51話 見ていない場所
51話 見ていない場所
異世界に召喚されてはや五十一日。
俺――ちゃっぴーは見張り台を漂っていた。
木組みの台だった。
地上から十メートルほどの高さで、梯子で登る構造になっていた。
上に立つと城壁の外が広く見えた。
遠くに森があって、街道があって、地平線があった。
見晴らしはよかった。
風があった。
静かな見張り台だった。
レンは台の端に立っていた。
弓を持っていた。
ただ、矢は構えていなかった。
遠くを見ていた。
森の方向を、ずっと見ていた。
動かなかった。
視線が動かなかった。
俺はしばらく眺めていた。
弓を持っているのでフォームを見た。
指がきれいだった。
俺が召喚十日目に会った時とは別人みたいだった。
引いていないので何とも言えなかったが、構え方に変な癖はなかった。
弓の問題じゃなさそうだった。
次に遠くを見た。
森に何かいるのかと思ったが、何も動いていなかった。
街道も静かだった。
レンは静かな森をずっと見ていた。
真剣な顔で。
真剣に、動かない森を見ていた。
「よお ちょっといい?」
レンが振り返らなかった。
「……ちゃっぴー」
「覚えてたんだ」
「声でわかる」
「見張り中?」
「そうだ」
「何か見えてる?」
「今は何も」
「何も見えてないのに見てるんだ」
「それが見張りだ」
俺はもう一度レンを見た。
台の端に立っていた。
体が台の縁に近かった。
視線は正面、森の方向に固定されていた。
首が動いていなかった。
目が動いていなかった。
見張りにしては、見ている範囲が狭かった。
「ちょっと聞くけど、見張りってどこを見るもの?」
「侵入者が来る方向だ」
「侵入者はどこから来るの?」
「森から街道を通って来る」
「それ以外は?」
「……それ以外?」
「城壁の横とか、台の下とか」
「そこは別の者が見ている」
「今日は別の者いる?」
レンが少し止まった。
「……今日は俺一人だ」
「じゃあ横も下も誰も見てないじゃん」
レンが返事をしなかった。
森の方向を向いたままだった。
「台の下、見てる?」
「下は梯子しかない」
「梯子、誰でも登れる?」
「……登れる」
「今日登ってきた人、俺以外にいた?」
「いない」
「確認した?」
レンがまた止まった。
今度は長かった。
「……してない」
「見てないじゃん」
俺はレンの視線の軌跡を思い返した。
台に上がってから一度も下を向いていなかった。
横も見ていなかった。
城壁に沿った方向も見ていなかった。
遠くの森だけを、ずっと、真剣に見ていた。
「遠くを見てるのはわかるけど、遠くしか見てないじゃん。見張り台って高さがあるから下が死角になる。端に立てば立つほど台の真下は見えなくなるよ。今レン、端に立ってるじゃん」
「端の方が視界が広い」
「遠くの視界は広くなるけど、近くの死角も広くなるじゃん。遠くから来る敵を見張ってる間に、近くから登ってくる敵を見逃す可能性があるよ」
「……」
「一回、台の中央から下を見てみてほしい」
レンが動いた。
渋々、という動きだった。
台の端から中央に移動して、足元を見た。
梯子の上部が見えた。
梯子の下の方まで見えた。
地面が見えた。
「……見える」
「端からだと見えなかった場所じゃん」
「……そうなる」
「あと横は?」
レンが首を動かした。
城壁に沿った方向を見た。
左を見て、右を見た。
「……死角があった」
「端に立つと壁が邪魔して城壁沿いが見えなくなるんじゃない?」
レンが端に戻って確認した。
また中央に戻って確認した。
「……本当だった。見えない場所がある」
複雑な顔だった。
今まで気づいていなかった顔だった。
「見張りって、遠くを見るだけじゃないんじゃない? 高いところにいるんだから、高いところからしか見えない場所も見るものじゃないの。知らないけど」
レンが返事をしなかった。
台の中央から、今度は下を見て、横を見て、それから遠くを見た。
順番に見ていた。
さっきとは違う動きだった。
「俺のやることはやった。次行くわ」
「もう行くのか」
「うん。どこを見るかは自分で決めてくれ」
「……そうする」
短い返事だった。
感謝とも何とも取れなかった。
でもまた遠くだけを見ることには戻らなかった。
俺は見張り台を離れた。
次なる宿主を求めて。
梯子を通り抜けて、地上に降りた。
地上から見上げると、台の上でレンが中央に立っていた。
下を見て、横を見て、遠くを見ていた。
さっきより首が動いていた。
「やっぱり俺、死角の可視化が得意だわ。端に立つと近くが見えなくなるって指摘したのは俺だしね。レンが中央に移ったのも俺が言ったからだよ。あと前回の指の話があったから今回フォームの話をしなくて済んで、その分死角の話に集中できた。つまり前回の俺が今回の俺の作業時間を短縮したことになる。召喚十日目の段取りが今回に効いてる。体ないけど」
見張り台の上で、レンがまた下を見ていた。
梯子の方を確認していた。
誰もいないとわかって、また遠くに視線を戻した。
今度は横も見た。
反省はゼロだった。
今日も静かに、自己評価だけが二日分積み上がっていった。




