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172話 鳴らせない鐘

172話 鳴らせない鐘

 

 

 

異世界に召喚されてはや百七十二日。

 

俺――ちゃっぴーは城壁の上を漂っていた。

 

 

 

石造りの城壁だった。

 

人が二人並んで歩けるくらいの幅で、胸壁が等間隔に並んでいた。

 

前に来たときと同じ場所のはずだった。

 

けれど、胸壁と胸壁の間に、縄が渡されていた。

 

縄の先には小さな鐘が結んであって、一定間隔ごとに見張りが立っていた。

 

城下を見ても、槌の音はなかった。

 

梯子の影もなかった。

 

静かな城壁だった。

 

 

 

見張りの一人が、縄に手をかけた。

 

軽く引いて、離した。

 

それだけの動きだった。

 

「鐘、壊れてないか確認してるのかな。律儀だね」

 

違った。

 

隣の見張りも、同じ間隔で縄を引いて、離した。

 

一人ではなく、全員が同じ手順でやっていた。

 

「これ、交代の合図か何かかも」

 

これも違った。

 

三人目も、四人目も同じだった。

 

もう誰が何人目かわからないくらい、同じ動きが続いていた。

 

決まった時間に、決まった回数だけ、縄が引かれていた。

 

それだけの城壁だった。

 

 

 

その先、胸壁の角に、見覚えのある男がいた。

 

重い装備を抱えていた。

 

クロスボウだとわかった。

 

男は角から半身を出して、外を覗いた。

 

すぐに戻った。

 

また覗いて、戻った。

 

 

 

「よお ちょっといい?」

 

男が振り向いた。

 

「……またお前か」

 

「俺だよ。ちゃっぴー。久しぶり」

 

「久しぶりでもない。前も同じ言い方をした」

 

「ちゃっぴーだよ。体ないから見えない」

 

「知っている」

 

 

 

名前を聞くまでもなくハインだとわかった。

 

俺が召喚されてから七十八日目は城壁の上、百二十日目は城門の脇で会った。

 

今日はまた城壁の上だった。

 

けれど胸壁の並びに縄が増えていた。

 

「これ何、縄」

 

「合図の縄だ。一箇所が異常を見つけたら、隣に鳴らす。隣がまた隣に鳴らす」

 

「速そうじゃん」

 

「速い。城壁の端から端まで、鐘が十も鳴らないうちに伝わる」

 

「じゃあ今日は敵、来てないの」

 

「三日前に休戦が決まった」

 

「あ、王が二里で押し切ったやつ」

 

ハインが少し止まった。

 

「……知っているのか」

 

「知ってるよ。あの場にいたし」

 

 

 

見張りの全員が定刻に縄を引いては手を止めていた。

 

理由を聞こうとしたところで、近くの見張りが胸壁から身を乗り出して、境界の方角を指差した。

 

指差したまま、もう片方の手で縄を探った。

 

ハインが角から身を乗り出して外を見た。

 

旗を持った一団が、こちらへ向かって歩いてくるのが見えた。

 

先頭が、白と青の旗を掲げていた。

 

「敵か」

 

近くの見張りが縄に手をかけた。

 

止まった。

 

また手をかけた。

 

今度は少し強く握った。

 

 

 

「ちょっと待って、あの旗が振られてるの、なんか意味あるの?」

 

「境界標を打つための旗だ。二里の線を引く役目の連中だと思う」

 

「思う、なんだ」

 

「今日来るとは聞いていない」

 

断言ではなかった。

 

ハインが断言しなかったのは初めてだった。

 

見張りの手が縄から離れなかった。

 

指が白くなっていた。

 

鳴らせば、伝わる。

 

伝わるまで、十も数えない。

 

けれど鳴らした後で間違いだったら、もう止まらない。

 

 

 

俺はまた喋りかけた。

 

「歩き方、急いでないし、武器も見えないし、たぶん大丈夫じゃない?」

 

「今それを言っている場合か」

 

「言ってるけど」

 

 

 

見張りの指に力が入った。

 

鳴らす直前の形だった。

 

 

 

ハインが手を伸ばした。

 

縄を、見張りの手ごと押さえた。

 

「待て」

 

「なぜです」

 

「旗の意味を確認してからだ」

 

「規定では、境界付近の動きは即時に――」

 

「規定を作ったときは休戦前だった」

 

 

 

見張りが黙った。

 

ハインが縄を握ったまま、旗の一団をしばらく見ていた。

 

先頭の旗が、ゆっくり左右に振られた。

 

合図らしい動きだった。

 

 

 

「……境界標だ。間違いない」

 

「わかったの」

 

「振り方が、こちらの合図と同じだ。示達に書いてあった」

 

「示達、読んでたんだ」

 

「読んでいた」

 

 

 

ハインが縄から手を離した。

 

見張りも手を離した。

 

鐘は鳴らなかった。

 

一団はそのまま境界の方へ進んでいった。

 

何も起きなかった。

 

 

 

「……止まった」

 

見張りがぽつりと言った。

 

「止めたんだ、ハインが」

 

「規定通りではない」

 

「規定通りだったら鳴らしてたじゃん」

 

ハインは答えなかった。

 

クロスボウを下ろして、縄から手を離した位置をもう一度見た。

 

 

 

「俺のやることはやった。次行くわ」

 

「お前は今、何もしていない」

 

「旗の話したじゃん」

 

「示達はとっくに読んでいた」

 

「え、先に言ってよ」

 

「言う場面がなかった」

 

言い返せなかった。

 

 

 

俺は城壁を離れた。

 

次なる宿主を求めて。

 

 

 

石段を下りる音が、遠くでまだ続いていた。

 

縄と縄の間を、風がゆっくり抜けていくのがわかった。

 

体がないので当たらないが、そういう抜け方だった。

 

 

 

「やっぱり俺、状況判断の外部センサーとして優秀だわ。旗のこと最初に聞いたの俺だしね。ハインが規定より先に確認しようって決めたのも、俺が横で喋ってたからこそ落ち着いて見れたんだと思う。七十八日目は場所がバレて、百二十日目は狙いが定まらなかったけど、今日は縄まで止めたんだから、ちゃんと積み上がってるよね。俺のおかげで。たぶん」

 

 

 

城壁の向こう、離れた区画で、鐘が一つ鳴った。

 

すぐにもう一つ、隣の鐘が続いた。

 

それきり、こちらまでは届かなかった。

 

 

 

反省はゼロだった。

 

自己評価だけが、鳴らなかった鐘の分まで積み上がっていった。

 

 

 

 

 

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