29話 城の順番
異世界に召喚されてはや二十九日。
俺――ちゃっぴーは城の執務室を漂っていた。
石造りの部屋だった。
窓が一つあって、外が見えた。
城下の町並みが広がっていて、遠くに畑があった。
のどかな景色だった。
けれど、部屋の中はのどかじゃなかった。
机の上に書類が積まれていて、床にも積まれていて、椅子の上にも積まれていた。
17話の宰相の執務室と似ていたが、あちらは整理された混乱だった。
こちらは純粋に混乱していた。
静かな執務室じゃなかった。
「次、次、次」
領主らしき男が書類を次々めくっていた。
読んでいなかった。
めくっていた。
一枚めくって端に置いて、次の一枚をめくって端に置いた。
端に置いた書類が崩れた。
また積み直した。
また読まずにめくった。
俺はしばらく眺めていた。
男の手が止まらなかった。
ただ、積まれている書類の量が減っていなかった。
めくっては積み、積んでは崩れ、崩れては積み直していた。
前に進んでいなかった。
「よお ちょっといい?」
男が書類を持ったまま振り向いた。
誰もいないとわかると、また書類に向き直った。
「声だけの存在、ちゃっぴーだよ。体ないから見えない」
「忙しい」
「書類、読んでる?」
男が止まった。
「めくってるじゃん、読まずに」
「……読んでいる」
「今めくったやつ、何が書いてあった?」
男が手元の書類を見た。
「……南の村からの陳情だ」
「その前は?」
「……」
「その前の前は?」
男が黙った。
答えが出なかった。
図星の沈黙だった。
名前を聞いたらガルドと言った。
この城の領主で、書類が三日分溜まっていると言った。
「なんで溜まったの?」
「忙しかった」
「何が?」
「客人が来た。視察もあった。宴席もあった」
「書類より客人と視察と宴席を優先したってこと?」
「立場上、そうせざるを得ない」
「書類の中に期限があるものはあった?」
ガルドが少し止まった。
「……あるかもしれない」
「三日分めくってて、期限切れのものは見つかった?」
「……まだ確認できていない」
「今めくってるの、確認のため? それとも何かを処理するため?」
ガルドがまた黙った。
「両方混ざってるじゃん。まず確認して、次に処理する、って分けないと同じ書類を二回触ることになる。今それが起きてるよ。崩れて積み直した書類、さっき一度見たやつが混ざってた」
「……そうかもしれない」
「あと期限があるものを先に抜かないと、後で詰む可能性がある。三日分を端から処理しようとしてるから進まないんじゃない?」
ガルドが書類の山を見た。
うんざりしている目だったが、考え始めた目でもあった。
「じゃあどうしろと言うんだ」
「一回全部ざっと見て、期限があるものだけ抜く。それだけ。処理はその後でいい」
「全部見るのに時間がかかる」
「今みたいに読まずにめくり続けるより速いんじゃない? 目的が決まってれば速く見られるから。期限があるかどうかだけ確認する、それだけに絞れば一枚あたりの時間が短くなる」
ガルドが書類を一枚取り上げた。
日付を確認し、期限の欄を探した。
なかった。
別の山に移した。
次の一枚を取った。
日付を確認すると、期限があった。
抜いた。
「……速い」
「でしょ。内容は読まなくていい。期限だけ見る」
ガルドが続けた。
十枚、二十枚と抜いていった。
崩れなかった。
積み直さなかった。
手が止まらなかった。
三日分の山から、七枚が抜けた。
「……これだけか」
「期限があるのは七枚だったってこと」
「残りは急がないということか」
「急がないかどうかは中身を読まないとわからないけど、少なくとも期限は今日じゃない」
ガルドが七枚を手に取った。
「……これだけ片付けてから、残りに入ればいい」
「そうだよ。三日分を全部同時に処理しようとするから詰まってた」
ガルドが七枚を机の中央に置いた。
他の書類を脇に寄せた。
机の上が少し広くなった。
「……なんだ、これだけか」
小さく言った。
自分に言い聞かせているような声だった。
「俺のやることはやった。次行くわ」
ガルドが七枚の一枚目を開いた。
「もう行くのか」
「うん。あとは読むだけでしょ」
「……そうだな」
短い返事だった。
感謝とも何とも取れなかった。
でももう書類に集中していた。
めくらずに、読んでいた。
俺は城を出た。
次なる宿主を求めて。
城門を抜けると、城下の町並みが広がっていた。
遠くに畑があって、のどかだった。
「やっぱり俺、トリアージ能力が高いわ。三日分の書類から期限のある七枚を抜くだけで解決するって見抜いたのは俺だしね。ガルドがめくるんじゃなくて読み始めたのも、俺が順番を整理したからだよ。たぶん。客人と視察と宴席を書類より優先した判断については何も言わなかったけど、それは領主の仕事の範囲だからね。俺は書類の話だけした。守備範囲をわきまえてる」
城の窓に灯りが見えた。
執務室の窓だった。
さっきより明るかった。
気のせいかもしれない。
反省はゼロだった。
自己評価だけが都合よく上がっていた。




