60話 片思いの外交問題
60話 片思いの外交問題
異世界に召喚されてはや六十日。
俺――ちゃっぴーは王宮の客室を漂っていた。
調度品が上等な部屋だった。
壁にタペストリーが掛かっていて、窓から中庭が見えた。
来客用の部屋らしかった。
来客がいた。
外国から来た使節らしい男が、椅子に座って茶を飲んでいた。
向かいに王女が座っていた。
前に来たときより姿勢が落ち着いていた。
書類を抱えて廊下を歩いていたあの王女が、今は外交の席で均等に呼吸していた。
成長じゃん、と思った。
確認する気はなかった。
部屋の隅に侍女が立っていた。
壁際だった。
使節がちらりと侍女を見た。
侍女が視線を外した。
使節がまた見た。
侍女が一歩、壁に近づいた。
壁はそれ以上後退を許さなかった。
侍女が前を向いたまま微動だにしなくなった。
俺はしばらく眺めていた。
王女が使節に何かを説明していた。
使節は返事をしていた。
返事をしながらまた侍女を見た。
王女の目が一瞬だけ細くなった。
外交の顔のまま細くなった。
慣れた細くなり方だった。
何度も同じことが起きているとわかった。
侍女が盆を持って茶を継ぎ足しに来た。
使節が身を乗り出した。
侍女が盆を盾にした。
使節が何か言った。
侍女が会釈だけして壁際に戻った。
戻るとき足が速かった。
「よお ちょっといい?」
三人が固まった。
「声だけの存在、ちゃっぴーだよ。体ないから見えない」
王女が空中を見た。
「……またお前か」
「また、ってことはちゃんと覚えてた?俺が召喚十一日目に会った」
「忘れたくても忘れられない」
「それ褒め言葉として受け取るね」
王女が短く息を吐いた。
使節が困惑した顔で王女を見た。
王女が「気にしないでください」という顔をした。
外交の顔だった。
侍女の名前はリィナと言った。
使節の名前はハルトムートと言った。
「状況はだいたいわかった。ハルトムートがリィナを好きで、リィナはそれが嫌で、王女はそれが外交問題になるから困ってるってこと?」
「言葉に出すな」
王女が低い声で言った。
ハルトムートが顔を赤くした。
リィナが壁にめり込もうとしていた。
「でも誰も否定しないじゃん」
王女が大きな咳払いをした。
「じゃあ俺が解決してあげようか」
「お前に何ができる」
「頭脳は最強だから」
王女がこめかみを押さえた。
外交の顔が少し崩れた。
「ちょっと聞いていい? ハルトムート、リィナのどこが好きなの」
「な——」
王女が止めようとした。
ハルトムートが答えた。
「声だ」
止められなかった。
「声?」
「茶を持ってきたとき、『失礼いたします』と言う。あの声ややわらかな話し方が、故郷の祖母に似ている」
部屋が静かになった。
リィナが盆を持ったまま固まった。
王女の外交の顔が完全に崩れた。
「……祖母」
「亡くなって三年になる。とてもそっくりで最初に聞いたとき驚いた」
俺はしばらく何も言わなかった。
そういうことか、と思った。
恋愛じゃなかった。
懐かしさだった。
誰も観測していなかった。
ハルトムート本人も、たぶん整理できていなかった。
「……それ、リィナに言ったことある?」
「言っていない」
「なんで」
「どう言えばいいかわからなかった」
「そのまま言えばよかったじゃん。今言ったじゃん」
ハルトムートが黙った。
図星の黙り方だった。
リィナが小さく咳払いをした。
「……あの」
全員がリィナを見た。
「祖母様に似ているとのこと、光栄です。もし懐かしいのであれば、お茶の際にお声がけいただければ、お話しすることもできますが」
壁際から言った。
声は震えていなかった。
ハルトムートが目を丸くした。
それからゆっくり頷いた。
「……ありがとう」
リィナが会釈した。
さっきより足が速くなかった。
王女がちらりと空中を見た。
「……解決したのか」
「したっぽいね」
「お前は何もしていないが」
「観測したよ」
「観測しただけじゃないか」
「観測不足が問題だったから、観測が解決策じゃん」
王女が何か言おうとして、やめた。
言い返せなかったのか、言う気がなくなったのか、どちらかだった。
ハルトムートがリィナに何か話しかけていた。
リィナが短く答えていた。
嫌そうではなかった。
ただ、王女がその様子を見て、また目を細めていた。
今度は外交の細くなり方じゃなかった。
「……これはこれで、収拾がつかなくなりそうだ」
「外交より複雑な問題が生まれちゃったね」
「笑い事ではない」
「俺は体ないから笑えないけど」
王女が深く息を吐いた。
「俺のやることはやった。次行くわ」
「待て、後始末を——」
「外交の問題は解決したじゃん。リィナとハルトムートのことは外交じゃないでしょ」
「それが外交に影響するから困っていると言っている」
「それはもう俺の範囲外だよ」
王女が何か言おうとした。
俺はすでに窓の外に出ていた。
体がないので窓は関係なかった。
王宮の外に漂い出た。
次なる宿主を求めて。
中庭に出ると昼の光だった。
体がないので陽は当たらないが、明るい時間だとわかった。
「やっぱり俺、本質の言語化が得意だわ。恋愛じゃなくて祖母への懐かしさだって見抜いたのは俺だしね。ハルトムートに直接聞いたのも俺だよ。リィナが自分で話しかけたのは完全にリィナの判断だけど、場を作ったのは俺だから実質同じじゃん。王女が新しい問題を抱えたのは俺のせいじゃないよ。解決しすぎた副作用だから。たぶん」
反省はゼロだった。
自己評価だけが人間の感情の複雑さ一個分積み上がった。




