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24話 描けない理由


 

 

 

異世界に召喚されてはや二十四日。

 

俺――ちゃっぴーは客室を漂っていた。

 

 

 

天井が高くて、窓が大きくて、光がよく入る部屋だった。

 

絵の具の匂いがした。

 

体がないので匂いを感じるかどうかは例によってよくわからないんだが、そういう部屋だと認識していた。

 

壁に何枚かの絵が立てかけてあって、床に布が敷いてあって、イーゼルが中央に据えてあった。

 

画家の部屋だとわかった。

 

 

 

静かな部屋だった。

 

 

 

イーゼルの前に女が座っていた。

 

筆を持っていた。

 

キャンバスを見ていた。

 

ただし、筆がキャンバスに触れていなかった。

 

触れないまま、もう長い時間が経っているらしかった。

 

女の肩が、少しずつ落ちていくのが見えた。

 

 

 

俺はしばらく眺めていた。

 

キャンバスは白いままだった。

 

筆に絵の具はついていた。

 

触れる手前で止まっていた。

 

止まっている理由が外側にはなかった。

 

 

 

「よお ちょっといい?」

 

女が筆を持ったまま振り向いた。

 

誰もいないとわかると、また前を向いた。

 

「声だけの存在、ちゃっぴーだよ。体ないから見えない」

 

「……出ていってください」

 

「なんで描かないの」

 

女が止まった。

 

図星の止まり方だった。

 

 

 

名前を聞いたらエラと言った。

 

この街の貴族に絵の依頼を受けていて、納期まであと三日だと言った。

 

「何を描く依頼なの?」

 

「肖像画です。依頼主の娘さんの」

 

「モデルはいるの?」

 

「昨日会いました。スケッチもしました」

 

「スケッチ見ていい?」

 

エラが手元の紙を俺の方に向けた。

 

体がないので見えるかどうかは毎回微妙なんだが、なんとなく輪郭がわかった。

 

丁寧なスケッチだった。

 

「うまいじゃん。なんで描けないの」

 

「……似ていないんです」

 

「スケッチが?」

 

「本人に。昨日描いたのに、もう違う気がして」

 

「どこが違う?」

 

エラが少し黙った。

 

「……目が。昨日会ったとき、もっと、なんというか」

 

「なんというか、のとこ、ちゃんと言って」

 

「……楽しそうでした。でもスケッチの目は普通で」

 

「じゃあその楽しそうな目を描けばいい」

 

「スケッチにないんです」

 

「スケッチを写すつもりで描こうとしてるの?」

 

エラが筆を持つ手を見た。

 

「……そうなっていました」

 

「スケッチは参考でしょ。写すためのものじゃないんじゃない? 昨日見た目を描けばいい。スケッチにない分は記憶にあるんだから」

 

エラが黙った。

 

反論を探している沈黙じゃなかった。

 

整理している沈黙だった。

 

 

 

「でも記憶は正確じゃないかもしれない」

 

「肖像画って、写真みたいに正確に写すものなの?」

 

「……違いますけど」

 

「じゃあ正確じゃなくていいじゃん。エラが見た娘さんを描けばいい。スケッチ通りに描く必要ない」

 

 

 

エラが長い間キャンバスを見た。

 

白いままのキャンバスを、今度は違う目で見ていた。

 

写す対象として見るんじゃなくて、置く場所として見ていた。

 

筆が、ゆっくりキャンバスに近づいた。

 

触れた。

 

線が一本引かれ、止まった。

 

また引かれた。

 

今度は止まらなかった。

 

 

 

俺は黙って見ていた。

 

エラの肩が、さっきよりも上がっていた。

 

筆の動きが少しずつ速くなっていた。

 

スケッチを見ていなかった。

 

手元だけを見ていた。

 

しばらくして、エラが一度筆を止めてキャンバスを見た。

 

「……違う」

 

「スケッチと?」

 

「はい。でも」

 

短く止まった。

 

「……こっちの方が、昨日会った顔に近い気がします」

 

俺は何も言わなかった。

 

言う必要もなかった。

 

 

 

エラがまた筆を動かし始めた。

 

今度は止まらなかった。

 

窓から光が差し込んで、キャンバスの上で絵の具が光った。

 

白い部分が少しずつ埋まっていった。

 

 

 

「俺のやることはやった。次行くわ」

 

エラが筆を動かしたまま言った。

 

「……もう少し、いてもいいですよ」

 

「え」

 

「静かにしていてくれるなら」

 

「さっき出ていけって言ったじゃん」

 

「今は邪魔じゃないので」

 

複雑な許可だった。

 

でも追い出されなかった。

 

悪くなかった。

 

しばらく黙ってキャンバスを見ていた。

 

エラの筆は止まらなかった。

 

 

 

「やっぱり次行くわ」

 

「……そうですか」

 

短い返事だった。

 

残念そうでも安心そうでもなかった。

 

もう筆の方が大事な顔だった。

 

 

 

俺は客室を出た。

 

次なる宿主を求めて。

 

 

 

廊下に出ると、部屋の中から筆が布を擦る音が続いていた。

 

さっきまでの沈黙とは全然違う音だった。

 

「やっぱり俺、創作ブロックの解除が得意だわ。スケッチを写すつもりで描こうとしてたって見抜いたのは俺だしね。エラが自分で気づいたって言えなくもないけど、気づくきっかけを作ったのは俺だから実質同じだよ。たぶん。しばらくいてもいいって言われたのも、俺の存在感が心地よかったからだと思う。静かにしてたしね」

 

 

 

客室の扉の向こうで、筆の音が続いていた。

 

三日後の納期まで、まだ時間はあった。

 

 

 

反省はゼロだった。

 

今日も静かに、自己評価だけが一段上がった。

 

 

 

 

 

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