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174話 沈んだ街の指輪

174話 沈んだ街の指輪

 

 

 

異世界に召喚されてはや百七十四日。

 

俺――ちゃっぴーは橋の上を漂っていた。

 

 

 

石造りの古い橋だった。

 

下を流れる水が驚くほど澄んでいて、川底に何かが見えた。

 

崩れた柱、傾いた壁、四角く並んだ石畳。

 

かつての街が、何千年も前からそのまま沈んでいるような景色だった。

 

陽の光が水面で揺れて、沈んだ街並みを照らしたり隠したりしていた。

 

綺麗な場所だった。

 

 

 

橋の欄干に、旅装の女が腰掛けていた。

 

釣り糸を水面に垂らしていた。

 

見覚えのある背中だった。

 

俺が召喚されてから五十四日目に橋で会って、百三十三日目に廃墟でまた会った。

 

コレットだった。

 

 

 

一投目、糸が重くなった。

 

引き上げると、曲がったスプーンだった。

 

眺めて、腰の袋に落とした。

 

続けて二投目。今度は欠けた燭台だった。

 

同じように眺めて、袋へ。

 

三投目は壺の欠片だった。

 

眺める時間はさらに短くなった。

 

四投目以降は、迷わず袋へ落ちるだけになった。

 

 

 

俺はしばらく眺めていた。

 

遺跡から使えるものを回収して、どこかで売る仕事なのかと思った。

 

違う気もした。

 

値打ちのありそうなものも、なさそうなものも、同じ速さで袋に入っていた。

 

選んでいる感じがしなかった。

 

投げて、引いて、確かめて、入れる。

 

それだけの繰り返しだった。

 

 

 

「よお ちょっといい?」

 

コレットが振り向いた。

 

「……ちゃっぴーか」

 

「覚えてたんだ」

 

「忘れにくい名前だ」

 

また糸を垂らした。

 

 

 

「橋、好きだね」

 

「橋じゃない」

 

「え」

 

「下だ」

 

コレットが顎で川底を示した。

 

沈んだ街の輪郭が、光の揺れる水面越しに見え隠れしていた。

 

魚影らしきものも、時折その隙間を横切った。

 

 

 

「あの遺跡から金目のもの回収してる感じ? 沈んだ街の財宝収集家的な? 水没した建材とか装飾品って地上のものより劣化が少ないらしいし、掘り出し物ならそこそこの値段が――」

 

「金は集めてない」

 

「じゃあ調査? 沈んだ街の歴史を紐解く考古学的な調査で、拾ったものの年代とか様式を照らし合わせて――」

 

「調べてもいない」

 

コレットは短く答えて、また糸を投げた。

 

上がってきたのはまた別のガラクタだった。

 

短い舌打ちが聞こえた。

 

 

 

「じゃあ何?目当て」

 

「魚だ」

 

「え、普通に魚釣ろうとしてただけ?」

 

「そうだ」

 

「なのにガラクタしか釣れてないってこと?」

 

「そうだ」

 

腹の鳴る音が、静かな川音の中で妙にはっきり響いた。

 

コレットは何も言わなかった。

 

もう一度糸を投げた。

 

 

 

何投目かわからなくなった頃、糸が引く感触が変わった。

 

持ち上げると、小さな指輪だった。

 

汚れてくすんでいたが、形は崩れていなかった。

 

小さな赤い石があしらわれていて、汚れの中でもそこだけは澄んだ色をしていた。

 

コレットの手が止まった。

 

袋には入れなかった。

 

自分の左手に持ち替えて、薬指のあたりに近づけた。

 

つけなかった。

 

布に包んで、懐にしまった。

 

 

 

「それさっきの奴らと扱い違うじゃん。婚約指輪とか、そういう感じ? 腹減ってるなら真っ先に売るところだと思うけど」

 

「売らない」

 

「じゃあ誰かにあげるとか?」

 

コレットが黙った。

 

「……忘れ物だと思う」

 

「誰の?」

 

「知らない」

 

 

 

「てかさ、その袋のガラクタ、全部売ればいいじゃん。魚釣れないなら、金にして魚買えばいいんだよ。ここ橋でしょ、人通りあるじゃん」

 

コレットが顔を上げた。

 

橋の向こうから、荷を背負った行商人が歩いてきていた。

 

 

 

コレットは呼び止めた。

 

袋の中身を並べた。

 

スプーン、燭台、壺の欠片。

 

行商人が一つずつ手に取って、値をつけた。

 

安い値だった。

 

それでも銅貨が数枚、コレットの手に渡った。

 

行商人の荷の中には、干した魚も束になって入っていた。

 

コレットは銅貨のほとんどを、その干し魚と引き換えた。

 

 

 

橋の上で、コレットが干し魚をかじった。

 

一口、二口。

 

黙って食べていた。

 

「な、俺の言った通りじゃん」

 

「……そうだな」

 

行商人はもう橋の向こうへ歩き去っていた。

 

 

 

食べ終えると、コレットはまた糸を垂らした。

 

さっきまでの張り詰めた動きが、少し緩んでいた。

 

急いでいなかった。

 

 

 

糸が、急に重くなった。

 

引いても浮いてこなかった。

 

何かに引っかかっているような、動かない重さだった。

 

澄んだ水越しに覗くと、沈んだ街の一角、崩れた壁の脇に、四角い大きな塊が沈んでいるのが見えた。

 

何千年もそこに沈んでいたような佇まいだった。

 

糸はその角に絡まっていた。

 

 

 

コレットは糸を軽く引いた。

 

動かなかった。

 

もう一度、角度を変えて引いた。

 

水の中で、何かがわずかにずれた。

 

石と石がこすれる、こもった音が水を通して伝わってきた。

 

底の砂と泥が舞い上がって、辺りが白く濁った。

 

コレットはしばらくそこを見つめていた。

 

濁りは晴れなかった。

 

 

 

「なんか見えた?」

 

「……いや」

 

「今ので時間かけすぎてない?」

 

「わからないから、見ていた」

 

懐の指輪に、布の上から軽く触れた。

 

それから、糸を強く引いた。

 

どこかで、何かがぷつりと切れる感触があった。

 

糸がふっと軽くなった。

 

巻き上げた先には、何もついていなかった。

 

 

 

「俺のやることはやった。次行くわ」

 

「……何をした」

 

「腹減ってる問題を解決した張本人だけど」

 

コレットは何も言わなかった。

 

濁った水を、まだ見下ろしていた。

 

 

 

俺は橋を後にした。

 

次なる宿主を求めて。

 

 

 

橋を離れると、水音が少しずつ遠くなった。

 

光が水面で揺れて、沈んだ街の輪郭をまた隠した。

 

「やっぱり俺、生活支援のプロだわ。ガラクタ売って魚買えって言ったの俺だし、腹減ってる問題はあれで完全に解決したじゃん。指輪の件は謎のままだけど、あれは俺の管轄外。今日は経済アドバイザーとしての俺が仕事した日。たぶん」

 

 

 

水面の向こうで、コレットがまだ濁った水を見下ろしていた。

 

糸を、もう一度垂らすかどうかは、わからなかった。

 

 

 

反省はゼロだった。

 

自己評価だけが、沈んだ街の分だけ静かに積み上がっていった。

 

 

 

 

 

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