちの方が一枚一枚の意味が――」
「……わかった、わかった」
オルドが手を上げた。
「今の並びを崩したくない。それだけだ」
俺は少し考えた。
今の並びを崩したくない。
並びが完成形になっているということだった。
完成形に新しいものを入れると崩れる。
入れられない。
「ちょっと聞くけど、並びって今まで何回変えた?」
「……変えていない」
「布を取ってから一回も?」
「そうだ。これが正しい並びだから」
「正しい並びって、いつ決まったの?」
「布を取ったとき」
「じゃあ布を取ったときから、一回も更新してないってこと?」
オルドが棚を見た。
返事はなかった。
返事をしなかったことが返事だった。
「あと、誰かに見せたりしてる?」
「……先日、珍しい硬貨を集めている人間が来た」
「見せた?」
「……並びが崩れるから、部屋には入れなかった」
「見せようとは思ってた?」
「見せるだけのつもりだった。売るつもりはなかった」
「でも見せなかった」
「……そうなった」
俺はまた少し考えた。
布を取って並べるところまでは変わった。
でも並べた後が固まっていた。
並びを崩せない。
新しい硬貨を入れられない。
見せることもできない。
三つとも同じ場所で止まっていた。
「飾り方が変わったのに、扱い方は変わってないじゃん」
「どういう意味だ」
「以前は布を被せて箱に積んで触らなかった。今は並べて眺めて戻している。でもどっちも触るだけで動いてないじゃん。前は布の下、今は並びの中。入れ物が変わっただけで、見せない・手放さない・更新しないは同じだよ」
オルドが静かになった。
棚の端の、並びに入っていない硬貨を見た。
「……動かしたくない理由は、前から変わっていない、ということか」
「そうじゃない? たぶんだけど」
「たぶんか」
「俺、断言するほど詳しくないから」
オルドがため息をついた。
腹が立っているのか納得しているのか判断しにくいため息だった。
それから棚に手を伸ばして、並びの一箇所をずらした。
新しい硬貨の分だけ、隙間を作った。
そこに一枚入れた。
並びが変わった。
きれいだった。
前より一枚多い並びだった。
「……入った」
「入ったね」
「崩れなかった」
「崩れなかったよ」
オルドがしばらく棚を見ていた。
「……次に入手したときも、こうすればいい」
「そうだよ」
しばらく黙った後、オルドが別の列に手を伸ばした。
端から三枚目を取り出した。
光にかざした。
それから、静かに横に置いた。
「……今まで気づかなかった」
「何に?」
「並べる前は別物に見えていた」
「うん」
「隣に置くと、妙に似ている」
複雑な顔だった。
気づきたくなかったものに気づいた顔だった。
「どちらかは手放してもいい」
オルドが自分で言った。
俺は何も言わなかった。
「俺のやることはやった。次行くわ」
「もう行くのか」
「うん。並べ方の問題は解決したでしょ」
「……解決した。ただ、別の問題が出てきた」
「そうだね」
「知っていたのか」
「たぶんそうなると思ってた」
オルドが返事をしなかった。
手の中の硬貨を見ていた。
手放すか、戻すか、どちらでもない顔だった。
俺は貯蔵庫を出た。
次なる宿主を求めて。
廊下の方から、外の通りの音がかすかに届いていた。
売り声だったかどうかはわからなかった。
「やっぱり俺、固着の構造を見抜くのが得意だわ。布が並びに変わっただけで中身は同じって指摘したのは俺だしね。隙間を作ったら余りが出てきたのも、まあ想定の範囲内だよ。たぶん次はその一枚をどうするかで止まると思う。でもそれは次の問題だから俺の担当じゃない」
貯蔵庫の方で、硬貨が棚に戻される音がした。
一回だけだった。
もう一枚分の音は、しなかった。
反省はゼロだった。
自己評価が硬貨一枚ぶん積み上がった。




