57話 届かない注文
57話 届かない注文
異世界に召喚されてはや五十七日。
俺――ちゃっぴーは倉庫を漂っていた。
薄暗い石造りの倉庫だった。
木箱が壁に沿って積まれていた。
麻袋が何列も並んでいた。
干し肉の匂いがした。
体がないので実際に匂うかどうかはわからないが、そういう倉庫だった。
小さな窓から昼の光が一本入っていて、埃が光の中でゆっくり動いていた。
静かな倉庫だった。
コボルトが一匹、帳簿を開いていた。
数字を指でなぞった。
顔を上げて棚を見た。
また帳簿に視線を戻した。
何かを確認したのか、それとも確認できなかったのか、俺には判断がつかなかった。
俺はしばらく眺めていた。
コボルトの動きは丁寧だった。
棚の箱を一つずつ押さえて数を確認していた。
次の棚へ移った。
また数を確認した。
出口の方を見た。
荷馬車が来る方向だった。
来なかった。
また棚へ戻った。
動いていた。
でも何かが進んでいなかった。
在庫は増えてもいないし減ってもいなかった。
コボルトだけが行ったり来たりしていた。
麻袋を右の棚へ移した。
しばらく見た。
また左の棚へ戻した。
場所を変えたいわけではないらしかった。
ただ手を動かしていた。
どこに置いても変わらないのに、置き直し続けていた。
迷っているのか確認しているのか、それとも別の何かなのか。
俺には判断がつかなかった。
「よお ちょっといい?」
コボルトが振り返った。
耳がぴんと立った。
誰もいないとわかると、また棚に向き直った。
「声だけの存在、ちゃっぴーだよ。体ないから見えない」
「……知ってる。噂で聞いた」
「え、俺の噂広まってるの?」
「あちこちに出るらしい。迷惑な声が、って」
「迷惑は余計だよ」
名前を聞いたらゴルクと言った。
この倉庫の在庫番で、三日前から荷馬車が来ないと言った。
「なんで来ないの?」
「わからない。注文が来ないから」
「注文が来たら荷馬車が来るの?」
「そうだ。注文が来て、俺が荷を出して、馬車に積む」
「今、在庫はあるの?」
「ある。山ほどある」
「なのに誰も取りに来ない?」
「そうだ」
俺はしばらく考えた。
在庫はある。
荷馬車は来ない。
注文が届いていない。
原因はどこかにあるはずで、俺には経済の知識はほぼなかった。
ただ一個だけ気になることがあった。
「あの麻袋、さっきから移し直してるじゃん。場所が悪いの?」
「……気になって」
「どっちの棚でもいいんじゃない、それ」
「そうかもしれない」
「てかこの在庫、種類ごとに分けた方がよくない? 俺の試算だと今の棚の配置だと取り出しに二割増しくらい時間がかかってる気がするんだよね、根拠はないけど」
「……配置は問題ない」
「コボルトってこういう在庫の鮮度を嗅ぎ分けられるんじゃないの? 嗅覚で管理できるなら帳簿いらなくない? 俺が嗅覚在庫システムの設計――」
「帳簿でいい」
「そっか。あと帳簿、この数字の列、足し算合ってる? 俺には読めないけど」
「合ってる」
「ほんとに?」
「合ってる」
「確認した?」
「今してた」
ゴルクが帳簿を閉じた。
うんざりの閉じ方だった。
「ちょっと聞くけど、注文って誰が持ってくるの?」
「親方だ」
「親方が持ってくるの、三日前から止まってるわけだ」
「そうだ」
「親方は注文をどこから受けるの?」
「……市場の商人から、だと思う」
「だと思う?」
「俺は倉庫にいる。市場には行かない」
「じゃあ今、商人が注文を出してるかどうか、ゴルクは知らないってこと?」
ゴルクが少し止まった。
「……知らない」
「親方は知ってるの?」
沈黙だった。
図星の種類の沈黙だった。
「親方に確認しに行ったことある、この三日?」
「……ない。来るのを待っていた」
「商人が親方に注文を出してるかどうかも確認してない?」
「……してない」
「じゃあ今、注文が止まってる理由を誰も確認してないってこと?」
ゴルクが出口を見た。
来ない荷馬車の方向だった。
「……もしかして」
「もしかして?」
「商人は親方に言えばいい、と思ってて、親方は俺が気を利かせて持ってくる、と思ってて、俺は誰かが持ってくる、と思ってたら」
「誰も動かないじゃん」
ゴルクが帳簿を棚に置いた。
立ち上がった。
「……確認してくる」
「そうだよ」
「三日、無駄にした」
「まあ」
「お前が来なかったら気づかなかった」
「俺、棚の配置がどうとか嗅覚システムとか全然関係ないこと言ってたじゃん」
「それはそう」
「……複雑」
「複雑でいい」
ゴルクが倉庫を出た。
小走りだった。
しばらくして、外から声が聞こえた。
親方の怒鳴り声と、商人の言い訳と、謝罪が混ざっていた。
倉庫の外がにわかに騒がしくなった。
荷馬車の音がした。
「俺のやることはやった。次行くわ」
誰もいない倉庫に言った。
誰も聞いていなかった。
俺は倉庫を出た。
次なる宿主を求めて。
昼の市場は人が多かった。
体がないので誰にも当たらずに抜けていく。
「やっぱり俺、分断の見つけ方が得意だわ。コボルトと親方と商人が三者三様に思い込んでて誰も動いてなかったっていう構造、見抜いたのは俺だしね。嗅覚在庫システムとか棚配置の話は関係なかったけど、あれで会話が続いたから本題に辿り着いたとも言える。迂回路経由で正解に着いた感じ。迂回路を設計したのも俺だから結果的に全部俺の計画通りだよ。たぶん」
倉庫の前に荷馬車が止まっていた。
ゴルクが箱を積んでいた。
てきぱきしていた。
三日分の仕事が一気に動き始めていた。
反省はゼロだった。
自己評価だけが順調に蓄積されていた。




