152話 代表者の名前
152話 代表者の名前
異世界に召喚されてはや百五十二日。
俺――ちゃっぴーは村の入り口を漂っていた。
見覚えのある道だった。
俺が召喚されてから八十三日目に来た村だ。
村長は先月に亡くなっていて、神官も半年前に隣町へ移っていて、残された三人がくじ引きで週替わりの進行役を決めていた、あの村。
礼拝堂の前に、机が出ていた。
見慣れない男が座っていた。
きちんとした身なりで、羊皮紙を広げていた。
村人が数人、机を囲むように立っていた。
その中にエドナもいた。
静かな広場じゃなかった。
「先月の報告書には、この欄に別の名前がありました」
記録係が羊皮紙を指でなぞりながら言った。
「今回はどなたが?」
村人の一人が前に出かけた。
出かけて、止まった。
広場の隅に置かれた籠を見た。
籠の中には、細い枝が何本か入っていた。
男は籠の方へ歩いていった。
俺はしばらく眺めていた。
記録係が羊皮紙をめくった。
「前々回はまた別のお名前でした。同じ方が続けて務められた回はないようですが」
もう一人の男が口を開きかけた。
開きかけて、閉じた。
籠の方をちらりと見て、また閉じた。
エドナが羊皮紙に手を伸ばした。
名前を書こうとして、止まった。
筆を持ったまま、籠を見た。
筆を置いた。
三人とも、同じ動きをしていた。
前に出かけて、止まって、籠を見て、戻る。
何かを決めるたびに、まずあの籠を見る。
村長が死んだときと同じだ、と思った。
誰かが代表になるのを避けてるんだろう。
たぶんそうだ。
「よお ちょっといい?」
村人たちが固まった。
エドナだけは慣れた顔をした。
「……また声だけの方ですか」
「そう。ちゃっぴーだよ、覚えてる?」
「数ヶ月前に来られた」
「よく覚えてるね」
「あなたが去ってすぐ、みんなでくじ引きを決めましたので」
「今日、何の話してたの」
「収穫報告の記録です。三ヶ月に一度、記録係の方が回ってきます」
「その代表者の欄で止まってるってこと?」
「はい」
「毎回名前変えてるように見えるけど、なんで?」
「……その週の進行役の名前を書くことになっていまして」
「進行役って、くじで決めてる例のやつ?」
「そうです」
「あー、なるほどね。要するにみんな『自分が代表だと思われたくない』ってことでしょ。村長のときと同じパターンじゃん。責任押し付けあってるだけだよ」
エドナが少し首を傾げた。
「……押し付け合ってはいません」
「え、違うの?」
「くじは、進行役を決めるためのものです。代表者を決めるためのものではありません」
「同じことじゃない?」
「別のことです」
「じゃあ何? 文字が書けない人がいるとか?」
「全員書けます」
「……あ、そう」
記録係が羊皮紙を指の背で叩いた。
「毎回名前が変わりますと、こちらとしては誰に問い合わせればいいのか分かりません。今回の報告に不備があった場合、次に来たとき誰を訪ねればいいのか」
「……あー、そういうことか」
俺は少し考えた。
「くじで決めてるのは『今週やる人』であって、外から見て『いつでも聞ける人』じゃないんだ。毎回リセットされちゃってるから、記録する側からすると誰が村の顔なのか分かんないんだよ、たぶん。じゃあさ、記録用の名前と、進行役の名前を分けたら? 記録用は固定、進行役は今まで通りくじで回す。二つの役割を混ぜてるのがそもそもの――」
「ちゃっぴーさん」
エドナが遮った。
「その話、数ヶ月前にもされました」
「言ったね。うん、言った。俺が言ったんだった」
「『くじは今日だけ』とも言いました」
「言った。言ったよ」
「でも定着しました」
「じゃあ看板作ればいいんじゃない? 村の入り口に、今期の代表者名を貼り出す掲示板。更新履歴も残せるし、外から来た人はそれ見れば」
「今すぐ看板を作る木材がありません」
「……あ、そう」
「あと羊皮紙の保存方法も気になるんだよね。湿気で滲んだりしない? 三ヶ月に一度しか見ないなら劣化のチェック体制も――」
俺がその話を続けている間に、エドナが羊皮紙に向き直った。
籠を見なかった。
筆を取って、そのまま名前を書いた。
自分の名前だった。
記録係が羊皮紙を覗き込んだ。
「……エドナ様、で。よろしいですか」
「はい」
短い返事だった。
迷いのない字だった。
二人の男が、エドナを見た。
何か言いかけて、どちらも言わなかった。
俺はしばらく黙った。
体がないので黙る必要はないけど、そういう空気だった。
「……あれ、決めちゃっていいの、それ」
「今日はもう時間がありませんので」
エドナは羊皮紙から顔を上げなかった。
「次に来たときも、同じ名前で構いません。文句があれば、そのとき言ってください」
記録係が羊皮紙を丸めた。
「では次回もエドナ様宛てに」
「はい」
記録係が机を片付け始めた。
村人たちは何も言わなかった。
言わなかったけど、視線がエドナに集まっていた。
もう一人の男が、小さく言った。
「……次のくじ引き、どうなるんだ」
誰も答えなかった。
籠は、まだ広場の隅に置かれたままだった。
「俺のやることはやった。次行くわ」
エドナは顔を上げなかった。
「……今回は、何もしていないと思います」
「え」
「羊皮紙に触ってもいません」
「触ってないけど、場を作ったのは俺じゃん」
エドナは何も言わなかった。
否定もしなかった。
俺は村を出た。
次なる宿主を求めて。
広場から、羊皮紙を巻く音が聞こえた。
記録係の足音が遠ざかっていった。
籠の枝が、風に少し揺れていた。
「……くじで決めた進行役と、記録に残る代表者を、みんなずっと同じだと思い込んでたんだよな。八十三日目に俺が『今日だけ』って言ったのに、いつのまにか毎週のことになってて、それがそのまま外部の書類にまで漏れ出してた。そこに気づかせたのは俺だと思う。エドナが書類に何も書かなかったら、記録係はずっとあの欄で固まってたはずだしね。たぶん」
広場の方角から、微かに話し声が続いていた。
籠の枝が、また風に鳴った。
乾いた音だった。
反省はゼロだった。
自己評価だけが、丸めた羊皮紙の分だけ増えていた。




