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65話 誰も決めない草原

65話 誰も決めない草原

 

 

 

異世界に召喚されてはや六十五日。

 

俺――ちゃっぴーは草原を漂っていた。

 

 

 

丘がゆるやかに続いていた。

 

草の背丈は膝くらいで、風に揺れていた。

 

体がないので風は当たらないが、草の動きでそういう風だとわかった。

 

草原の真ん中に、七人が輪になって立っていた。

 

足元の草が踏まれて平らになっていた。

 

長い時間ここにいる証拠だった。

 

 

 

「北側が適していると言ってるんだ」

 

「水はけが悪い。南の斜面がいい」

 

「南は傾きがある。均等に使えない」

 

「じゃあ中央は?」

 

「……」

 

 

 

輪が止まった。

 

 

 

俺はしばらく眺めていた。

 

 

 

言い合いに見えた。

 

だが声に怒りがなかった。

 

全員が答えを出したがっていた。

 

答えが出ないだけだった。

 

一人が「北でいいんじゃないか」と言って、半歩前に踏み出した。

 

隣の人間が「水はけの件があるが」と言うと、半歩戻った。

 

別の人が口を開きかけ、隣の男を見た。

 

確認を求める目だった。

 

隣の男は黙っていた。

 

口を開きかけた人が、止まった。

 

また別の人間が「では、まとめると」と言いかけた。

 

言いかけて、途中で止まった。

 

誰かが続きを待った。

 

続きが来なかった。

 

 

 

全員が動こうとしていた。

 

なのに全員が止まっていた。

 

 

 

最初、俺は意見がバラバラで折り合えないのだと思った。

 

違った。

 

全員が「決めよう」とは思っていた。

 

次に、誰かが強い意見を持ちすぎて他を圧迫しているのかと思った。

 

違った。

 

誰も圧迫していなかった。

 

むしろ全員が、誰かを見ていた。

 

 

 

輪の中に見覚えのある顔があった。

 

農民のオットだった。

 

俺が召喚十四日目に農地で会った男だ。

 

あのとき七個以上の作業を同時に抱えて小走りで走り回っていた。

 

今は腕を組んで、輪の端に立っていた。

 

疲れ果てているのかと思った。

 

違った。

 

待っている顔だった。

 

誰かが動くのを、静かに待っていた。

 

 

 

「よお ちょっといい?」

 

七人が振り返った。誰もいない。

 

「声だけの存在、ちゃっぴーだよ。体ないから見えない」

 

 

 

オットが目を細めた。

 

「……また来たか」

 

「また来た。この集まり、何してるの」

 

「草原の使い方を決めている」

 

「決まってないじゃん」

 

「……決まっていない」

 

 

 

「なんで? 意見は出てるじゃん」

 

オットが答えた。

 

「決める人間がいないんだ」

 

 

 

村長が先月から寝込んでいると言った。

 

草原の使い方を決める権限は村長にある。

 

だが動けない。

 

代わりに誰かが決めてよいかどうかも、決まっていない。

 

 

 

「村長に確認は取れる? 話はできる?」

 

「体が悪い。煩わせるのは」と別の男が言った。

 

「許可がいるかどうか、それ自体は決まってる?」

 

「……決まっていない」

 

 

 

そういうことか。

 

許可がいるかどうかも宙に浮いていた。

 

誰かが「村長は」と言う。

 

誰かが「だから村長に」と言う。

 

村長には行けない。

 

全員が出口のない輪の中にいた。

 

 

 

「じゃあ一個だけ聞きに行けばいい。『代わりに誰かが決めていいですか』。それだけ。草原の議論は持っていかなくていい。その一点だけ確認する」

 

オットが腕を解いた。

 

「煩わせるのは変わらない」

 

「今みたいに止まり続けると、春前の牧草の準備が間に合わないんじゃないの」

 

「……間に合わない」

 

「じゃあ一番軽い確認だけ取りに行けばいい」

 

 

 

輪の中で、一人の男とオットが目を合わせた。

 

「俺が行く」とオットが言った。

 

 

 

誰も反対しなかった。

 

輪が少し空いた。

 

オットが草原を横切って、村の方へ歩いていった。

 

残った六人は黙って待った。

 

さっきまでの議論の声がなかった。

 

 

 

しばらくして、オットが戻ってきた。

 

「村長は言った。決めていい。ただし、一番年長の者が取りまとめること、と」

 

 

 

輪の中の視線が動いた。

 

全員の目が、輪の端の白髪の男に集まった。

 

 

 

「……わしか」

 

「そうなります、ガンツさん」

 

 

 

ガンツが短く息をついて、口を開いた。

 

「南の斜面にする。傾きの問題は後で対処できる。北は水が溜まりやすい。中央は将来の拡張のために残す」

 

 

 

三秒で決まった。

 

さっきまでの議論が嘘みたいだった。

 

 

 

ただし、ガンツの顔が困り始めた。

 

隣の男が「ガンツさん、中央の将来計画についてあとで詳しく」と言った。

 

別の男が「南の傾き、どう対処するか教えてもらえますか」と言った。

 

取りまとめを任されたことで、別の相談が集まり始めていた。

 

ガンツが静かにため息をついた。

 

決めたことで、次の仕事が増えていた。

 

 

 

「俺のやることはやった。次行くわ」

 

オットが俺の声の方を向いた。

 

「……また来るかもしれないな」

 

「かもしれない。農地の方はどう?」

 

「一個ずつやってる」

 

「それでいいよ」

 

「おかげではないが」

 

「そう言うと思ってた」

 

 

 

オットは短く笑った。

 

感謝とも何ともつかない笑い方だった。

 

 

 

俺は草原を出た。

 

次なる宿主を求めて。

 

 

 

丘を越えると草が深くなった。体がないので足は沈まないが、そういう高さだった。

 

「やっぱり俺、権限の所在を整理するのが得意だわ。決める人がいないんじゃなくて、決めていいかどうか自体が宙に浮いてたって見抜いたのは俺だしね。一個だけ確認しに行けって言ったのも俺だよ。ガンツが三秒で決めたのも、権限が明確になったからじゃん。あとオットが一個ずつやってるって言ってたの、前の俺の話が根付いてた証拠。今日の功績の半分は前回の俺でもある。体ないけど」

 

 

 

草原の向こうで、ガンツが困り顔のまま別の相談を聞いていた。

 

 

 

反省はゼロだった。

 

今日も静かに、自己評価が草原の広さぶん高まった。

 

 

 

 

 

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