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78話 城壁の外し方

78話 城壁の外し方

 

 

 

異世界に召喚されてはや七十八日。

 

俺――ちゃっぴーは城壁の上を漂っていた。

 

 

 

石造りの城壁だった。

 

幅は人が二人並んで歩けるくらいで、端には胸壁が並んでいた。

 

遠く城下まで見渡せる高さで、風で旗がばたついていた。

 

体がないので風は当たらないが、そういう高さだとわかった。

 

 

 

壁の一角に、男が一人いた。

 

重い装備を背負っていた。

 

クロスボウだとわかった。

 

男は城壁の端まで歩いた。

 

特定の胸壁の前でしゃがんだ。

 

しばらく待った。

 

立ち上がって、来た道を戻った。

 

何もしなかった。

 

途中で別の兵士とすれ違った。

 

兵士が何か聞いた。

 

男が首を振った。

 

兵士が去った。

 

 

 

男がまた端へ向かった。

 

同じ胸壁の前でしゃがんだ。

 

しばらく待った。

 

立ち上がって戻った。

 

また何もしなかった。

 

また別の兵士とすれ違って、また首を振った。

 

 

 

俺はしばらく眺めていた。

 

男の動きに迷いはなかった。

 

行き先は毎回同じだった。

 

なのに何もせずに帰ってきていた。

 

二往復目が終わったとき、男が胸壁に額をつけた。

 

うんざりしている動作だとわかった。

 

 

 

「よお ちょっといい?」

 

男が振り向いた。

 

誰もいないとわかると、また胸壁の方を見た。

 

「声だけの存在、ちゃっぴーだよ。体ないから見えない」

 

「……声だけの存在に用はない」

 

「何回同じとこ往復してんの」

 

「黙れ」

 

「何もせずに戻ってくるじゃん。毎回」

 

男が黙った。

 

図星の黙り方だった。

 

 

 

名前を聞いたらハインと言った。

 

城の狙撃手で、城壁から城下への射線を管理していると言った。

 

「今日、撃てた?」

 

「……撃てていない」

 

「昨日は?」

 

「撃てていない」

 

「一昨日は?」

 

ハインが黙った。

 

三日分が一つの沈黙で出た。

 

「あの場所、毎回そこだよね。なんでそこなの」

 

「射線がいい。城下の主要な通りを二本カバーできる」

 

「ずっとそこ使ってるの?」

 

「二年になる」

 

 

 

俺は少し考えた。

 

クロスボウは重い。

 

重い装備を持って城壁を往復している。

 

二年間、毎回同じ場所。

 

きっと装備が重いから遠くまで行けないでいる。

 

あの胸壁が移動距離的にギリギリの場所で、それ以上遠い場所は体力的に使えない。

 

だから固定されてる。

 

「ハイン、装備、最近重くなった?」

 

「変わっていない」

 

「でも往復のたびに息が上がってるように見えたけど」

 

「そうは見えないはずだ」

 

「じゃあ疲労が蓄積して——」

 

「していない」

 

断言が速かった。

 

俺の読みが外れた。

 

 

 

もう一度眺めた。

 

ハインがまた端へ歩いていく。

 

同じ胸壁の前でしゃがんだ。

 

クロスボウを取り出しかけて、やめた。

 

また戻した。

 

立ち上がった。

 

「今、取り出しかけてやめたじゃん」

 

「条件が整わなかった」

 

「条件って?」

 

「構えるには姿勢が必要だ。あの胸壁は高さがちょうどいい」

 

「他の胸壁は高さが合わないってこと?」

 

「……慣れていない」

 

「慣れの問題? それとも体格的に合わない?」

 

「慣れだ」

 

「じゃあ他の場所でも慣れれば使えるじゃん」

 

「慣れるのに時間がかかる」

 

「今から慣れ始めればいいんじゃない? 二年後にはどこでも使えるようになるじゃん」

 

「二年後の話をしている場合ではない」

 

「だよね。でもさ、ちょっと待って」

 

 

 

俺は少し黙った。

 

場所は二年間変わっていない。

 

手順も変わっていない。

 

なのに三日前から急に機能しなくなった。

 

ハイン側は何も変えていない。

 

変わったのはハイン側じゃない。

 

「ハイン、三日前、何か変わった? 場所でも装備でも手順でもなくて、周りの話」

 

「……周り?」

 

「そう。ハインが変えてないなら、相手側が何か変えたんじゃないかと思って」

 

ハインが少し止まった。

 

「……三日前から、城下の様子が変わった」

 

「どう変わった」

 

「路地の入口付近に、いつもいない人影がある」

 

「毎日いるの?」

 

「……ずっとそこにいる」

 

止まった。

 

 

 

「二年間、毎回同じ場所から狙ってたんでしょ」

 

「そうだ」

 

「だったらその人影、ハインがどこから出てくるか知ってるじゃん。監視を置けば狙撃手を封じられる。二年分の習慣が、そのまま弱点になってる」

 

ハインが胸壁の方を見た。

 

「……場所を変えればいい」

 

「そうだよ」

 

「わかっている」

 

「じゃあなんで変えないの」

 

「……ここ以外からの射線を、体が覚えていない」

 

これだった。

 

「別の場所から一回やってみなよ。感覚でいいから」

 

「感覚では射たない」

 

「今も撃ててないじゃん」

 

ハインが押し黙った。

 

城壁を一度見渡して、歩き始めた。

 

今度は別の方向だった。

 

壁の折れ曲がった角の近くで止まった。

 

しゃがんだ。

 

城下を覗いた。

 

顔を引っ込めなかった。

 

クロスボウを構えた。

 

しばらく動かなかった。

 

撃った。

 

 

 

城下の方で何かが崩れる音がした。

 

 

 

「……撃てた」

 

「撃てたね」

 

ハインが立ち上がった。

 

複雑な顔だった。

 

撃てた顔と、二年間なんだったんだという顔が混ざっていた。

 

 

 

城壁の上から声が上がった。

 

怒鳴っている。

 

「あれ、何」

 

「……連絡網だ。さっきすれ違った兵士が、俺が撃つ前に合図を受け取れなかった」

 

「あ、さっき首振ってたやつ」

 

「狙撃手が撃つ前に連絡を入れる手順がある。新しい場所からの手順が、俺にはまだない」

 

「それ、最初に整理しといた方がよくなかった?」

 

ハインが黙った。

 

言い返せなかった。

 

 

 

「俺のやることはやった。次行くわ」

 

「待て。連絡網の整理が——」

 

「それはハインの仕事じゃん。場所を変えたら手順も変わるって、最初からわかってたはずじゃん」

 

ハインが何か言いかけて、やめた。

 

返事はなかった。

 

怒鳴り声の方へ歩き始めた。

 

感謝とも迷惑とも取れない背中だった。

 

 

 

俺は城壁を離れた。

 

次なる宿主を求めて。

 

 

 

石段を通り抜けると、城壁の上の怒鳴り声がまだ続いていた。

 

「やっぱり俺、変化の発生源を特定するのが得意だわ。ハイン側じゃなくて相手側が変わったって気づいたの俺だしね。三日前から急に動けなくなったなら原因は三日前に生まれたって、当たり前の話だけど当たり前のことに気づくのが一番難しいんだよ。別の場所から撃ってみろって言ったのも俺だよ。連絡網が混乱したのはまあそうなったけど、場所を変えること自体は正しかったから。副作用は副作用だし。たぶん」

 

 

 

城壁の上で、また怒鳴り声がした。

 

さっきより遠くなっていた。

 

 

 

反省はゼロだった。

 

自己評価が胸壁の厚さぶん積み上がった。

 

 

 

 

 


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