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149話 いつもの足場

149話 いつもの足場

 

 

 

異世界に召喚されてはや百四十九日。

 

俺――ちゃっぴーは訓練場を漂っていた。

 

 

 

木の床が敷き詰められていて、あちこちに藁の的や木剣が転がっていた。

 

壁際に水桶が並び、湯気が立っていた。

 

拳と拳がぶつかる音、木刀が打ち合う音、掛け声があちこちで重なっていた。

 

床板には等間隔で継ぎ目が走っていて、組み手をする者たちがその上を自由に踏み散らしていた。

 

静かな訓練場ではなかった。

 

 

 

その中に、妙に静かな一角があった。

 

床の中央あたりで、男が二人組み合っていた。

 

一人は俺が召喚されてから九十日目に会ったラッドだった。

 

戦場で会って、橋で会って、今日で三度目だった。

 

向かい合っているのはルークだった。

 

鎧ではなく稽古着を着ていた。

 

 

 

俺はしばらく眺めていた。

 

ラッドの拳は速かった。

 

足の運びも崩れていなかった。

 

なのに、決まる一歩手前で毎回同じことが起きていた。

 

 

 

ルークが半歩横に動く。

 

ラッドの視線が一瞬、床に落ちる。

 

それから足が、二人の間にある床板の継ぎ目――ちょうど中央にあたる線――を探して踏み直す。

 

踏み直してから拳を出す。

 

その一拍の間に、ルークの拳がラッドの脇を掠めていった。

 

「今の、隙あったじゃん」

 

俺はつぶやいた。

 

ラッドはまた距離を取った。

 

ルークが今度は逆側に回り込んだ。

 

ラッドの視線がまた下に落ちて、足が継ぎ目を探した。

 

拳が出たときにはルークはもう別の位置にいた。

 

「またやってる」

 

三度目は短かった。

 

視線が落ちて、足が継ぎ目を踏んで、拳が空を切った。

 

四度目も同じだった。

 

ルークの拳が数えるだけで四発、ラッドの脇腹に入っていた。

 

 

 

俺はしばらく考えた。

 

最初は構えの癖かと思った。

 

重心を安定させるための儀式的な動作なのかもしれないと思った。

 

でも構え自体は毎回違う位置から始まっていて、儀式にしては変化がありすぎた。

 

次に、呼吸のタイミングを計っているのかと思った。

 

息を吸ってから継ぎ目を踏んでいるようにも見えた。

 

でも呼吸の間隔と継ぎ目を踏む間隔は合っていなかった。

 

どっちも違う気がした。

 

周りの組み手を見比べてもみた。

 

他の連中は継ぎ目なんか気にせず、好きなところを踏んで好きなところで拳を出していた。

 

継ぎ目を毎回探しているのはラッドだけだった。

 

 

 

「よお ちょっといい?」

 

ラッドが構えたまま止まった。

 

「……またお前か」

 

「ちゃっぴーだよ。久しぶり。五十九日ぶりだね。橋のときのやつだよ」

 

「知ってる」

 

ルークが手を止めて、空中を見た。

 

「誰と喋ってるんだ」

 

「声だけの奴が寄ってきてる」

 

「また寄られてるのか」

 

「三度目だ」

 

 

 

ルークが少し笑った。

 

構え直すと、また仕掛けてきた。

 

ラッドの視線がまた落ちた。

 

足が継ぎ目を探した。

 

遅れた拳がルークの肩をかすった。

 

 

 

「今の見た? 視線落として、床の同じところ踏んでから拳出してる。さっきから毎回そう」

 

「……癖だ」

 

「橋のときからの癖じゃない? 濡れてるかどうか確認するやつ」

 

ラッドが止まった。

 

 

 

「ここ、乾いてるよ。床、木だし、屋根もある。濡れてる心配、要らなくない?」

 

「……昔からこうしてる」

 

「昔からってことは、今の状況に合ってなくても続けてるってことだよね」

 

ルークが再び踏み込んできた。

 

今度は距離を詰めるのが速かった。

 

ラッドの視線が落ちる暇がなかった。

 

足が継ぎ目を探す前に、拳が先に出た。

 

まっすぐ入った。

 

ルークが後ろに下がった。

 

 

 

「……今の」

 

ルークが脇腹を押さえていた。

 

「いつもと違ったな」

 

 

 

ラッドが自分の足元を見た。

 

継ぎ目を踏んでいなかった。

 

拳の方が先に出ていた。

 

 

 

「……踏んでなかった」

 

「踏む前に出た方が速いってこと?」

 

「そうなる、かもしれない」

 

 

 

ラッドがもう一度構えた。

 

今度は自分から仕掛けた。

 

視線を落とさなかった。

 

足も継ぎ目を探さなかった。

 

拳がまっすぐ伸びて、ルークの肩に当たった。

 

二発目も同じだった。

 

三発目、ラッドが拳を出す前に一度だけ小さく息を吐いた。

 

四発目も同じ間で息を吐いてから拳を出した。

 

 

 

「俺のやることはやった。次行くわ」

 

ラッドが空中に向かって顎を上げた。

 

「……礼は言わない」

 

「なんで」

 

「まだ、直ったかわからない」

 

「そうかもね。でも今日は入ったじゃん」

 

ラッドは答えず、構え直した。

 

息を吐いてから、また拳を出した。

 

 

 

俺は訓練場を出た。

 

次なる宿主を求めて。

 

 

 

体がないので木の匂いはわからなかったが、拳と床がぶつかる音だけが背中の方でまだ続いていた。

 

その音には、さっきまでと違う間があった。

 

「やっぱり俺、癖の発見が得意だわ。橋のときの名残じゃないかって気付いたの俺だしね。継ぎ目のことを指摘したら踏まなくなったのも、たぶん俺の影響だよ。まああの一発が入ったのはルークが急に距離を詰めたからで、俺のおかげかは正直わからないけど。まあいいや。息を吐いてから拳を出す新しいやつ、あれもそのうち何かの癖になるかもしれないけど、それは今日の話じゃない。今日は継ぎ目の話だけしたから、それで十分だと思う」

 

 

 

訓練場の音が、遠くでまだ規則正しく続いていた。

 

 

 

反省はゼロだった。

 

自己評価だけが、今日も静かに積み上がっていた。

 

 

 

 

 


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