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168話 横取りの回廊

168話 横取りの回廊

 

 

 

異世界に召喚されてはや百六十八日。

 

俺――ちゃっぴーは異空間を漂っていた。

 

 

 

何もない場所だった。

 

床もなく、壁もなく、ただ暗さだけがあった。

 

その中心に、精霊が座っていた。

 

背が高くて、輪郭がぼんやり光っていた。

 

見覚えがあった。

 

周りには薄い光の輪が引かれていて、精霊はその輪から一歩も出ていなかった。

 

出られないんだろうと思った。

 

輪の外側に、石の枠が円を描くように十数個浮かんでいた。

 

 

 

枠から光の糸が伸びていた。

 

糸は精霊の方へ向かって伸びていったが、精霊の手前で他の糸とぶつかって弾け、体に届く前に消えていった。

 

精霊の輪郭は、薄くぼんやりとしたままだった。

 

届いているのかいないのか、ぴくりとも動かなかった。

 

 

 

「よこせ! そっちも! こっちも!」

 

俺が召喚されてから六十八日目に会ったインプが枠から枠へ飛び回っていた。

 

赤い肌に小さな角、蝙蝠の羽。

 

枠を一つ開けると、光の糸が飛び出す。

 

すぐ隣の枠も開ける。

 

また糸が飛び出す。

 

二本の糸が精霊の手前で交差した。

 

弾けた。

 

どちらも細くなって、精霊に届く前に消えた。

 

精霊は動かなかった。

 

 

 

俺はしばらく眺めていた。

 

同時に飛んだ糸は、必ずどこかでぶつかった。

 

一本だけならどうなるのか、まだわからなかった。

 

インプはそれでも枠を開け続けていた。

 

 

 

「もう一個開けるぞ!」

 

三つ目の枠が開いた。

 

三本の糸が同時に飛んで、精霊の手前で団子のように絡まった。

 

インプが手を突っ込んで解こうとした。

 

解けなかった。

 

引っ張るほど固くなった。

 

 

 

「よお ちょっといい?」

 

インプが糸をほどく手を止めないまま答えた。

 

「……ちゃっぴーか」

 

「気づくの早いね」

 

「これだけ好き放題やられれば嫌でも覚える」

 

「その枠、何を引っ張ってきてるの?」

 

インプの手が止まった。

 

「礼拝堂の祈りだ。精霊に言うことを聞かせるために祈りを借りてる」

 

「この精霊に対しての祈りなの?」

 

「違う。よそだ。よその神だの精霊だのに祈ってる連中の分を、途中で引っ張ってきてる」

 

「それ、盗んでるってこと?」

 

「呼んでも来ないんだから仕方ないだろう」

 

インプが団子に向き直った。

 

「これだけ食わせりゃ、そのうち嫌でもこっちを見る」

 

 

 

俺はそれを見ながら考えた。

 

糸が細いから絡むのかもしれない。

 

「ねえ、その糸ってさ、もっと太くできないの? 太い方が絡みにくくない?」

 

「太さの問題じゃない」

 

インプは祈りの糸が絡んだ団子を睨んだまま答えた。

 

即答だった。

 

前より返しが速くなっていた気がした。

 

 

 

絡まった糸をようやく解いたインプが、また別の枠に手をかけた。

 

俺はまた考えた。

 

枠の位置が精霊から遠いせいかもしれない。

 

「距離が遠い枠から順に開けたら、届くまでの時間がズレて絡まなくない?」

 

「配置は変えられない」

 

インプが四つ目の枠を開けた。

 

四本目の糸が、さっきの残骸に突っ込んで、また団子になった。

 

 

 

「じゃあ精霊のいる場所が悪いとか。もっと輪を広げれば一気に何本も受け取れるんじゃない?」

 

「輪の大きさは変えられない」

 

「あ、じゃあ糸の色を変えるとか。違う神への祈りなら色も違いそうだし、揃えたらすり抜けやすくなるかもよ」

 

「色は元々ばらばらだ」

 

インプが即答した。

 

見もせずに答えた。

 

聞くまでもないと言いたげな返しだった。

 

インプが団子をまた解きにかかった。

 

指が滑って、糸の一本がちぎれた。

 

インプの動きが止まった。

 

ちぎれた糸を見た。

 

長い沈黙だった。

 

 

 

俺はその間、開いていた枠の様子を見ていた。

 

十数個のうち、開いているのは今も四つ。

 

四つとも、同時に開いたままだった。

 

閉じる、という動作を一度もしていなかった。

 

 

 

「ちょっと待って。今の枠、全部同時に開けっぱなしじゃん。一個開けて、届いたら閉めて、次、ってやってなくない?」

 

インプが手を止めた。

 

「一個ずつやってたら間に合わない」

 

「今も間に合ってないよ。絡まって全部消えてるじゃん」

 

インプが四つの枠を見回した。

 

開いたまま、光の糸を垂れ流していた。

 

どれも精霊には届いていなかった。

 

 

 

インプが舌打ちして、目の前の枠を叩いて閉じた。

 

苛立ち紛れの動作だった。

 

残った三本のうち、一本の絡みが緩んだ。

 

糸がすっと伸びて、精霊の体に吸い込まれた。

 

輪郭が一瞬、強く濃くなった。

 

 

 

「……今の」

 

「一個減らしたら通ったじゃん」

 

インプが残りの枠も、一つずつ叩いて閉じていった。

 

最後に一つだけ開けたまま残した。

 

糸が一本、まっすぐ精霊に伸びていった。

 

絡むものがなかった。

 

すっと吸い込まれた。

 

輪郭がまた濃くなった。

 

さっきより長く濃さが続いていた。

 

 

 

インプが次の枠を開けた。

 

前の枠はもう閉じていた。

 

一本ずつ、糸が届いていった。

 

団子にならなかった。

 

精霊の輪郭が、途切れずに濃くなり続けるようになった。

 

 

 

「……順番にやればいいのか」

 

「そうだよ。全部同時に投げるから絡むんだって」

 

インプが枠を一つずつ、開けては閉じ、開けては閉じを繰り返した。

 

さっきまでの慌ただしさが消えていた。

 

淡々とした動きだった。

 

精霊はまだ動かなかったが、輪郭だけは確実に濃くなり続けていた。

 

 

 

「俺のやることはやった。次行くわ」

 

インプが枠を開けたまま、こっちを振り返った。

 

「もう行くのか」

 

「うん。あとは順番にやるだけでしょ」

 

「……確かに、そうなる」

 

短い答えだった。

 

インプはもう次の枠に手をかけていた。

 

 

 

俺は異空間を出た。

 

次なる宿主を求めて。

 

 

 

背後で、精霊の輪郭が濃くなる間隔が一定になっていくのがわかった。

 

さっきまでの弾けるような光り方じゃなくて、静かな脈動だった。

 

遠くの方で、何かが軋むような音が細く続いていた。

 

 

 

「やっぱり俺、干渉パターンの分析が得意だわ。太さでも配置でもなく、同時に投げてることが原因だって見抜いたの俺だしね。順番にやれば絡まないって、地味だけど本質を突いてたと思う。インプがもう反論しなかったのがその証拠だよ。たぶん」

 

 

 

軋む音は、脈動のたびに少しずつ大きくなっていた。

 

よそから引いてきた糸の元、どこかの枠の向こうで、何かが痩せていく音のようにも聞こえた。

 

 

 

反省はゼロだった。

 

自己評価だけが、精霊の脈動に合わせて静かに積み上がっていった。

 

 

 

 

 

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