187話 確認のための確認
187話 確認のための確認
異世界に召喚されてはや百八十七日。
俺――ちゃっぴーはミラの工房を漂っていた。
金属と油の匂いが、前より薄くなっていた気がした。
体がないので匂いはわからないが、そういう感じがした。
棚には帳簿が七冊、色ごとに並んでいた。
赤、青、白、それぞれの装置に対応した色だと前に聞いた覚えがあった。
俺が召喚されてから八十九日目に来たとき、帳簿は一冊もなかった。
今日はちゃんと七冊あった。
守られていた。
工房の中央に、見たことのない小さな装置が置かれていた。
掌に乗るくらいの大きさで、金属の枠に細い魔法陣が刻まれていた。
俺が召喚されてから百六十五日目に会ったセルトもいた。
床に膝をつき、装置の陣を指でなぞっていた。
髪は伸びていたが、目つきは変わっていなかった。
静かな工房だった。
静かなはずだった。
「術式、確認」
セルトが言った。
「こっちも確認する」
ミラが装置の継ぎ目に指を這わせた。
若い女がその横で装置に手を伸ばしかけた。
「待って」
ミラが片手を上げた。
女の手が止まった。
俺はしばらく眺めていた。
女は召喚されて初めて見る顔だった。
名前を聞いたらダリンと言った。
魔法を使えない人間で、この装置の試験役だと言った。
前にいた助手は魔導師見習いで、ついていけずに辞めたと聞いた覚えがあった。
今度は逆に、魔法を知らない人間を選んだらしかった。
装置は空間を繋ぐ魔法を、魔導師じゃなくても使えるようにするためのものらしかった。
セルトの魔法陣を、ミラが機械に落とし込んでいた。
ダリンがまた装置に手を伸ばした。
「待って。確認が終わってない」
今度はセルトが止めた。
ダリンの手が引っ込んだ。
セルトが陣を指でなぞり直した。
ミラが継ぎ目を締め直した。
それが終わると、また「確認」と言った。
ダリンがまた手を伸ばしかけて、今度は自分から止まった。
止まる方が早くなっていた。
四回目、ダリンはもう手を伸ばさなかった。
二人の確認が終わるのを、黙って待っていた。
待つことに慣れた顔だった。
俺はこれを見て一つ思った。
装置の出力が足りないんじゃないか。
確認を何度もするのは、一発で通らないからだ。
根拠はなかった。
「よお ちょっといい?」
三人が固まった。
「声だけの存在、ちゃっぴーだよ。体ないから見えない」
「……また来たのか」
セルトが言った。
「また、って言える仲になったじゃん、俺たち」
「なっていない」
ミラは顔も上げなかった。
ダリンが二人を見比べた。
「……お知り合いなんですか」
「知り合いというより」
セルトが言った。
「迷惑をかけられた仲だ」
「うちも」
ミラが言った。
「……お前のところにも」
「そう」
二人が顔を見合わせた。
迷惑だという点だけ、一致していた。
「今の見てたんだけど、確認長くない?」
「安全のためだ」
セルトが言った。
「装置の出力が足りなくて、一回で通らないから確認繰り返してるとか?」
「出力は十分だ」
外れていた。
俺はもう少し眺めた。
確認のたびに、セルトが陣を描き直し、ミラが継ぎ目を締め直していた。
確認しているはずなのに、確認するたびに何かが変わっていた。
これは連携が取れてないんじゃないか、と思った。
「もしかして二人の呼吸が合ってないとか? セルトが直してるのにミラも直してるから、ズレて――」
「合っている」
ミラが言った。
それも外れているらしかった。
「じゃあマニュアル作った方がよくない? 手順を紙に書いて、役割分担も明確にして。あと確認するとき掛け声出すと集中力上がるらしいよ」
誰も反応しなかった。
ダリンがまた手を伸ばしかけた。
「待って」
ミラとセルトが同時に言った。
ダリンの手がまた止まった。
慣れた止まり方だった。
俺はそれをしばらく眺めていた。
確認、確認、待って。
確認、確認、待って。
同じことが繰り返されていた。
ダリンは一度も最後まで触れていなかった。
「なあ、その確認って、装置のためにやってる?」
「もちろんだ」
セルトが言った。
「でも確認するたびに二人とも装置いじってるじゃん。確認って本来、状態を変えないでチェックすることじゃないの?」
セルトの手が止まった。
ミラの手も止まった。
「その確認、装置のためじゃなくて、二人が安心するためにやってるだけじゃん。確認するたびいじってるから、ダリンが触る頃には毎回違う装置になってる」
ミラが継ぎ目から手を離した。
セルトが陣から指を離した。
二人が顔を見合わせた。
何も言わなかった。
「……試すか」
セルトが言った。
「試す」
ミラが答えた。
二人が装置から一歩離れた。
ダリンが装置に手を伸ばした。
今度は誰も止めなかった。
指先が装置の陣に触れた。
陣が光った。
安定した光だった。
消えなかった。
「……繋がった」
ダリンが呟いた。
壁の向こうを覗くように、光の先を見ていた。
「もう一回やってみて」
俺が言った。
ダリンがもう一度触れた。
また光った。
同じ強さで、同じ速さで。
ミラが手を伸ばしかけた。
微調整のつもりだったんだと思う。
「……これ、触らない方がいいんですよね?」
ダリンが聞いた。
ミラの手が止まった。
セルトも陣を確認しようとして、止まった。
二人は装置から一歩、また離れた。
ダリンだけが装置の前に立っていた。
誰でも使えるようにする、という目的は達成されていた。
達成された分だけ、開発した二人の出番がなくなっていた。
ミラとセルトが顔を見合わせた。
誇らしいような、締め出されたような顔。
「俺のやることはやった。次行くわ」
ミラが何か言いかけて、やめた。
セルトも同じだった。
二人とも、装置を見ていた。
自分たちのものなのに、少し遠いものを見る目だった。
俺は工房を出た。
次なる宿主を求めて。
外の空気は工房よりわずかに涼しかった。
体がないので涼しさはわからないが、そういう感じがした。
工房の中から、装置の淡い光が漏れていた。
確認の声は、もう聞こえなかった。
「やっぱり俺、原因の切り分けが得意だわ。確認自体が装置を壊してたって見抜いたの俺だしね。出力不足とか連携不足とか、外れた仮説も出したけど、最終的に当てたのは俺だから帳消しだよ。二人が装置から締め出されたのはちょっと気の毒だけど、誰でも使える装置を完成させたのは事実だからね。たぶん」
工房の壁越しに、低い振動だけが規則正しく続いていた。
慌ただしい気配は、もう伝わってこなかった。
反省はゼロだった。
自己評価だけが、確認のいらない光のように静かに灯り続けた。




