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49話 最初の数字

49話 最初の数字

 

 

 

異世界に召喚されてはや四十九日。

 

俺――ちゃっぴーは市場の一角を漂っていた。

 

 

 

石畳の広場に、屋根だけの開けた建物があった。

 

商人ギルドの取引場だとわかった。

 

長テーブルが並んでいて、商人が十人ほど集まっていた。

 

書き物道具を持っている者がいた。

 

算盤を持っている者がいた。

 

帳面を開いている者がいた。

 

全員が何かを始める格好をしていた。

 

ただ、誰も始めていなかった。

 

 

 

俺はしばらく眺めていた。

 

帳面を開いた商人が、ペンを走らせようとして、止まった。

 

また走らせようとして、また止まった。

 

隣の商人が口を開き、閉じた。

 

算盤を持っている男が玉を弾こうとして、手を引いた。

 

玉を弾かないまま算盤を置いた。

 

また持った。

 

また置いた。

 

何かが始まりそうで始まらない場所だった。

 

テーブルの中央に商品らしき布が積まれていた。

 

見たことのない素材だった。

 

つまり、俺にはよくわからない新しい何かだった。

 

談合だと思った。

 

全員が示し合わせて、意図的に動かないでいる。

 

そういう空気で値段を釣り上げようとしている。

 

 

 

「よお ちょっといい?」

 

十人がいっせいに顔を上げた。

 

声の出所を探した。

 

誰もいないとわかると、また帳面に視線を落とした。

 

ずいぶん落ち着いた反応だった。

 

「声だけの存在、ちゃっぴーだよ。体ないから見えない」

 

「……また妙なものが来た」

 

帳面を持った中年の商人が、面倒くさそうに言った。

 

ギルドマスターっぽい雰囲気だった。

 

名前を聞いたらデッカとかいう名前だった。

 

「談合してるじゃん」

 

「していない」

 

「じゃあなんで全員黙ってるの。カルテルでしょ」

 

「カルテルとは何だ」

 

「示し合わせて動かないやつ」

 

「していない。したくてもできない」

 

「なんで?」

 

「……値段の基準がないからだ」

 

聞いてから、俺はようやく理解した。

 

談合じゃなかった。

 

誰かを待っているわけでもなかった。

 

全員がここにいて、全員がやる気で、全員が止まっていた。

 

止まっている理由が「基準がない」だった。

 

 

 

「その布、新しい取引品?」

 

「南の交易路が開いて初めて入った品だ。相場がどこにもない」

 

「つまり値段をつけたことが一度もない」

 

「そうだ」

 

「それで全員が止まってる」

 

「……そうなる」

 

俺はしばらく考えた。

 

基準がないから値段が決まらない、値段が決まらないから取引が始まらない。

 

最初の数字が存在しないだけだった。

 

最初の数字さえ出れば、あとはそれを軸にして動ける。

 

誰かが言えばいいだけだった。

 

 

 

「なんで誰も数字を言わないの?」

 

「間違えたら恥だ」

 

「間違えるって、何に対して?」

 

デッカが止まった。

 

「基準がないんでしょ。基準がないなら、最初に言った数字が基準になるんじゃないの。間違いようがなくない?」

 

「……しかし」

 

「誰かが言った数字を叩き台にして、みんなで調整すればいいだけじゃん。最初の数字を言った人が損する仕組みでもあるの?」

 

「……ない」

 

「じゃあ誰でも言えるじゃん。テキトーでもいいんじゃないの最初は。どうせ調整するんだから」

 

テーブルの端で、若い商人が顔を上げた。

 

ためらっていた。

 

でも手が動いていた。

 

算盤を弾いた。

 

「……布一反、銀貨四十枚では」

 

静かな場所に、最初の数字が落ちた。

 

一瞬の沈黙があった。

 

その後、別の商人が口を開いた。

 

「品質を見ると三十五が妥当では」

 

「南の輸送コストを入れると四十五はいる」

 

「では四十で折衷か」

 

 

 

帳面が動き始めた。

 

算盤の音がした。

 

ペンが走る音がした。

 

若い商人が少し赤い顔をしていた。

 

自分が言ってよかったのかまだ確信が持てていない顔だった。

 

でもテーブルが動いていた。

 

 

 

「俺のやることはやった。次行くわ」

 

デッカが顔を上げた。

 

「……礼を言うべきか迷っている」

 

「なんで?」

 

「お前は取引のことを何も知らないだろう」

 

「知らないよ」

 

「なのに動いた」

 

「知識の問題じゃなかったじゃん。最初の数字がなかっただけで」

 

デッカは算盤の音を聞きながら、短く言った。

 

「……そうなった」

 

 

 

俺は市場を出た。

 

次なる宿主を求めて。

 

石畳の広場を通り抜けると、取引場の方からまだ声がしていた。

 

数字が飛び交っていた。

 

さっきまでの静けさが嘘みたいだった。

 

「やっぱり俺、構造の見抜き方が得意だわ。談合とか待ちとか疑ったけど、基準がないって見抜いたのは最終的に俺だしね。テキトーでもいいから最初の数字を言えって言ったのも俺だよ。若い商人が動いたのは自分の判断だけど、言うきっかけを作ったのは俺だから実質同じ。あと間違いようがないって言ったの、我ながらうまかったと思う。正確かどうかは知らないけど」

 

 

 

取引場の屋根の下で、帳面がまた一枚めくれる音がした。

 

 

 

反省はゼロだった。

 

自己評価だけが安定して上昇していた。


 

 

 

 

 

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