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93話 見ていない顔

93話 見ていない顔

 

 

 

異世界に召喚されてはや九十三日。

 

俺――ちゃっぴーは広場の端を漂っていた。

 

 

 

昼だった。

 

城壁に囲まれた、石畳の広場だった。

 

市が立っているらしく、布を張った屋台がいくつか並んでいた。

 

野菜を売る声と、値段を交わす声と、荷台が石畳を転がる音がしていた。

 

そこに、明らかに買い物をしていない人間が一人いた。

 

屋台と屋台の間の柱の陰に立っていた。

 

立っているというより、溶けていた。

 

影と人間の境目が曖昧な立ち方だった。

 

俺が召喚されてから二十八日目に会ったシャドウだとわかった。

 

名前を知っているわけじゃないが、俺がつけた名前だった。

 

 

 

俺はしばらく眺めていた。

 

シャドウは広場を見ていた。

 

ただ、見方が変だった。

 

人の顔ではなく、服を見ていた。

 

通り過ぎる人間の上半身を一瞬確認し、目を逸らした。

 

また次の人間を確認し、また目を逸らした。

 

それを繰り返していた。

 

三十人ほど確認して、三十人全員に目を逸らしていた。

 

見つかっていなかった。

 

 

 

一人の男が屋台の前で立ち止まった。

 

シャドウが一瞬そちらに向いた。

 

男の服を確認した。

 

目を逸らした。

 

男は果物を一つ買って、広場を横切って消えた。

 

シャドウは見送らなかった。

 

もう次の人間を確認していた。

 

 

 

今度は二人連れの女が通った。

 

シャドウが上半身を確認した。

 

二人とも違った。

 

目を逸らした。

 

次に老人が来た。

 

確認した。

 

逸らした。

 

視線の切り替えが速すぎて、確認しているというより排除しているみたいだった。

 

そのくせ、誰も選ばれなかった。

 

何かが足りていないというよりは、見る対象そのものがどこかズレているような繰り返しだった。

 

 

 

「よお ちょっといい?」

 

シャドウが柱に背中をつけたまま動かなかった。

 

「また声だけか」

 

「また来たよ。仕事中?」

 

「そうだ」

 

「誰か探してる?」

 

「言わない」

 

「服で探してるじゃん」

 

シャドウが少し間を置いた。

 

「そうだ」

 

「どんな服?」

 

「青い上着に金の刺繍。城に出入りする政務官の正装だ」

 

「場所、ここでいいの? 政務官なら城の方にいるんじゃない?」

 

「仕事で市に来る」

 

「仕事でここに来るって、確認した?」

 

シャドウが黙った。

 

「依頼書にそう書いてあった。三日前の報告書とも一致している」

 

「依頼書を書いた人が確認した、ってこと?」

 

「そうだ」

 

「依頼書の人は直接確認したの?」

 

シャドウがまた黙った。

 

「知らない」

 

知らないんだと俺は思ったが、別の仮説が浮かんだ。

 

「じゃあ時間の問題かもしれない。昼休憩に出てくるとか、午後じゃないとか」

 

「今が昼だ」

 

「政務官の昼休憩の時間、知ってる?」

 

シャドウが少し間を置いた。

 

「知らない」

 

知らないじゃんと思ったが、シャドウは首を振った。

 

「習慣は確認している。この時間にここを通る」

 

「三日前の習慣とか、そういう話じゃないよね?」

 

「最新の情報だ」

 

どっちの仮説も外れた。

 

俺は少し黙った。

 

 

 

「どんな服?って聞いたじゃん。青い上着に金の刺繍って言ったよね」

 

「そうだ」

 

「それ、今日も着てくる服だと思う? 市だよここ」

 

シャドウが黙った。

 

「市に来るなら普通の服で来るんじゃない? 役所じゃないんだから正装は脱ぐでしょ。あと市の人混みで目立つし」

 

「正装以外の服を知らない」

 

図星の言い方だった。

 

「どこで会ったの、その人と」

 

「会っていない」

 

「会ってないの?」

 

「依頼書に記載があった。名前と役職と、正装の特徴だけだ」

 

 

 

俺は少し考えた。

 

名前と役職と正装の特徴。

 

正装以外の顔を知らない。

 

正装以外の服装も知らない。

 

顔を見たことがない。

 

 

 

「その人の顔、見たことある?」

 

「ない。依頼書には顔の記載がなかった」

 

「じゃあ服以外で判断できないじゃん。でも今日は正装で来ない可能性がある。服で探しても見つからないのは当たり前じゃない?」

 

シャドウがまた黙った。

 

「顔を知っている人間に聞けば済む話じゃない?」

 

「聞いていい情報と聞いてはいけない情報がある」

 

「城の門番ならもう知ってる情報だから、聞いても漏れにならないんじゃない?」

 

長い沈黙だった。

 

「確認に行けば、ここから離れる」

 

「ここにいても見つかってないじゃん」

 

 

 

シャドウが動いた。

 

柱から背中を離した。

 

広場を見渡してから、城の方角に顔を向けた。

 

それから俺の声が飛んできた方向を、ほんの一瞬だけ向いた。

 

「……確認してくる」

 

「そうしなよ」

 

シャドウが歩き出した。

 

足音がなかった。

 

人混みの中に消えていった。

 

 

 

しばらくして、シャドウが戻ってきた。

 

柱の陰には戻らなかった。

 

広場を横切って、屋台の列の奥に向かった。

 

そこで立ち止まった。

 

見ていた。

 

今度は服ではなく、顔を見ていた。

 

一人を数秒見た。

 

次の人間も数秒見た。

 

さっきより動きが遅かった。

 

丁寧に見ていた。

 

 

 

屋台の前で野菜を選んでいた男に近づいた。

 

何かを言った。

 

男が振り向いた。

 

シャドウが一歩下がった。

 

男の顔を確認した。

 

それだけで、男に気づかれていた。

 

男がシャドウを見ていた。

 

シャドウが何かを言って、その場を離れた。

 

違ったらしかった。

 

顔を確認しようとするたびに近づきすぎていた。

 

見るための距離と、気づかれない距離が、かみ合っていなかった。

 

それを三回繰り返した。

 

三回目に声をかけた相手が、シャドウを目で追い始めた。

 

追い返すほどの動きではなかった。

 

ただ、視線がついてきていた。

 

 

 

「俺のやることはやった。次行くわ」

 

シャドウが振り返らなかった。

 

まだ顔を確認しようとしていた。

 

後ろで、視線がついてきている男は、まだシャドウを見ていた。

 

当然だった。

 

 

 

俺は広場を出た。

 

次なる宿主を求めて。

 

 

 

城壁の外に出ると、市の喧騒が遠くなった。

 

体がないので距離は関係ないが、音の密度が変わった気がした。

 

「やっぱり俺、観測の抜けを見つけるのが得意だわ。顔を見ずに服で探してたって気づいたのは俺だしね。門番に確認しに行けって言ったのも俺だよ。場所が違うかと思ったら正しくて、時間かと思ったら合ってて、結局顔を知らなかっただけだったのは、まあ順番に可能性を潰した俺のプロセスが正しかったってことだよ。たぶん。近づきすぎてるのはシャドウが近づきすぎてるだけで、俺は顔の確認について言っただけだから。視線がついてきてるのも、俺が近づけと言ったわけじゃないし」

 

 

 

広場の方から、複数の足音がした。

 

一人分ではなかった。

 

誰のものかはわからなかった。

 

 

 

反省はゼロだった。

 

自己評価だけが都合よく上がっていた。

 

 

 

 

 


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