159話 崩れない朝市の型
159話 崩れない朝市の型
異世界に召喚されてはや百五十九日。
俺――ちゃっぴーは朝市を漂っていた。
石畳の広場に、屋台が並んでいた。
朝の光がまだ低くて、影が長かった。
野菜や果物の匂いがすると思ったが、体がないので実際はわからない。
そういう匂いがしそうな色の並びだった。
活気のある朝市だった。
見覚えのある顔があった。
俺が召喚されてから六十五日目に会った農民のオットだった。
台の向こうで籠を並べていた。
背筋が伸びていて、動きに迷いがなかった。
俺はしばらく眺めていた。
籠の数が異様に多かった。
台からはみ出して、地面にも積まれていた。
なのに並べ方は台の左端から野菜、中央に果物、右端に卵。
きっちり三区画に分かれていた。
区画からあふれた籠が、台の脇に不安定に積み上がっていた。
オットが積み上がった籠の一つを持ち上げた。
置き場所を探すように辺りを見た。
それから、結局いつもの三区画の隅に無理やり押し込んだ。
値段も同じなんだ、と思った。
木札に書かれた数字は一籠あたりの値段で、籠の量と関係なく一定だった。
別の籠が積み上がった。
オットがまた場所を探した。
台の端に置こうとして、はみ出すのを見て、結局また三区画の隙間に押し込んだ。
同じ動きだった。
「よお ちょっといい?」
オットが手を止めた。
「……また来たか」
「また来た。籠、めちゃくちゃ多くない?」
「多い。今年は収穫がよかった」
「なんで区画は三つのままなの? あふれてるじゃん」
オットが台を見た。
「いつもこうしてる」
俺は少し考えた。
呼び込みの声が単調すぎるのかもしれないと思った。
「声のトーン変えた方がいいんじゃない? 同じ調子だと通り過ぎられるよ、たぶん」
「声はいつも通りだ」
オットの声は変わらなかった。
「新鮮な野菜だよ、朝採れだよ」
違った。
値段が高いから残ってるのかもしれないと思い直した。
「値段、去年より上げてたりする?」
「上げてない。ずっと同じだ」
オットが台の前に立った客に野菜を渡した。
会計をした。
同じ速さ、同じ手順だった。
籠が一つ減った。
でも脇に積まれた籠は減らなかった。
客が台の端を覗き込んだ。
脇に積まれた籠には気づかず、そのまま通り過ぎた。
「……区画、三つのまま量だけ増えてない?」
俺はそう言ってみた。
「野菜も果物も卵も、前の広さのまま置いてるんでしょ?溢れた分は隅に押し込んでるだけで、客から見えてない」
オットが台を見た。
積み上がった脇の籠を見た。
三区画の中を見た。
しばらく黙っていた。
「……量、か」
短く言った。
それから台の脇に積んであった木箱を引き寄せて、台の端に継ぎ足した。
野菜の区画を広げて、隙間に押し込んでいた籠をそこに並べ直した。
隠れていた籠が、初めて客の目の高さに出た。
客が足を止めた。
一人、また一人。
台の端まで見て、そこに気づいて手を伸ばした。
籠が減っていった。
さっきより速かった。
隣の屋台の男が声をかけた。
「オット、今日は早いな。もう半分捌けてるじゃないか」
オットが台を見た。
「……そうだな」
短い返事だった。
でも手は止まっていなかった。
「俺のやることはやった。次行くわ」
オットが空中を見た。
「……区画を広げただけだ」
「それだけで見え方変わったじゃん」
「それだけだ」
「それだけで十分だよ」
オットは短く息を吐いた。
感謝とも呆れともつかない吐き方だった。
俺は朝市を出た。
次なる宿主を求めて。
広場を抜けると、人の声が遠くなった。
まだオットの台の方から呼び込みの声が続いていた。
さっきより通りがよかった。
「やっぱり俺、固定観念の破壊が得意だわ。区画が量に追いついてないって見抜いたの俺だしね。呼び込みとか値段とか、最初はいろいろ外したけど、最後の一個が刺さればそれでいいんだよ。オットが自分で木箱継ぎ足したのも、俺が疑問を投げたからだよ。たぶん」
背後で、隣の屋台の男が誰かにぼやいていた。
「今日はあそこばっかり人が止まるな」
その声は、俺が離れる速さより遅く、風にかき消えていった。
反省はゼロだった。
自己評価だけが、朝市の喧騒に混ざって静かに積み上がった。




