161話 見てるようで見ていない
161話 見てるようで見ていない
異世界に召喚されてはや百六十一日。
俺――ちゃっぴーは訓練場を漂っていた。
砂地に木の柵で仕切られた一角があって、そこだけ地面が硬く踏み固められていた。
的の代わりに、対人稽古用の的紙が二枚、向かい合って立ててある。
竹刀の先には白い粉がついていて、当たった場所がひと目でわかるようになっていた。
以前と同じ訓練場だったけど、道具の並びが少し変わっていた。
隅の方では別の組が打ち込み稽古をしていて、掛け声が時々こちらまで飛んできた。
静かな訓練場、ではなかった。
「はっ」
短い声とともに、竹刀同士がぶつかる乾いた音が響いた。
一瞬の間があって、パン、と乾いた音がもう一度鳴った。
「……また右肩」
短く切った黒髪の女が、白い粉のついた右肩を見て舌打ちした。
俺が召喚されてから六十六日目に会ったエイラだった。
向かい合う相手は若い男で、竹刀を構え直している。
名前は知らなかった。
エイラが足の幅を変えた。
半歩、いつもより深く踏み込む形に直す。
構え直して、また打ち合った。
パン。
また右肩に跡がついた。
「……なんで」
今度は竹刀の握りを変えた。
柄を握る位置を少し前にずらし、切っ先の角度を微調整する。
それでもう一度向かい合った。
パン。
三度目も、右肩だった。
俺はしばらく眺めていた。
足を変えても当たる。
握りを変えても当たる。
場所は毎回同じだった。
何かが足りていない、というより、何かを見ていない感じがした。
それが何なのかまでは、俺にもわからなかった。
「よお ちょっといい?」
エイラの肩が一瞬跳ねた。
振り向かなかった。
「……お前か」
「ちゃっぴーだよ。体ないから見えない」
「知ってる」
「百六十一日目にして再会とか、俺たち縁あるよね」
「稽古中だ」
「わかってる。でも三回とも右肩じゃん」
エイラの手が止まった。
「多分だけど、利き足の踏み替えがコンマ何秒か遅れてて、それで右側が空くんだと思う。人間って利き足側から動くらしいし」
「……」
「あと竹刀の重心。稽古用のって先端側に重いこと多いから、振り終わりの戻しが遅れて隙になってる説もある。あと呼吸のタイミングも気になる。打ち込む直前に息を止めてない? それだと反応が一拍遅れるんだよね」
エイラは何も言わなかった。
また竹刀を構えて、打ち合った。
パン。
四度目も、右肩だった。
「……両方とも違うっぽいね」
「かもな」
俺は黙って、もう一度眺めることにした。
何度目かの打ち合いで、相手の男が竹刀を構え直す瞬間、一瞬だけ視線がエイラの右肩の方へ動いた。
毎回ではなかった。
でも、当たる回だけ、その動きがあった気がした。
「ねえ、今の見た? あいつ、打つ前に一瞬だけエイラの右肩見てない?」
「……見てない」
「見てたと思うけど。俺の勘だけど」
「勘か」
「うん。でも当たる回だけ見てる気がする」
エイラが相手をじっと見た。
自分の竹刀じゃなくて、相手の目を見ていた。
エイラは今までとは違う場所を見ていた。
竹刀の動きより先に、目の動きの方が早いことに、今さら気づいたみたいだった。
もう一度打ち合いが始まった。
相手が竹刀を上げかけて、視線がわずかに動いた。
エイラの体が先に反応した。
パン、ではなく、乾いた音が別の場所で鳴った。
今度は相手の胴だった。
「……あ」
エイラが自分の竹刀の先を見た。
白い粉がついていた。
右肩ではなかった。
「見てただけじゃん、あいつの目。足でも握りでもなくて」
「……そうみたいだ」
「なんで今まで見なかったの」
「竹刀を見ていた」
「あー、的の奥を見ろって前に言ったの、真面目に守りすぎたパターンだ」
エイラは答えなかった。
また構えて、打ち合った。
パン。
今度も胴だった。
連続で三回、右肩には当たらなかった。
相手の男が竹刀を下げて、稽古着の袖で顔を拭った。
「……お前、急に読みが良くなってないか」
「気のせいだ」
「気のせいで三本連続外させるか普通」
男は何も言わず、もう一度竹刀を構え直した。
構えるまでの間が、さっきより長かった。
迷っているような、量っているような、そんな間だった。
「俺のやることはやった。次行くわ」
「……もう行くのか」
「うん。あとは自分で見えるでしょ」
「……礼は、言わない」
「言わなくていいよ。見てただけだし、俺」
エイラは竹刀を構えたまま、俺のいた方向をちらっと見た。
それから、また相手に向き直った。
俺は訓練場を出た。
次なる宿主を求めて。
竹刀のぶつかる音が、遠くでまだ続いていた。
さっきより間隔が短くなっていた。
「やっぱり俺、観察眼が違うわ。足でも握りでもなく、視線に答えがあるって見抜いたの俺だしね。前に俺が的の奥を見ろって言ったことも、完全に無駄じゃなかったんだよね。利き足とか重心とか呼吸の話は外れたけど、当たったのが一個あればそれでいいんだよね、たぶん」
遠くで、竹刀を仕舞う音が二つ続けて聞こえた。
息を合わせるような間隔ではなかった。
反省はゼロだった。
自己評価だけが、白い粉の跡みたいに積もっていった。




