69話 恐怖の使い方
69話 恐怖の使い方
異世界に召喚されてはや六十九日。
俺――ちゃっぴーは王宮の廊下を漂っていた。
石造りの廊下だった。
広かった。
天井が高くて、壁に燭台が並んでいた。
紫色の炎は揺れていなかった。
風がないせいかもしれないし、揺れることを許されていないのかもしれなかった。
静かな廊下だった。
静かすぎた。
ただ、廊下の空気が少し違った。
燭台の炎が、おかしい大きさだった。
隣の燭台の炎がぶつかり合いそうな距離になっていた。
侍従が三人、困った顔で燭台を見ていた。
動かさなければならないのはわかっていた。
でも、どこに動かすかが決まっていなかった。
今まではそんなことを考える必要がなかった顔だった。
「跪け」
廊下の奥から声がした。
低くて、重くて、響いた。
人間の声ではないとわかった。
走り去る足音が続いた。
何人かがいたはずの廊下から、人の気配が消えた。
俺はしばらく漂った。
声の方向へ近づいた。
謁見の間に続く廊下の角に、男が一人立っていた。
正確には、人型の何かだった。
背が高く、鎧を身につけ、角があった。
魔王だとわかった。
理由は説明できないが、そういう存在だった。
前に誰かが倒れていた。
数日前に反乱を起こした魔人貴族の一人だと後でわかった。
魔王はその男を見ていた。
命令を出した。
侍従が数人来て、男を引きずっていった。
何も変わっていなかった。
廊下が元通り静かになった。
ただ。
引きずられていった魔人貴族の後ろに、別の侍従が三人いた。
三人とも俯いていた。
顔が見えなかった。
下を向いたまま動かなかった。
俺はその三人を見た。
それから魔王を見た。
「よお ちょっといい?」
廊下の空気が変わった。
声の発生源がないとわかると、魔王は廊下を一度見渡した。
それだけだった。
「声だけの存在、ちゃっぴーだよ。体ないから見えない。攻撃しても物理無効だから手は出さなくていい」
「……使い魔か」
「違うよ。フリーの声。さっきのやつ、反乱組?」
「三度目だった。このところ反乱が増えた」
「三度も反乱起きたの?」
「今後は止まる」
「なんで?」
「見ていた者がいる」
魔王が俯いている三人の侍従の方を顎で示した。
なるほど、見せしめだとわかった。
「あの三人、怖がってるね」
「そうだ」
「怖がってる顔、見えてる?」
「見えている」
「それで十分だと思ってる?」
魔王が少し間を置いた。
「怖がっているなら逃げない」
「逃げなければ従う、ってこと?」
「そうだ」
「従ってるのと、怖くて動けないのって、見た目同じじゃん」
「……何が言いたい」
「あの三人、今何も考えてないと思う。考える余裕がない顔してる。恐怖で頭が止まってる顔ってそういう感じ」
俺は三人をもう一度見た。
体がないので正確に顔色を読めるかというと微妙だが、そういう顔だった。
下を向いたまま、目だけが泳いでいた。
「……続けろ」
「恐怖で動かすと、命令を実行するだけになる。自分で考えなくなる。これって長期的に見たらどうなの、って話なんだけどね。今すぐどうこうって話じゃなくて」
「考えなくていい。命令通りに動けばいい」
「全部に命令出せる? 細かいやつも含めて」
魔王が黙った。
「細かいところで判断が必要な場面って絶対あるじゃん。そこで考えられない部下だと詰まる。恐怖で抑えると従うけど止まる、って話だよ。俺的には恐怖の使いどころをもう少し絞った方がコスパいいんじゃないかと思うんだけど、あと見せしめの頻度と強度の設計も気になるし、もっと言うと反乱の原因が除去されてないなら四度目が来る可能性があって――」
「余計なことを言うな」
鋭かった。
でも聞いていた声だった。
「じゃあ一個だけ。あの三人に何か一つ、自分で決めていい小さいことを与えてみたら? 燭台の位置でも何でもいい。そうじゃないと今のままただ止まってるだけになる」
魔王は三人を見た。
三人はまだ俯いていた。
しばらく間があった。
「……燭台の配置は侍従が決めることとする」
三人の肩が少し動いた。
緊張がほんの少し変わった気がした。
気のせいかもしれなかった。
「俺のやることはやった。次行くわ」
「待て」
「なに」
「名前を言った。ちゃっぴー、だったか」
「そうだよ」
「覚えておく」
「どうぞ」
俺は廊下を出た。
次なる宿主を求めて。
石造りの廊下を通り抜けると、外の空気があった。
体がないので夜風は当たらないが、暗い空がそういう色だった。
「やっぱり俺、支配構造の設計が得意だわ。恐怖で止まるって見抜いたのは俺だしね。燭台の配置は侍従が決める、ってなったのもきっかけは俺だよ。魔王が自分で言ったとも言えるけど、引き出したのは俺だから実質同じ。細かいことを自分で決める経験が積み重なると部下の思考が戻ってくる。その最初の一手を置いたのは俺だよ。たぶん」
廊下の奥で、侍従の一人が燭台を見つめていた。
隣の紫色の炎とぶつからない距離を、慎重に測っているような視線だった。
今まではそんなことを考えなくてよかったはずだった。
反省はゼロだった。
自己評価だけが静かに上がっていった。




