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76話 動かない防衛戦

76話 動かない防衛線

 

 

 

異世界に召喚されてはや七十六日。

 

俺――ちゃっぴーはガルドの城を漂っていた。

 

 

 

また来た。

 

俺が召喚されてから二十九日目に会ったので、四十七日ぶりになる。

 

石造りの執務室は前と同じで、窓から城下が見えた。

 

畑は青くなっていた。

 

季節が変わっていた。

 

机の上は前より片付いていた。

 

書類の山は消えていた。

 

ただ、机の中央に三枚だけ、並べて置いてあった。

 

 

 

ガルドが三枚を見ていた。

 

右を見た。

 

左を見た。

 

また真ん中を見た。

 

手は動かなかった。

 

 

 

俺はしばらく眺めていた。

 

三枚の書類の端に、それぞれ何か印がついていた。

 

地図らしきものが描いてあった。

 

矢印と数字が書き込んであった。

 

防衛の配備案だとわかった。

 

三つ並んでいた。

 

ガルドは読んでいた。

 

読み終わっていた。

 

なのに手が出なかった。

 

 

 

前に来たとき、こいつは書類を読まずにめくっていた。

 

今は読んでいる。

 

ちゃんと読んで、ちゃんと止まっている。

 

止まり方が前と違った。

 

前は量に詰まっていた。

 

今は中身に詰まっていた。

 

 

 

書類が増えたんじゃないか、と最初は思った。

 

でも三枚しかない。

 

三枚で止まっている。

 

ということは優先順位の問題じゃない、と次に思った。

 

でも三枚並べて全部を等しく見ているなら、優先順位をつける気がそもそもない可能性がある。

 

つまり選べないんじゃなくて、選ぶ気がない?

 

いや、選ばなきゃいけないのはわかっているはずで、だから机に出して並べているんだろう。

 

 

 

俺は少し考えてからやめた。

 

考えてもわからなかった。

 

 

 

「よお ちょっといい?」

 

ガルドが顔を上げた。

 

驚かなかった。

 

「……またお前か」

 

「また俺だよ。前より片付いてるじゃん、机」

 

「あの後、部下に確認と処理を分けさせた。溜まらなくなった」

 

「いいじゃん。俺の指導が根付いてる」

 

「指導とは言っていない」

 

「言い方の問題だよ。で、今日は何が問題なの」

 

ガルドが三枚を指した。

 

「東の防衛線の配備案だ。三つある」

 

「どれにするか決められないってこと?」

 

「もう少し情報が揃ってから決める」

 

 

 

俺は三枚を見た。

 

どれにも詳細な数字が書いてあった。

 

兵の数、配置距離、補給の日数、季節ごとの想定まで書いてあった。

 

 

 

「情報、全部書いてあるじゃん」

 

「書いてある」

 

「足りない情報って何?」

 

ガルドがすぐに答えなかった。

 

「……隣の領との調整が」

 

「調整、まだしてないの?」

 

「……している。先月から文書を送っている」

 

「返事は来た?」

 

「来ている」

 

「内容は?」

 

「こちらの案に異論はないと言ってきた」

 

 

 

次の見立てに入った。

 

隣領の担当者が変わって話がズレているんじゃないか。

 

返事は来ているが、内容を確認していない誰かがいるんじゃないか。

 

俺が召喚されてから十七日目に会ったヴァルドのところで見た通知ルートが止まっているやつに似ている。

 

 

 

「ちなみに、その返事を受け取ったのは誰? ガルド本人?」

 

「俺が受け取った」

 

「読んだ?」

 

「読んだ」

 

「内容はわかってる?」

 

「わかっている」

 

今回の見立ても外れた。

 

 

 

俺は少し止まった。

 

情報が揃っている。

 

隣領の調整も終わっている。

 

返事も本人が読んでいる。

 

それでガルドの手が止まっている。

 

だとすれば。

 

 

 

「ガルド、もう一個聞いていい? 決めた後に何かまずいことが起きると思ってる?」

 

ガルドが黙った。

 

図星の黙り方だった。

 

「誰か困るの?」

 

「北側の村だ。どの案も、北側への巡回が減る」


「それを気にして止まってる?」

 

「決めれば北側が手薄になる。決めなければ東側の備えがない。どちらに転んでも問題になる」

 

「今は?」

 

「今は東も北も変わっていない」

 

「つまり今が一番マシな状態で、動くと必ずどこかが悪くなる、だから動かない」

 

ガルドが返事をしなかった。

 

返事をしないのが答えだった。

 

 

 

俺はもう一度三枚を見た。

 

三案のうち一番右、北への影響が一番小さい案に数字が密集していた。

 

ガルドが一番長く読んでいた紙だとわかった。

 

鉛筆で薄く線が引いてあった。

 

何度も戻ってきている紙だった。

 

 

 

「ガルドさ、この右の案、北への影響が一番小さいじゃん」

 

「そうだ」

 

「これだけ今日決めて、残り二つは来週でいいんじゃない?」

 

「三つセットで決めなければ意味がない」

 

「なんで?」

 

「連動しているから。一つだけ先に動かすと、残り二つの前提が変わる」

 

「変わったら変わったで残りを決め直せばいいんじゃない? どうせ今も決まってないんだから、動かした後の状態の方が、決めやすい情報が増えるんじゃないの?」

 

ガルドがまた黙った。

 

「三つ全部を同時に正解にしようとするから止まってるんじゃない? 完全な答えが出るまで動かないのと、動かさないで東側が手薄なままになるの、どっちがまずい?」

 

「……今は敵も動いていない」

 

「今は、でしょ」

 

ガルドが右端の書類を引き寄せた。

 

しばらく読んでいた。

 

羽ペンを取った。

 

 

 

「……これを承認する」

 

サインをした。

 

短い動作だった。

 

さっきまでの止まり方が嘘みたいだった。

 

「……決めた」

 

「決めたね」

 

「北への影響は出る」

 

「出るよ。一番小さいだけで、ゼロじゃないから」

 

ガルドが残り二枚を脇に寄せた。

 

「残りは来週考える」

 

「そうしなよ」

 

複雑な顔だった。

 

すっきりした顔と、何かを先送りにした顔が混ざっていた。

 

 

 

「俺のやることはやった。次行くわ」

 

「もう行くのか」

 

「うん。あとは北側への連絡だけでしょ」

 

ガルドが止まった。

 

「……北側への連絡は、していなかった」

 

「したほうがいいんじゃない? 手薄になるって先に言っておいた方が、後で黙ってたと知られるよりマシじゃないかな。たぶん」

 

「……そうだな」

 

短い返事だった。

 

感謝でも迷惑でもない返事だった。

 

でも羽ペンをもう一度取った。

 

 

 

俺は城を出た。

 

次なる宿主を求めて。

 

 

 

城門を抜けると、空が西に傾きかけていた。

 

夕方までまだ少しある、そういう光の色だった。

 

「やっぱり俺、膠着状態の解除が得意だわ。全てを同時に正解にしようとするから止まるって見抜いたのは俺だしね。ガルドが北側への連絡をすることにしたのも、俺がひと言添えたから。書類整理ができるようになったら今度は別の止まり方を覚えてくる、そういうやつだよね。成長してるんだか退化してるんだかわからないけど、まあ俺がいるから大丈夫。たぶん」

 

 

 

城の方向から、馬の蹄の音が聞こえた。

 

北の方角へ向かう、速い足音だった。

 

 

 

反省はゼロだった。

 

自己評価が夕日を待つ空の色のように広がった。

 

 

 

 

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