80話 なぜの連鎖
80話 なぜの連鎖
異世界に召喚されてはや八十日。
俺――ちゃっぴーは王の執務室を漂っていた。
窓が二つあって、外の中庭が見えた。
俺が召喚五日目にみた景色が広がっていた。
噴水があって、衛兵が二人立っていた。
のどかな眺めだった。
けれど執務室の中はのどかじゃなかった。
扉の前に、廊下から部下が一人入ってきた。
書類を持っていた。
口を開いた。
「陛下、東区の陳情ですが」
「なぜ東区から陳情が出た」
部下が止まった。
少し考えて、答えた。
「それは……橋の補修が遅れているためかと」
「なぜ遅れている」
「予算の申請が、その……」
「なぜ申請が滞った」
部下の手の中で書類が揺れた。
「……確認して参ります」
「なぜ今知らない」
部下が頭を下げて、出て行った。
扉が静かに閉まった。
俺はしばらく眺めていた。
似たようなことが、ここ十分ほどで三回起きていた。
部下が入ってくる。
王が「なぜ」と聞く。
部下が詰まる。
部下が下がる。
執務室に戻ってこない。
王の机には書類が一枚も積まれていなかった。
積まれていないのに、処理された形跡もなかった。
「よお。ちょっといい?」
王が顔を上げた。
驚かなかった。
「……また来たか、ちゃっぴー」
「うん。以前来たやつ。声だけの、体なしのやつ」
「わかっている」
王は静かに羽ペンを置いた。
書類がないのにペンを持っていた。
名前を聞く必要はなかった。
覚えていた。
この王には以前、「なぜと聞く習慣」の話をしたことがある。
ペンを置く動作が、少し疲れた人間のものだった。
「部下が来るのに書類がたまらないじゃん。なんで」
「聞いているのだ。なぜ、と」
「で?」
「答えを調べに行く。戻ってこない」
「調べに行ったまま?」
「そのようだ」
王は執務室の扉を見た。
廊下の向こうから、誰かが小走りで遠ざかっていく足音がした。
俺は少し考えた。
部下が来るたびに「なぜ」を聞いて、全員が調べに行って戻ってこない。
王の机に書類がない。
これは王が暇すぎる問題だと思った。
暇な王に部下が近づきにくくなる現象だと俺は判断した。
「王って、暇な時間帯に限って怖くなることあるじゃん。部下が来づらくなってるんじゃない?」
「余は怖くない」
「まあそれはそう言うよね。でも机に何もないのに羽ペン持ってるじゃん。習慣で持ってるくらい暇だってことで、そういう時の上司って地味に入りにくい雰囲気あるんだよね」
「…………」
「執務室の動線も気になって。扉から机まで距離あるじゃん。あの距離を歩く間に問い詰められると思ったら足が遅くなるよ。机をもっと入口寄りに動かしたらどう?」
「机を動かす話ではない」
「あと部下が来る時間帯って決まってる? 来る時間がバラバラだと対応の濃度が変わって、たまたま当たった時間帯によって扱いが違うってなると、部下が来る前に心理的コストを計算し始めて――」
「ちゃっぴー」
「なに」
「それは全部違う」
「あ、そう」
王が机の上で指を一本立てた。
「なぜを聞くたびに、部下が調べに行く。調べに行った部下が戻らない。それだけだ」
「連鎖してるってこと?」
「そのようだ、と先ほど言った」
「言ってたね」
「調べに行った部下が、調べ先の者にまたなぜを聞いているのかもしれない」
「あー。それありそう」
「思っていたなら言え」
「机の動線の話が先だったから」
王が少し目を閉じた。
「どうすればよいと思う」
「なぜを聞くのをやめればいいんじゃない?」
「それでは元に戻る」
「じゃあ聞く回数を一日三回に限定するとか。質問の予約制にして、部下が来る前に疑問点を書面で出す。そうすれば王が事前にその書面を読んで、なぜを事前に調べておける。当日は確認だけになるから止まらない」
「……それは」
「すごくない? 俺天才かも」
王が黙った。
扉が開いた。
さっき調べに行った部下が戻ってきた。
書類を三枚持っていた。
「陛下、橋の件ですが。補修が遅れた原因は予算申請の様式に問題があり、担当が三代変わった際に引き継がれなかったためで、引き継ぎが途絶えた原因は前任の書記官が病で急に交代したためで、その書記官が病になった原因は――」
「わかった。承認する」
「ですが原因の説明が」
「聞いた」
「まだ途中で」
「橋を直せ」
部下が止まった。
頭を下げて、出て行った。
しばらく静かだった。
「あれ? なぜ聞かないの?」
「全部聞いていると日が暮れる」
「質問予約制の話は?」
「書面が増える」
「まあそれはそうか」
王は羽ペンを置いた。
また置いた。
もともと置いてあったが、もう一度置く動作をした。
扉が再び開いた。
今度は別の部下が入ってきた。
書類を五枚持っていた。
「陛下、南の税収ですが、なぜ減少しているかを調べましたところ、昨年の日照不足が原因で、なぜ日照不足だったかというと気象の記録では三年周期の傾向があり、なぜ三年周期かは農務の記録を遡りましたところ――」
「わかった」
「まだ続きが」
「承認する。次を持ってこい」
「俺のやることはやった。次行くわ」
「まだいたのか」
「うん。なんか解決してたからいいかなと思って」
「解決したのか」
「してるじゃん。書類来てるし、承認してるし」
「……そうだな」
複雑な顔だった。
何かが違うが、何が違うかを指摘するには疲れすぎている顔だった。
俺は執務室を出た。
次なる宿主を求めて。
廊下では、調べに行っていた部下たちが何人も戻ってきていた。
それぞれが書類を抱えていた。
それぞれの書類が、さっきより分厚くなっていた。
「やっぱり俺、問題の本質を見抜く目があるわ。王が質問しすぎて業務が止まってるって看破したのも俺だしね。机の動線の話は若干ズレてたかもしれないけど、それで会話のテンポが生まれて、その流れで王が自分で気づいたんだから、俺のアドバイスが呼び水になってる。間接的に俺の功績。質問予約制は採用されなかったけど、アイデア自体は正しかったと思う。たぶん」
廊下の奥で、書類を抱えた部下の声がした。
「なぜそうなったかを全部書いてきました」
「なぜそれだけの量になった」
「なぜを全部書けと言われたので」
「誰に」
「……皆がそう言っていたので」
廊下では部下が台車で書類を運んでいた。
扉の向こうから長いため息が聞こえてきた。
紙を大量にめくる音がした。
それからまた、ため息がした。
反省はゼロだった。
自己評価が書類一枚分積み上がった。




