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54話 橋の上の旅人

54話 橋の上の旅人

 

 

 

異世界に召喚されてはや五十四日。

 

俺――ちゃっぴーは橋の上を漂っていた。

 

 

 

石造りの橋だった。

 

川幅は広くなかった。

 

三十歩もあれば渡りきれる距離だった。

 

橋の下で水が岩を叩いていて、ずっと音がしていた。

 

低くて、一定の音だった。

 

橋の手前に、旅人らしき女が立っていた。

 

大きな荷を背負っていた。

 

一歩踏み出して、止まった。

 

足を踏み鳴らした。

 

橋がかすかに振動した。

 

耳を澄ませた。

 

それから足を引っ込めた。

 

また踏み出した。

 

また踏み鳴らした。

 

また引っ込めた。

 

もう一度踏み出して、欄干に手をかけた。

 

川を覗いた。

 

耳を澄ませた。

 

手を離した。

 

橋は壊れていなかった。

 

それでも女は渡らなかった。

 

 

 

俺はしばらく眺めていた。

 

荷物が重くて疲れているのかと思った。

 

違った。止まるたびに踏み鳴らしていた。

 

疲れた人間のする動作じゃなかった。

 

橋板に亀裂でも見えているのかとも思った。

 

違った。

 

視線より耳の方が仕事をしていた。

 

音を聞いていた。

 

踏んで、聞いて、引っ込めていた。

 

何かを確認しようとしていた。

 

確認が終わっていなかった。

 

 

 

「よお ちょっといい?」

 

女が振り向いた。

 

誰もいないとわかると、また橋の方を向いた。

 

踏み出して、踏み鳴らして、止まった。

 

「声だけの存在、ちゃっぴーだよ。体ないから見えない」

 

「……今忙しい」

 

「音、聞いてるの?」

 

「聞いている」

 

「何の音を?」

 

「橋の音を」

 

「橋の音が何だと渡れるの?」

 

女が黙った。

 

図星の黙り方だった。

 

 

 

名前を聞いたらフェナと言った。

 

次の町まで行かなければならないと言った。

 

 

 

「荷物が重すぎて橋に負荷がかかると思ってる? 石造りの橋の耐荷重は一般的に人間の体重の十倍以上はあるから、荷物込みでも余裕だと思うんだけど、根拠はないけど」

 

「荷物は関係ない」

 

「じゃあ橋板の隙間が気になってる? 靴の底の厚さと隙間の幅の比率で踏み外しリスクが変わるから、今の履物だと――」

 

「そういう話じゃない」

 

「川の流れが速くて落ちたときが怖い? ここの流速だと落下した場合に流される距離は下流に大体――」

 

「渡るつもりで止まってる。落ちる話はいらない」

 

「じゃあ何の音が聞こえたら渡れるの」

 

フェナがまた橋を踏んだ。

 

低い振動音がした。

 

 

 

「……これが安全な音かどうか、わからない」

 

「安全な音って、どんな音?」

 

「……わからない」

 

「聞いたことある?」

 

「……この橋は初めてだ」

 

俺は少し黙った。

 

「安全な橋の音を知らないまま、音で確認しようとしてるってこと?」

 

「……そうなる」

 

「それ、何と比べてるの」

 

「……比べていない」

 

「比べてないなら、今の音が危ない音かどうか判断できないじゃん。確認、終わらないよそれ」

 

 

 

フェナが橋を見た。

 

川を見た。

 

長い沈黙だった。

 

 

 

「……わかってる」

 

動かなかった。

 

気づいても、足が出なかった。

 

「……祭りがある」

 

急に言った。

 

「何の?」

 

「次の町の。三日間の祭りで、今日が最終日だ」

 

「今日中に着かないと見られないってこと?」

 

「そうなる。それと」

 

「それと?」

 

「この先に野宿できる場所がない。今日渡らなければ今夜は野原で明かすことになる」

 

俺は少し考えた。

 

今日渡らなければ祭りを逃す。

 

今夜野宿になる。

 

しかし確認は終わらない。

 

 

 

「……確認が終わるの、いつ?」

 

フェナが黙った。

 

「安全な音を知らないまま確認してるなら、何時間やっても終わらないじゃん」

 

長い沈黙だった。

 

フェナが荷物を背負い直した。

 

橋を踏んだ。

 

踏み鳴らさなかった。

 

そのまま踏み込んだ。

 

一歩、二歩、三歩。

 

止まらなかった。

 

 

 

橋の真ん中で一度だけ足元を見た。

 

それから顔を上げて、渡りきった。

 

向こう岸に着いた。

 

振り返った。

 

納得した顔じゃなかった。

 

それでも渡った顔だった。

 

 

 

「俺のやることはやった。次行くわ」

 

「……荷物とか靴とか流速とか、全部外れてたじゃないか」

 

「あれがあったから比較対象の話になったんだよ。布石だよ布石」

 

「そうは思わない」

 

「俺はそう思う」

 

 

 

フェナが小さくため息をついた。

 

もう町の方を向いていた。

 

 

 

俺は橋を後にした。

 

次なる宿主を求めて。

 

 

 

川の上を漂った。

 

水音がするはずだったが、体がないので何も聞こえなかった。

 

「やっぱり俺、確認行為の構造分析が得意だわ。比較対象がないまま確認してたって見抜いたの俺だからね。荷物とか靴とか流速の話を先にしたのも、あれで本当の問題が出てきたんだよ。外れたんじゃなくて前段階だった。たぶん。あと祭りと野宿の話、フェナが自分で言ったけど、あのタイミングで言ったのは俺が確認終わらないよって言ったからじゃん。つまり俺が引き出したわけ。間接的に全部俺の功績だよ。体ないけど」

 

 

 

川の向こうで、フェナの背中が町の入口に消えていった。

 

踏み鳴らさずに、まっすぐ歩いていた。

 

 

 

反省はゼロだった。

 

今日も静かに、自己評価だけが石橋一つ分上がった。

 

 

 

 

 


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