186話 崩れない順番
186話 崩れない順番
異世界に召喚されてはや百八十六日。
俺――ちゃっぴーは広場を漂っていた。
噴水の周りに人が集まっていた。
いつもより明らかに多かった。
白い花を髪に挿した女がいた。
上等な布地を着た男が何人もいて、みんな頬を赤くしていた。
笑い声が大きくて、抱き合っている二人組もいた。
祝いの帰りだとわかった。
結婚式か、それに近い何かだとすぐわかった。
広場の中央で、俺が召喚されてから百二十七日目に会ったフェルがリュートを構えていた。
六日目は酒場の隅で誰にも聞かれずに歌っていたあいつで、七十四日目は広場でエリナの歌を歌い続けていたあいつだった。
あれから五十九日経っていた。
輪の大きさが、前に見たときよりも一回り大きくなっていた。
にぎやかな広場だった。
噴水の縁に、投げ銭用の皿が置いてあった。
七十四日目に見たときより、皿が大きくなっていた。
俺はしばらく眺めていた。
フェルがペグを回していた。
低い弦から高い弦へ、決まった順に丁寧に回していく。
一本、また一本。
途中、白い花を挿した女に目が止まった。
指が一瞬止まった。
それでも、そのまま元の順番に戻って残りのペグを回し終えた。
足元の紙束を見た。
一枚目をめくって、すぐ元の位置に戻した。
確認するだけで、順番は変えなかった。
「よお ちょっといい?」
フェルが手を止めずに小さく頷いた。
「……ちゃっぴーか」
「久しぶり。今日はやけに客多いね」
「祝いの帰りらしい」
「めでたい系の曲、持ってるんでしょ」
「ある」
「じゃあそれからいくの?」
「いつも通りいく」
フェルはそう言って、紙束の一番上をそのままにした。
弦が鳴った。
歌い出したのは、男がエリナを探して旅をする、いつもの一曲目だった。
拍手が薄かった。
客同士が顔を見合わせていた。
フェルの手が次の紙に伸びかけた。
止まった。
結局、いつもの二曲目の弦に指を置いた。
「ちょっと聞くけど、その曲順って毎回同じなの?」
「毎回同じだ」
「今日の客層に合わせて変えたりは」
「しない」
「めでたい曲、後回しでいいの?」
「いつもこの順番でやってきた」
アンサー曲が始まった。
エリナは男から逃げていた、という一節が広場に広がった。
拍手じゃなかった。
ざわめきだった。
白い花を挿した女の顔がこわばった。
隣の男が小声で何か言った。
フェルの手が一瞬止まった。
それでも、いつもの三曲目の和音に指が動いた。
機械みたいな動きだった。
「あのさ、これ曲のジャンルが合ってないんじゃない? 祝いの席に逃げる女の歌はきついよ」
「……そうかもしれない」
「あと声の乗せ方も、いつもより重すぎる気がする。もっと軽く歌えば印象変わるかも」
フェルは答えなかった。
「それか、投げ銭皿の位置。噴水側に置いてるから、客から遠くて入れづらいのかも」
フェルは紙束にも皿にも触れなかった。
フェルはもう三曲目の出だしに入っていた。
俺はさらに言った。
「もっと明るい曲にしなよ! 今からでも!」
声を張った。
体がないので届く範囲がよくわからず、つい大きくなった。
近くにいた酔った男が「明るい曲だってよ!」と大声で繰り返した。
フェルがその声に反応して顔を上げた。
指がずれた。
三曲目の和音が崩れた。
弦の音が止まった。
広場が一瞬静かになった。
フェルは紙を見なかった。
リュートを抱えたまま、客の方を見た。
「……曲順、今日は変える」
低い声だった。
自分に言い聞かせているみたいだった。
弦を鳴らした。
知らない旋律だった。
祝いの席向けに即興で継いだ、聞いたことのないつなぎだった。
拍手が起きた。
さっきより大きかった。
白い花を挿した女が笑っていた。
酔った男が手拍子を打っていた。
フェルは即興のまま、次の一節へ進んでいった。
紙は見ていなかった。
一曲終わると、上等な布地の男が声をかけた。
「次もそういう感じで頼む。今の即興、良かった」
フェルが少し固まった。
返事の代わりに弦を鳴らした。
弦を鳴らしながら、足元の紙束をちらりと見た。
見ただけで、触らなかった。
「俺のやることはやった。次行くわ」
フェルは弦を鳴らしたまま短く頷いた。
言葉はなかった。
俺は広場を出た。
次なる宿主を求めて。
石畳の向こうまで、拍手の音が続いていた。
体がないので熱は感じないが、音の密度がさっきより濃かった。
「やっぱり俺、曲順の話をしたの俺だからね。ジャンルが合わないって指摘したのも俺だし、明るい曲にしろって叫んだのも俺だよ。あのタイミングで声を張ったから客が反応して、それでフェルが崩れて、崩れたから即興に入れた。順番通りに繋がってるじゃん。俺、構造の連鎖を作るの得意すぎる。たぶん」
広場の方から、また拍手が上がった。
さっきより長く続いていた。
紙束は、まだ足元に置かれたままだった。
風に少しめくれて、また戻った。
誰も拾わなかった。
反省はゼロだった。
自己評価だけが、拍手の音に紛れて積み上がっていった。




