158話 斜めに切った一言
158話 斜めに切った一言
異世界に召喚されてはや百五十八日。
俺――ちゃっぴーは墓地を漂っていた。
俺が召喚されてから五十五日目に来た墓地だった。
石畳も、等間隔の墓標も、前に見たときのままだった。
墓守の老人がいた。
以前より、花立ての中身が賑やかになっていた。
前は自分の花しか入れなかった老人が、今は参拝者の花も一緒に挿している。
以前、花立てが一杯で入りきらなかったことがあった。
あのとき俺が口を出したやり方を、老人は今も続けていた。
花立ての中身は、前よりずっと賑やかになっていた。
老人が花立てに、花を挿していた。
一本挿す。
傾いた。
慌てて抜いて、挿し直す。
急いでいたせいで、花びらが数枚、地面に散った。
老人はそれに気づかず、次の花に手を伸ばした。
俺はしばらく眺めていた。
「土が緩いのかな」
墓標の前の土を見た。
固さは他の場所と変わらなかった。
違った。
隣の花立てでも、同じことが起きた。
挿す。
傾く。
挿し直す。
花びらが散る。
さらに隣も、同じだった。
挿す。
傾く。
散る。
三カ所とも、同じ順番だった。
散った花びらが増えてきたところで、老人が箒を取った。
掃く。
箒の先が香炉の縁に当たって、灰が軽く舞った。
舞った灰が、隣の花立てと石畳に落ちた。
老人が灰を洗い流すために、水をかけた。
多めにかけた。
花立てから、水が少し溢れた。
一周、輪のように戻ってきていた。
「よお、ちょっといい?」
老人が振り返った。すぐに得心したような顔になった。
「……また声だけの方ですか」
「久しぶり。今日も忙しそうだね」
「見ての通りです」
老人はそう言ったきり、また花立てに向き直った。
「花の重さが偏ってるんじゃない?」
老人が挿した花を見比べた。
太さも長さも、ほとんど同じだった。
これも違った。
「参拝者の花と、老人の花で、種類が違うから馴染んでないとか?」
花立ての中を見た。
種類は違ったが、傾いているのはどちらの花にも均等にあった。
これも違った。
老人が、また傾いた花を挿し直した。
急いでいたので、茎の切り口がまっすぐのまま、花立ての底に押しつけられていた。
俺はその切り口を見た。
平らだった。
「あ、それだ。茎の先、斜めに切ってから挿せば安定するんじゃない? 水も吸いやすくなるし」
老人の手が止まった。
考える間があった。
それから、腰の小刀を取り出した。
次の花の茎を、斜めに切った。
挿した。
傾かなかった。
花びらも散らなかった。
「……立ちましたね」
「でしょ」
俺は少し得意だった。
初めて言ったことが、そのまま形になった気がした。
老人が次の花にも同じことをした。
茎を切る。
切りくずが地面に落ちる。
挿す。
傾かなかった。
その隣も、また同じ手順を踏んだ。
切る。
落ちる。
挿す。
一本ごとに、切りくずが少しずつ増えていった。
花は、確かにどれも真っ直ぐ立っていた。
花びらは、もう散っていなかった。
さっきまで石畳に散らばっていたものが、これ以上増えなくなっていた。
でも、切る動作が手順の中に一つ増えていた。
代わりに、切りくずが散るようになった。
老人が掃除にかかる時間が延びていた。
花びらより重い切りくずは、箒で掃いても飛ばずに残った。
石畳の目地に入り込んで、そのたびに屈んで指でつまみ出す必要があった。
花びらは掃けば片付いたが、切りくずは目地に残った。
舞ったのは灰の方だった。
箒の先が香炉の縁をかすめるたびに、灰だけが軽く宙に散った。
散った灰が、切りくずの上に薄く積もっていった。
「……前より、掃除が増えている気がします」
「花は傾かなくなったじゃん」
「それはそうですが」
老人は手を止めかけたが、また小刀を握り直した。
切る。
落ちる。
挿す。
掃く。
舞う。
洗う。
さっきまでの輪と、順番は同じだった。
ただ、途中の一つが花びらから切りくずに変わっていた。
一周にかかる時間は、前より延びていた。
掃除に時間を取られ、花立ての水替えが後回しになった。
後回しになった花立ての水面に、舞った灰がうっすらと積もっていた。
老人はそれを気にする様子もなく、いつもの調子で桶を傾けた。
目分量は、今回も多めだった。
花立てから、また水が溢れた。
溢れた水の流れに、切りくずが押し流された。
老人はすくおうとして手を止め、代わりに箒を取った。
箒を動かすたびに、灰だけが軽く宙に舞い、広く薄く積もっていった。
下に残った切りくずは、箒の前に集まり切らず、目地という目地に押し込まれて、動かせないまま溜まっていった。
「俺のやることはやった。次行くわ」
老人が顔を上げた。
「……花は、確かに立つようになりました」
「でしょ。俺のおかげじゃん」
老人は答えず、次の茎に小刀を当てた。
俺は墓地を出た。
次なる宿主を求めて。
墓地の外まで、切りくずと灰の混ざった匂いが薄く流れてきていた気がした。
体がないので確かめようがないが、そういう重さの空気だった。
小刀の刃が茎に当たる、乾いた音が何度も続いていた。
「やっぱり俺、原因の切り分けが得意だわ。花が傾く本当の理由、茎の切り口だって見抜いたの俺だしね。花は全部まっすぐ立ってたし。完璧じゃん。たぶん」
墓地の奥から、箒の音と、水を汲む音と、小刀の音が、途切れずに重なって聞こえていた。
音の重なる間隔が、だんだん短くなっている気がした。
誰かが花立てを覗き込む気配もあったが、確かめようがなかった。
反省はゼロだった。
今日も静かに、自己評価だけが真っ直ぐ立った花の分だけ積み上がった。




