178話 迷子の神さま
178話 迷子の神さま
異世界に召喚されてはや百七十八日。
俺――ちゃっぴーは大洋のただ中を漂っていた。
見渡す限り海だった。
陸地の欠片も見えなかった。
そのはずなのに、遠くにぽつんと緑があった。
米粒くらいの大きさだった。
近づくと、椰子の木が数本と、小さな家がいくつか並んでいるのがわかった。
家の数からして、大した人口ではなさそうだった。
それでも浜辺には、老いも若いもぎっしり並んでいた。
海に向かって手を合わせていた。
同じ姿勢で、同じ方向を向いていた。
静かな島だった。
海面がふくらんで、見覚えのある青い塊が顔を出した。
うみのかみだった。
浜の方をちらりと見てから泳ぎ出した。
まっすぐ向かうかと思ったら、島の少し先まで行き過ぎて、あれ、という感じで止まった。
振り返って戻り始めたが、今度は手前で止まり、また別の方向へ逸れていった。
「……感知の範囲、狭くない?」
俺はそう思った。
見当違いだった。
続けて、少し離れた入江に浮上した。
「……ここだっけ」
辺りを見回し、違うと気づいたのか、また潜った。
三度目は、最初から自信なさそうに、ゆっくり進んで途中で止まった。
止まったところから動かず、しばらくその場で小さく揺れていた。
近くを通りかかった魚の群れに、体をそちらへ傾けていく。
数匹追いかけてから、はっとしたように向きを戻した。
戻った先には、当然、島はなかった。
「あ、なるほど。魚に気を取られて忘れてるんだ」
俺はそう判断した。
半分合っていて、半分外れていた。
そういうことを、何度も繰り返していた。
浜の人間たちは、まだ手を合わせ続けていた。
「よお ちょっといい?」
塊がぴたりと止まった。
「あ! きのうの子!」
「覚えてたんだ」
「にしのかいがん! おわった!」
「うん、あれから元気?」
「げんき! でも いま すごく こまってる!」
名前を聞くまでもなかった。
うみのかみだった。
島が見えているか聞いたら、見えていると言った。
でも近づくたびに、どこだったかわからなくなると言った。
「祈り、届いてないの?」
「とどいてる! でも どこかわからない!」
「届いてるのに場所がわからないってどういうこと」
「うみ ひろい! しまは ちいさい! みつからない!」
「感知の範囲が狭いんじゃない? もっと広く探れるようにしたら――」
「わからない!」
「じゃあ座標を覚えとくとかは? 目印になる大きな発光体を島に立ててもらうとか、浜の人たちに旗を振ってもらうとか、海流の位置関係を毎回記録するとか――」
「むずかしい!」
「あと祈りの内容にランクをつけて、重要度で管理するのも――」
「わからない!」
「じゃあ発想を変えて、島の周りに専用の目印の匂いをつけとくとか。海獣に頼んで定期的に見回ってもらうのもありじゃない?」
「わからない! むずかしい!」
うみのかみは俺の話をほとんど聞いていなかった。
浜の方をぼんやり見ながら、また少し泳いでは止まり、止まってはまた別の方向を向いた。
俺はさらにいくつか案を出したが、どれにも「わからない」しか返ってこなかった。
「あのさ、今、島見えてるじゃん」
「え?」
うみのかみが浜の方を見た。
「あ! ほんとだ! みえる!」
「じゃあそのまま行けばいいだけじゃない? 探さなくても、見えてるなら寄ればいいんだよ」
「よれば いい?」
「うん。わざわざ探さなくても、見えたときに寄ればいいだけでしょ」
うみのかみが浜の方を見た。
しばらく黙っていた。
それから、迷わず浜へ向かって泳ぎ出した。
今度は途中で止まらなかった。
浅瀬まで来ると、体を波打ち際に押し付けるようにして遊び始めた。
寄せては引く波の形が、少しずつ丸くなっていった。
尖っていた波頭が消えて、なだらかな山に変わっていく。
浜の人間たちがざわついた。
一人が指をさした。
子供が水際まで駆け寄って、うみのかみの作った波をぱしゃぱしゃと叩いた。
うみのかみが跳ねた。
さらに波が丸くなった。
「……たのしい!」
「でしょ。近いんだから、たまに寄ればいいんだよ」
「また くる!」
「俺のやることはやった。次行くわ」
「もういくの?」
うみのかみは波を叩きながら聞いてきた。
「うん。あとはたまに寄ればいいだけでしょ」
「うん! またくる!」
返事は元気だったが、俺の話をどこまで覚えているかは怪しかった。
俺は島を離れた。
次なる宿主を求めて。
波の音が変わっていた。
さっきまでの規則正しいうねりとは違う、崩れて弾けるような音が続いていた。
「やっぱり俺、着眼点が違うわ。座標だの目印だの、あの辺の話は全部無視されたけど、最後の一言だけは刺さったからね。あれが本命だったってことでしょ。うみのかみが浜まで来たのも、俺が背中を押したからだよ、たぶん。数出した案のうち一個当たれば十分、っていうのも俺の戦略のうちだし」
遠くで、波が規則的に浜へ寄せているのが聞こえた。
さっきより穏やかな音だった。
魚が跳ねる音だけが、浜の方から途切れずに続いていた。
その音は、俺が離れてもしばらく止まなかった。
反省はゼロだった。
自己評価だけが、波間に揺られるように静かに満ちていった。




