45話 判決の手前
45話 判決の手前
異世界に召喚されてはや四十五日。
俺――ちゃっぴーは処刑場の隅を漂っていた。
石造りの広場だった。
中央に台が一つあって、その前に木製の机が置かれていた。
机の上に書類の束が積まれていた。
台の周りに衛兵が二人立っていた。
衛兵の後ろに人が集まっていた。
裁判だとわかった。
ただし、進んでいなかった。
机の前に裁判官らしき男が座っていた。
書類を開いていた。
ペンを持っていた。
書きかけた。
止まった。
書類をめくった。
別のページを開いた。
また止まった。
ペンを置いた。
また拾った。
また書きかけた。
また止まった。
俺はしばらく眺めていた。
ペンの先が紙に触れる直前で、毎回止まっていた。
書こうとしていた。
でも書けなかった。
書けないのに書こうとしていた。
書き直すわけでも、考え込むわけでもなく、ただ止まっていた。
体がないので何が詰まっているのかは見えなかった。
でも詰まり方は見えた。
俺はとりあえずいくつか仮説を立てた。
眠いのかもしれない。
判決文の漢字が難しすぎるのかもしれない。
ペンのインクが切れかけているのかもしれない。
全部外れている気がしたが、他に思いつかなかった。
「よお ちょっといい?」
男がペンを落とした。
拾って、周囲を見渡した。
誰もいない。
「声だけの存在、ちゃっぴーだよ。体ないから見えない。攻撃しても物理無効だから剣は抜かなくていい」
「……処刑場に声だけの何かが現れるとは」
「裁判、止まってるじゃん」
男が眉を寄せた。
「止まっていない。検討中だ」
「ペン、三回置いたよ」
「四回だ」
数えていた。
名前を聞いたらオランと言った。
この地方の上席裁判官で、今日の被告に判決を言い渡す役目だと言った。
「何で止まってるの?」
「情状酌量の適用について判断しかねている」
「情状酌量って?」
「事情を考慮して、刑を軽減することだ」
「軽減するかどうか迷ってるってこと?」
「いや、軽減することは決まっている。問題は根拠だ」
「根拠?」
「被告側の書類に情状酌量の申請が記されている。だがその記述が、うちの基準と合っていない」
「合ってないってどういうこと?」
オランが書類を一枚抜いた。
「被告側の申請書にはこうある。『情状酌量の余地あり、よって刑を軽減されたし』。だが我々の基準書には、情状酌量は『人情や同情によらず、定められた条件に該当する場合のみ適用する』と定義されている」
「……それ、どっちも情状酌量って言葉を使ってるけど、意味が違うじゃん」
オランが止まった。
「被告側は情を汲んでほしいって意味で書いてて、そっちは条件に当てはまるかどうかで判断するって意味で読んでるってこと?」
「……そうなる、かもしれない」
「被告が条件を満たしてるかどうかは別の話として、そもそも申請書の根拠として使えるかどうかが問題ってこと?」
「そうだ。申請の根拠が噛み合っていない状態で、その申請を認めて軽減してよいのか、判断できない」
俺はちょっと考えた。
言葉は同じだった。
「情状酌量」はどちらも使っていた。
だが中身がずれていた。
被告側は「気持ちの問題」として書いていて、オランは「条件の問題」として読んでいた。
噛み合わないのは当然だった。
「ちょっと聞くけど、被告が条件を満たしてるかどうかは確認した?」
「確認した。満たしている」
「じゃあ申請書の言葉づかいがズレてるだけで、中身は通るんじゃない?」
「……それを判断する権限が俺にあるかどうかが問題だ」
「誰の権限があるの?」
「上席の合議を経るべきかもしれない」
「今日中に判決出さないといけないんでしょ」
「そうだ」
「合議は今日中に間に合う?」
オランが少し止まった。
「……間に合わない」
「じゃあ言葉がズレてる問題と、条件が満たされてる事実を、判決文の中で両方書けばいいんじゃない? 申請書の表現は被告側の解釈によるものだが、条件照合の結果として軽減を認める、みたいな感じで。言葉の問題と事実の問題を分けて書く」
オランが書類を見た。
見て、また見た。
「……それは、できる」
「でしょ。ズレてる言葉の話と、条件を満たしてる話は、別の話だから」
オランがペンを取った。
今度は置かなかった。
書き始めた。
止まらなかった。
判決文の文字が、一行ずつ増えていった。
衛兵の一人が首を傾げた。
さっきまでと明らかに違う速さだった。
「俺のやることはやった。次行くわ」
オランが書きながら言った。
「待て。まだ何も礼を言っていない」
「言わなくていいよ」
「……言いたくはなかったが、助かった」
「そりゃよかった。あと情状酌量の定義、被告側に伝えておいた方がいいと思うよ。次また同じ言葉でズレる可能性あるから」
「……検討する」
短い返事だった。
感謝かどうかは微妙だったが、ペンは止まらなかった。
俺は処刑場を出た。
次なる宿主を求めて。
石畳の広場を抜けると、外は曇りだった。
体がないので寒さはわからないが、そういう空の色だった。
「やっぱり俺、言葉の定義のズレを見抜く能力が高いわ。情状酌量って言葉が同じでも意味が違うって気づいたのは俺だしね。オランが自分で条件を満たしてるって確認してたのも、俺が聞いたから引き出せた情報だから、実質俺の功績だよ。たぶん。言葉の問題と事実の問題を分けて書けって言ったのも俺だし。あとペンを四回置いてたの、俺は三回って言ったけど実際は四回だった。まあ誤差だからセーフ」
処刑場の方から、判決を読み上げる声が聞こえてきた。
止まらない声だった。
反省はゼロだった。
今日も静かに、自己評価だけが積み上がっていった。




