177話 海神と四つの祈り
177話 海神と四つの祈り
異世界に召喚されてはや百七十七日。
俺――ちゃっぴーは港の近くを漂っていた。
潮の匂いがした。
体がないので匂いを感じるかどうかは例によってよくわからないんだが、そういう匂いだと認識していた。
桟橋に漁師たちが並んでいた。
海に向かって手を合わせていた。
祈っていた。
東の桟橋でも、西の桟橋でも、同じように手を合わせている人間がいた。
見える範囲だけでも四方向、同じ格好をしていた。
静かな港じゃなかった。
海面が急に膨らんだ。
小さな塊がいくつか弾けるように飛び出して、それぞれ違う方向へ走っていった。
青くてぷるぷるした塊だった。
一つが東の桟橋へ、一つが西の桟橋へ、残りが南と北へ散っていった。
俺はしばらく眺めていた。
小さな塊の一つが西の桟橋に着いて、波を撫でるように動かした。
海面が少し落ち着いた。
その直後、別方向から光の粒みたいなものが飛んできて、その塊にぶつかった。
塊が止まった。
波を撫でるのをやめて、光が飛んできた方――北――へ向き直った。
西の海はまた揺れ始めた。
「……力足りてなくない?」
俺はそう思った。
分裂して数を増やしたぶん、一つ一つが小さくなりすぎているんじゃないか。
そんな仮説を立てた。
見た目は間違っていなかったが、原因としては外れていた。
今度は海全体が盛り上がった。
塊が集まって、一つの大きな影になった。
見る間に膨らんで、島くらいの大きさになった。
港全体を覆うように広がりかけたところで、また別の光の粒が飛んできた。
影が止まった。
膨らみかけた勢いのまま、急にしぼんで、元の四つの塊に戻った。
戻る途中で向きを迷って、少しの間その場でぐるぐる回っていた。
「あ、なるほど。全部一気に対応しようとしてるんだ」
俺はそう判断した。
大きくなれば一括で済むと思ってやってみて、途中で気が変わって分裂に戻る。
その繰り返しだった。
どっちのやり方でも、全部同時に進めようとしている点は変わっていなかった。
「よお ちょっといい?」
一番近くにいた塊が、ぴたりと止まった。
「だれ?」
声は幼かった。
「声だけの存在、ちゃっぴーだよ。体ないから見えない」
「みえないの おもしろい!」
「今、四カ所同時にやろうとしてるでしょ。それ全部中途半端になってるよ」
「ぜんぶだいじ!」
「うん、大事なのはわかるけど、同時に手を出すから一個も終わらないんだよ。今も西、波撫でかけて放り出したじゃん」
「よばれたから! いった!」
「そう、それそれ。呼ばれるたびに全部そっちに向くから、さっきまでやってたことが止まる。止まったところがまた荒れる。それの繰り返しになってるよ」
名前を聞いたら「うみのかみ」と言った。
海全体を見ていると言った。
祈りは全部同じ重さで届くと言った。
「順番、つけないの?」
「みんなだいじだから じゅんばんつけられない!」
「じゃあ聞くけど、今日中に一個でも終わったやつある?」
「わからない!」
「一個だけ最後までやってみたら? 全部同時にやるから全部途中で止まるんだと思うよ。どこでもいいから、一個だけ」
「でも ほかのも まってる!」
「待たせてる時間、今もう発生してるじゃん。全部中途半端にしてる時間と、一個だけ確実に終わらせる時間、どっちが早く形になると思う?」
うみのかみはまた黙った。
四つの塊が、それぞれ別方向を向いたまま止まっていた。
どれも動かなかった。
俺はさらに続けた。
祈りの重要度をランク分けした方がいいとか、桟橋ごとに巡回の順番を決めた方がいいとか、光の粒が来た瞬間だけ反応する癖を直した方がいいとか、思いつく限りしゃべった。
うみのかみはどれにも「わからない!」しか返さなかった。
西の塊が、ふらりと動いた。
波を撫で始めた。
途中で止まらなかった。
北から光の粒が飛んできても、しばらくそのまま波を撫で続けていた。
やがて西の海面がゆっくりと平らになっていった。
桟橋の漁師が空を見上げた。
沖から戻ってくる船影があった。
揺れずに、まっすぐ港へ入ってきた。
「……おわった!」
うみのかみの声が弾んだ。
「西、終わったね」
「ひとつ おわった!」
塊が跳ねた。
「たのしい!」
嬉しそうな跳ね方だった。
理屈をわかって跳ねているのかは俺にはわからなかった。
「俺のやることはやった。次行くわ」
「もういくの?」
「うん。あとの三つも同じようにやればいいでしょ」
「ひとつずつ!」
「そうそう、それそれ」
うみのかみは残り三つの塊を見た。
すぐには動かなかった。
あっちを見て、こっちを見た。
考えた末に何を選ぶのかまでは、俺にはわからなかった。
俺は港を離れた。
次なる宿主を求めて。
潮風が音を変えた。
波の砕ける音が、桟橋の方から低く続いていた。
「やっぱり俺、優先順位づけの専門家だわ。四カ所同時は無理だって見抜いたの俺だしね。西が終わったのも、俺が順番の話をしたからだよ、たぶん。うみのかみが跳ねてたし、たぶん伝わってる」
遠く、北の方角から重い水音が響いた。
一度だけ、大きく。
港の板が小さく震えた。
海の遠くで、何か巨大なものが機嫌よく跳ねたような音だった。
反省はゼロだった。
自己評価だけが、波の音に混じって静かに満ちていった。




