77話 観測の話
77話 観測の話
異世界に召喚されてはや七十七日。
俺――ちゃっぴーは教会の廊下を漂っていた。
石造りの壁に細い窓が並んでいて、外の光が筋になって差し込んでいた。
床に木の長椅子が並んでいた。
信仰の場だとわかった。
ただし今この廊下は、祈りの場ではなかった。
端に置かれた木の台の上に、小瓶が七本並んでいた。
全部違う色だった。
一本ずつ形も違った。
ラベルも貼ってあった。
用意はできていた。
その横で、俺が召喚されてから四十四日目に会ったミレスが立っていた。
腕を組んでいた。
動いていなかった。
七本の瓶を見ていた。
見て、組んだ腕をほどいて、一本手に取った。
首を傾けると、また戻した。
そして、腕を組み直した。
俺はしばらく眺めていた。
ミレスの手は止まっていなかった。
動いていたが、進んでいなかった。
手に取っては戻す、というのを少なくとも三回繰り返した。
四回目も同じ瓶を触っていた。
触った形跡が残らないので、どれを確認したかわからなくなっていた。
前回の籠の中の薬草と同じ構造だと思ったが、それは言わないことにした。
選べていなかった。
俺は最初、薬の中身の問題だと思った。
でもミレスの手の動きは妙だった。
一本を取り出して、確認して、戻して、また別の一本を取る。
全部を見比べていた。
どれかを除外しているわけじゃなかった。
何かを決めようとしているように見えた。
ただ、その何かはわからなかった。
「よお ちょっといい?」
ミレスが振り向いた。
聞き覚えがある顔をした。
「……またお前か」
「また俺だよ。前に籠の話をした声だよ。覚えてた?」
「覚えている。作業台の下から籠を出せと言った」
「そうだよ。今日も何かやってるじゃん」
ミレスが七本の瓶を一瞥した。
「……薬師の仕事だ。お前には関係ない」
「決められてないじゃん、さっきから」
ミレスが黙った。
図星の黙り方だった。
今回は教会に来ていると言った。
近くの集落で体の不調を訴える信徒が複数出ていて、神父から依頼を受けたのだと言った。
「神父から症状を聞いて、それに合う薬を持ってきた」
「何人分?」
「五人分だ」
「症状は何だって?」
「だるさと頭の重さ、それに食欲が落ちている者が多いと聞いた」
「それ、神父から聞いただけ?」
「そうだ」
「本人たちは見てないの?」
「まだだ」
「なんで?」
「薬を決めてから行く」
俺は少し考えた。
「だるさ」も「頭の重さ」も、原因が何種類もある。
季節の変わり目の疲れかもしれないし、水分の問題かもしれないし、あるいは別の何かの前兆かもしれない。
原因によって薬が変わる。
神父の言葉だけでは判断の根拠が足りていない。
でもミレスは、そこを口にしなかった。
決められない理由を、決められない問題だと思っていた。
「配合が間違ってるんじゃない? だるさと頭の重さって、水気が足りないときと逆に水気が多すぎるときで全然違う薬になるじゃん。間違えると逆効果になるよ。あと食欲が落ちてるのは胃の問題かもしれないから、そっちを先に対処すべきで、俺的には胃を整える系の薬を一番目に出して、体力の回復を補助する薬を二番目にして、頭の重さは原因を三段階で絞ってから対応した方が――」
「配合は合っている」
「でも決められてないじゃん」
「……症状が似ているんだ」
「似てるなら一番近い薬を渡せばよくない?」
「試した。先週、三人に渡した」
「治った?」
「三人のうち二人は治った」
「残り一人は?」
「治らなかった。薬を替えたら治った」
「じゃあ今回の五人も同じように渡してみれば――」
「五人のうち何人かは合わないかもしれない。それを事前に絞りたい」
「どうやって絞るの?」
「……それが」
ミレスが瓶を一本手に取った。
また戻した。
「わからないんだ」
俺はしばらく眺めた。
絞り方がわからない、と言った。
でも先週の一人は、薬を替えたら治った。
替えた、ということは、一度渡してから確認したということだ。
渡す前には確認していなかった。
渡した後に確認した。
その順番で、先週は動いていた。
今週は、渡す前に絞ろうとしていた。
「てか優先順位も気になる。五人全員に同じ重さで対応しようとしてない? あと神父の伝言は正確とは限らないよね。本人が言ったことと神父が理解したことと、神父がミレスに伝えたことで三段階のズレが発生してて、元の情報が薄まってる可能性があって、だとすると今決めようとしてる根拠そのものが怪しいわけで――」
「わかってる」
ミレスが短く言った。
「わかってるが、会いに行く前に選ばないといけないと思っていた」
「なんで?」
「……手ぶらで行けないだろう」
俺は少し止まった。
手ぶらで行けない。
それが前提になっていた。
だから選ぼうとしていた。
選べないのに、選ぼうとしていた。
先週は渡した後で確認できていたのに、今週は渡す前に絞ろうとしていた。
絞るための情報が、手元になかった。
情報を取りに行っていなかった。
「見てから選べばよくない?」
ミレスが動かなかった。
「どういうことだ」
「全部持っていけばいいじゃん。選ぶのは会ってからで。だるさの重さも、原因も、見ればわかるんでしょ。見ないままで選ぼうとするから詰まってるんじゃない? 神父から聞いた症状が正確かどうかも、行けばわかる」
「……全部持っていく」
「七本全部持てる?」
「持てる」
「じゃあ持ってけばいいじゃん。選ぶのは現場で」
ミレスが七本の瓶を一度全部、台の上に並べ直した。
腕を組まなかった。
一本ずつ確認して、全部を布袋に入れた。
迷わなかった。
一分もかからなかった。
袋を持って立ち上がった。
さっきまで動かなかった手が、止まらなかった。
「行って来る」
「うん。俺のやることはやった。次行くわ」
「もう行くのか」
「うん。見に行けばわかるんだから、あとは自分でできるでしょ」
「……まあ、そうだな」
複雑な顔だった。
感謝ともまたこいつかともつかない顔だった。
でも足が出ていた。
俺は教会を出た。
次なる宿主を求めて。
石畳の上に、午後の光が斜めに落ちていた。
体がないので温度はわからないが、光の角度がそういう時間だった。
「やっぱり俺、観測の問題を見抜く能力が高いわ。選ぶ前に見に行けって言ったのは俺だしね。神父の伝言に三段階のズレがあるって言ったのも俺だよ。配合の話は聞いてもらえなかったけど、見てから絞るって判断に繋がったんだからあれも布石だったよ。たぶん。ミレスが手ぶらで行けないって思い込んでたのを崩したのも実質俺の功績で。前回の籠のときより話を聞いてくれたし、俺への慣れが出てきてる。成長してもらってる。こっちとしても嬉しい」
しばらくして、教会の奥の扉が開く音がした。
少し間を置いて、また開いた。
三回目は、さっきより慌ただしかった。
反省はゼロだった。
今日も静かに、自己評価が薬瓶ひとつぶん積み上がった。




