66話 橋は動かない
66話 橋は動かない
異世界に召喚されてはや六十六日。
俺――ちゃっぴーは川に架かる橋の上を漂っていた。
石造りの橋だった。
欄干が低くて、川の音がよく聞こえた。
橋幅は三人か四人が横に並べる程度で、長さは二十歩もなかった。
渡れば向こう岸に行ける橋だった。
ただし今、渡っている者は一人もいなかった。
橋の中央あたりで、二つの集団が向き合っていた。
片方が五人、もう片方が四人。
全員が剣を抜いていた。
全員が静止していた。
止まっているというより、動けなかった。
端の一人が半歩踏み出した。
止まった。
リーダーらしい男が口を開いた。
閉じた。
後ろの一人が剣の柄を握り直した。
また戻した。
向こう側でも似たことが起きていた。
膝が曲がった。
伸びた。
肩が前に入った。
引いた。
全員が「今か」という顔をしていた。
誰も「今だ」と言わなかった。
俺はしばらく眺めた。
全員が武器を持っていて、全員が動けない。
橋が怖いのかと思った。
幅が狭いし高さもある。
違った。
誰も下を見ていなかった。
では合図を待っているのかと思った。
旗か角笛か。
それも違った。
合図役らしい人間がいなかった。
全員が向こう側を見ていた。
向こう側だけを。
見覚えのある立ち方をしている人間が一人いた。
手前の集団の外側。
短い黒髪、額に汗。
足が半歩前に出ていた。
重心が前にかかっていた。
踏み込みの準備ができている剣士だった。
俺が召喚されてから四日目に会ったエイラだった。
「よお」
エイラが目を細めた。
「……お前か」
「また来た」
「最悪のタイミングだ」
「わかってる。でもなんで動かないの」
「全員で動く必要がある」
「なんで全員で」
エイラが黙った。
図星の黙り方だった。
俺はエイラの足元から視線を外して、リーダーの男を見た。
男は向こう側のリーダーを見ていた。
向こうのリーダーはこっちのリーダーを見ていた。
後ろの四人はそれぞれ前の人間の背中を見ていた。
全員が全員を待っていた。
誰も自分の番だと思っていなかった。
「あのさ、エイラの構えってあれから変わった? 踏み込みは良くなってると思うけど、手首が前より内側に入ってない? あれ打ち込んだとき弾かれやすくなるんだよね。あと向こう側の後ろ二人、前の二人の動きをそのまま待ってる顔してる。前の二人が動けば連鎖する。前の二人はこっちの誰かが先に動くのを待ってる。こっちで一番前にいるのがエイラじゃん」
「……」
「エイラが踏み込めば全部動く可能性がある。待機が一本の鎖になってる」
エイラが黙った。
今度は考えている黙り方だった。
「わかっていた」
「いつから」
「……さっきから」
「なんで動かなかったの」
「誰かが先に動くべきだと思っていた」
「その誰かじゃないの、エイラが」
エイラは答えなかった。
足元を見た。
半歩前に出ていた足が、静かにもう一度、前を向いた。
エイラが息を吸った。
踏み込んだ。
橋の石畳に足音が響いた。
後ろの全員が動いた。
向こう側の前の二人が反射的に動いた。
後ろも続いた。
止まっていた橋が一瞬で解けた。
エイラの一撃は入った。
向こうの一人が退いた。
そこまではよかった。
後ろから来た味方の一人が、エイラの動いた場所に入ってきた。
エイラが体を引いた。
二撃目のタイミングが崩れた。
「邪魔だ」
「みんな一度に動いたから間隔が詰まってるじゃん」
「わかってる」
「橋の幅が狭いのに全員が連鎖したから今度は密集しすぎてる。止まってたものが動きすぎたやつ」
「わかってると言っている」
橋の上が混戦になっていた。
全員が一度に動いたせいで互いが邪魔だった。
エイラは舌打ちしながら後ろを確認しながら動き続けた。
少しずつ間隔が取れてきた。
向こう側が後退し始めた。
「俺のやることはやった。次行くわ」
「……またそのセリフか」
「うん。連鎖の起点を見抜いたのは俺だよ」
「気づいていた」
「いつ」
「……もう少しで」
「でも動けたのは今だったじゃん」
エイラは返事をしなかった。
踏み込みの音だけが橋に続いていた。
俺は橋を離れた。
次なる宿主を求めて。
川の音が下から聞こえていた。
体がないので川風は当たらなかったが、水の気配がそういう感じだった。
「やっぱり俺、待機連鎖の読みが的確だわ。全員が全員を待ってる中でエイラが起点になれると見抜いたのは俺だしね。混戦になったのはエイラが動いたからで、動かなければ全員凍ったままだったわけじゃん。密集については俺も予見してなかったけど、エイラが解決してたから実質俺の功績の範囲内。手首の話は聞いてもらえなかったけど、まあそれはまた次の機会に」
橋の上で踏み込みの音が続いていた。
さっきより速く、さっきより狭かった。
反省はゼロだった。
自己評価だけが石畳一枚分広がった。




